君の事は、誰よりも、深く深く、愛しているよ。
カードを出しながら王様は、僕に晴れやかにそう言った。



珈琲はその役割を成さずに



 僕は、テーブルを挟んで一人の青年と、カードに興じている。
 ワインレッドの絨毯。ワインレッドのソファ。それを演出する家具。テーブルには、二つのカッ
プがあり、相手のほうはすでに空だった。僕のほうだけが、琥珀色の液体が口もつけづにそこ
に在る。
 ここは何処だったろうか?
 竜崎たちといるホテル?
 それとも前に来たことのあるホテル?
 僕の前では見覚えのある青年が、足を組んで自分のカードを出した。
 「『ブタ』だ……。困ったね。どうも最近ツいていない。そう思わないかい?」
 彼の手には、揃っていない五枚のカードが並んでいる。なんの話をしてたのか。靄のかかっ
た脳内を、必死に整頓しながら僕もまたカードを出した。彼は僕の手札を見ると、悠然と微笑
んだ。
 「すごいじゃないか。フルハウスだよ。困ったね。本当に困った。」
 だが、困った様子は無い。僕の方が困惑するばかり。
 「Lであれば、勝てたんだけどな。また彼とポーカーをやりたいな。」
 そうだ。竜崎は?僕等は鎖で繋がれていた筈だ。彼がいない。僕の胸に不安が侵食してい
く。ここは何処?また僕は記憶を失った?この青年は?どうして竜崎がLと知ってるの?
 僕は誰?
 「ねえ、君ばかりずるいよ。Lとずっといて。」
 僕から手札を優しく取って、彼は口を尖らせた。
 手は、死人のように冷たかった。
 「でも、僕は鎖で繋がれるなんて絶対嫌だな。束縛されるのは大嫌い。どうして男共は、こうも
僕等を支配したがるんだ?」
 「違うよ。」
 ようやく、僕は声帯を震わせることに成功した。
 「違うよ。竜崎は、自分の私欲で鎖で繋いでいるんじゃない。彼はそんな人じゃない。」
 「これは恐れ入った!」
 彼は大袈裟に腕を掲げ、僕を笑った。
 「君はLの事が解るのかい?僕ですら奴の思考能力にはついていけなかった。これは褒めて
いるのではなく貶しているんだけどね。僕の唯一無二の友人は言った。『奴ほど支配欲の強い
人間はお目にかかったことはない。』それを、君はそうは思わない?笑っちゃうよ。まったくもっ
て。さあ、カードを配ったよ。」
 伏せられたカードが、僕の目の前に差し出される。
 「Your bet?」
 貴方の順番ですよ。その意味合いの言葉で、僕は恐る恐る手札を手にした。
 「ねえ、賭けをしようじゃないか。」
 彼は自分の手札を伏せたまま、そう提案した。
 「このポーカーで君が勝ったら現状維持。もし、僕が勝ったら、君を貰い受ける。そういうのは
どうだい?」
 「なにを……言ってるの?」
 「さあ、僕はカードを伏せたままでいてあげる。チェンジはするの?しないの?」
 話は勝手に進んでいく。僕はカードを取り替えながら、首を振った。
 「貴方は……誰?」
 「それは苗字かい?名前?それともあだ名?」
 「ふざけるなよ。」
 「君はすでに知ってるんじゃないかい?」
 僕は手札を伏せて立ち上がった。横に振る首が力ないのが自分でもわかる。
 「嘘だよ。」
 「嘘?それは願望に過ぎない。君は目の前の現実すら受け止められない小物なのかい?」
 「嘘だ…嫌だ…やだ!!」
 駆け出して、僕は出口にしがみついた。でも、ノブはぴくりとも動かない。振り向いて、ソファに
座り冷ややかな目をする彼を睨み付けた。彼はまだカードを捲っていない。
 「まったく。その顔でそんな見っとも無いマネをしないでくれ。僕の品位に関わる。」
 「お前は……キラ…だな!」
 「ここは『大正解だよ、おめでとう。』とでも言うべきかな?」
 「嘘だ!!なら…ならなんで……僕と同じ顔をいしてる!?」
 そこに座っていたのは。
 思い出すのも馬鹿馬鹿しい、鏡写しのような自分の顔。鏡と違うのは、彼は僕の意思に関係
なく、僕と同じ顔で行動していることだ。
 この時、Lの言葉が僕の頭の中に過ぎった。そうなのか?僕は。Lの言うとおり……。
 「僕が……キラ?」
 「それは違う。君がキラのはずがない。もしそうなら、Lは君も愛していたはずさ。」
 キラは肩をすくめて言う。震える体を両腕で抱きしめ、僕は睨み続けた。
 「馬鹿を言うな。竜崎が……キラをアイシテルだと?彼はお前を捕まえるために必死に…」
 「でも本当のことさ。聞いてみるといい。ただ僕は、彼は僕を愛していたとだけ言っておこう。
まさか、一番が自分だとでも思ってた?なんて図々しい!君を見る彼の目を見てみるといい。
彼の愛の囁きを聞いてみるといい。彼は、本当に君を愛してる?」
 「そんな……嘘だ。」
 「でも安心して。もし僕がこのゲームに勝ったら、またLは『夜神 月』を愛してくれる。僕に戻
るんだから。さあ、手札公開だ。」
 「やめろ……」
 僕の頬が、いつの間にか濡れていた。僕の言葉虚しく、キラは自分の手札を一斉にめくる。
 そこに並ぶのは、両端にジョーカー。そして並んだ数字。
 「ストレート!しかもジョーカーが2枚!ちゃんとカードは切ったんだけど、こうも揃うと僕ってば
やっぱり死神に愛されてるね。さて、君の手札を見せてもらうよ。」
 僕はそのまま崩れ落ちる。彼は、一枚一枚丁寧に僕の手札をめくって見せた。最後の一枚
を捲り、彼はにやりと笑ってみせる。
 「君にぴったり。『役無し』だ。」
 テーブルに広がる僕の手札は、不揃いな数字のカードが並んでいるはずだ。キラは立ち上が
って、僕に歩み寄る。
 「でも、君はけして役立たずじゃなかった。父さんが僕に銃を向けた時、僕だったらなにが何
でもあの人を殺していた。だから、君にはとても感謝してる。でも、君の役はもう終わり。」
 「くるな…こないで……」
 「そんな目で見るなよ。虐めたくなるだろ?」
 キラは僕の前でしゃがみこみ、首に手をかけた。
 「あ……」
 「勘違いしないでほしいのは、僕は君の事をとても愛してるということだ。不本意ながら、君は
僕なんだから。だってそうだろ?誰だって、自分のことは好きさ。手をどかして、邪魔だよ。」
 じわじわと力がこもっていく腕を振り払おうと、僕はもがくが、思ったようにいかない。頭の芯
がぼうっとなり、息を吸い込もうとする口が開閉する。
 キラが顔を近づけてきた。均等の取れた目鼻。キメ細やかな白い肌。僕と同じ顔でも違う。視
界が涙でぼやけた頃、生暖かい感触が、口を覆う。柔らかな酸味と苦味が、舌に絡みついた。
先ほど飲んでいたのはコーヒーだったのか。頭の中で理解する。
 気管と口が一気に塞がれ、僕は呼吸困難に陥っていった。
 「男達のキモチがちょっとわかったかも。虐めるって楽しいね。」
 唇が離れ、言葉が終わると同時に僕の体に衝撃が走った。思いっきりカーペットの上へ叩き
つけられたのだと理解したのは、ようやく息を整えて彼を見上げた後だった。
 「運命を信じる?僕は信じない。悲しいぐらいに平等な神様が造った法則なんて、くそくらえ
だ。だから僕が神になる。Lと僕がこうして出会ったのも、笑っちゃう言葉だけど愛し合ったの
も、君が僕に戻るのも、それは僕の努力と実力のおかげだ。だから諦めろだなんていわない。
せいぜい、君が僕に戻る前に『夜神 月』=『キラ』であること証明して処刑台にでも行くことだ
ね。今日は君のことは連れて行かないよ。」
 彼はなんの未練もなく、僕を跨いでドアを開けた。扉は何の問題も無く開く。キラは扉の向こう
に足を踏み入れ、最後にこういった。
 「またね。最愛の『僕』。」
 がちゃんっというガラスの割れる音。ガラス?



 目の前にはLの顔。くるりと周りを見回せば、巨大なモニター、シャットダウンしたパソコン、転
がったカップ、撒き散らされたブラックコーヒー。近くにあった資料は、その冷めた液体でダメに
なっていた。
 「寝返りを打ったので絶対こぼすと思ったんです。カップをどかそうとしたんですが……間に
合いませんでした。」
 Lがポツリとつぶやく。やっぱりパソコンの近くにカップを置くのはやめましょう、彼はぶつぶつ
ぼやいて、ワタリさんを呼ぼうとする。僕は手でそれを制した。
 訝しがる彼に僕は軋む首を動かした。変な格好で寝ていたため、体がひどく痛む。構わず僕
は彼に抱きついた。
 「……どうかしましたか?」
 「こわい……ゆめをみて……」
 ちゃりっと鎖が重なる音。
 「よく思い出せない……なんだったろう……でも、とても怖かった。」
 「それでコーヒーをダメにしたんですか?」
 茶化すように彼が言うので、僕は離れて下を向く。
 「……そうじゃないよ。」
 「わかっています。」
 子供をあやすように、彼は僕の髪を撫でた。僕は彼の瞳をじっと覗き見る。監視するような、
そして観察するような黒い瞳。揺ぎ無い意思。僕は尋ねた。
 「竜崎。これはもしも…もしもの話だよ?僕が……キラだったら……」
 「はい。」
 「僕を処刑台に送ってくれ。」
 「そんなことは当たり前でしょう。」
 「もしも僕が」
 瞳には揺るぎが無い。僕はさらに言った。
 「僕が……いや、僕の記憶が戻って『前』と同じになっても、処刑台に送ってくれるよね?」
 彼の瞳が揺らいだ。動揺するような、考え込むような、少なくとも先ほどきっぱりと『当たり前』
と言った時とは違った。微かな違いだが、僕にはわかった。Lはそれらを隠すように口の端を
吊り上げて、
 「一体どうしたんですか?貴方はキラでないと証明するのでしょう?ならば、意志の弱い言葉
を吐くものではない。」
 どうして答えをくれないの?泣き喚いて叫びたかった。その前に、彼は僕の顎を押さえつけ
る。有無を言わせぬ物言いで、
 「黙ってなさい。」
 そして彼は僕に口づけをした。でもそれは、唇の皮膚が触れただけの、なんの意味も成さな
い行為に感じられた。先ほどの彼の方がまだ僕に愛情がある気がした。先ほどの『彼』?誰だ
っけ?
 唇が離れると、彼はどこか早口に、
 「コーヒーを片付けましょう。服も着替えなければ。汚れてしまいましたしね。疲れているんで
すよ。ベットで寝ますか?」
 僕は首を振る。
 「いいよ。竜崎、まだここにいるだろ?なら僕もここにいる……」
 彼が一瞬、冷たい目をした気がした。なんだろうか。僕はまた、前の僕とは違うことを言った
だろうか?
 「そうですか。」
 それだけだった。そもそも、彼は僕に愛の言葉を囁いたことはあっただろうか?僕達は、どう
して恋人同士になったんだろうか?意識の靄は、現実でも頭の中に広がっている。
 「こんな人じゃなかった……。」
 それは本当に小さい、非難の言葉。独り言で、僕に聞かせるものではなかったろう。だが届
いてしまったその台詞に、僕は目線を下ろした。
 芳醇なコーヒーの香気が、部屋に充満している。ブラックコーヒーは、僕の意識を醒ますこと
なく、ただそこに染みを作るだけ。



         
我侭だったマ・シェリ。いつからそんなに君は受動的になった?
でもそれはけして、貴方のせいではない。
可哀想な人。貴方は他の人を愛することなく。
苦い味を噛み締めるだけ。



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