一年前の話だ。

 「嘘つき!!」

 涙が頬を伝った。

 「この嘘つき!裏切り者だ!」

 青年は泣き叫んだ。

 「お前なんか………!」

 死神が背を向ける。
 「置いて行かないで!リュークッ!!」



行く当てのない手紙  下


 一年前の話だ。
 「私、ひとつ商売を考えたんですよ。」
 Lは手札のカードをそろえながら、前のソファに座る月に言った。
 凶悪犯連続殺人捜査本部であるビルの一室には、Lと月、二人だけがいた。
 常に稼動していた巨大モニターやパソコンはすっかり電源が落とされ、無言になれば部屋は
驚くような静寂に包まれる。
 「キラを牢屋に捕まえて、見世物にするんです。入場料をとって。握手会とかもしてみます?
きっと儲かると思うんですよ。もちろん、その収入は貴方のものです。」
 月はむすっと、今までLには見せたことのないような顔でカードを睨んでいた。子供のようなふ
てくされ顔で、足を組んでいる。
 テーブルには冷めた紅茶、半分減った粒のチョコレート、カードの束。
 そして黒いノート。Lはその上にポーカーでは最強の手札を乗せた。
 「ロイヤルストレートフラッシュです。」
 月はゆっくりとため息をついた。『役無し』の手札をテーブルに放って、
 「イカサマしたろう、お前。」
 「実はそうです。」
 Lは楽しそうに、服の袖からカードをだした。やっぱりね、とつぶやいて、冷たい紅茶を一口飲
む。Lは月の後ろに立つ黒い存在を見つめ、
 「それが死神だったんですね。」
 「おどろきだろ?むしろおどろけ。どうやって僕の机から、ノートを盗った?」
 「貴方の素敵なトラップは、ボールペンの芯によって解消されました。私も昔、考えたことがあ
った隠しネタだったんです。残念でしたね。」
 「鎖を外したのは僕がボロだすのを見たかったから?僕が13階段を上がる時を今か今かと
待っていた?相変わらず悪趣味な発想だね。」
 「ですから、商売でもしません?貴方は世界一お金持ちの犯罪者になれますよ。」
 「見世物小屋のパンダになるぐらいなら、処刑されたほうがまだマシだ。」
 「月君。」
 Lはゆっくりと、一語一語丁寧に話した。
 「貴方は人を、殺して殺して殺して殺しまくったんです。まさか貴方に拒否権があると思ってい
らっしゃるんですか?死んで罪が償えるならば、貴方の犯行を止めたりしなかった。」
 「じゃあ、僕を見世物にするの?」
 「さっきのは冗談です、忘れてください。
 ですが貴方は私の恋人でもある。ですから、私はあなたに選択肢を与えようと思います。」
 彼はじっと黒い瞳で月を射抜く。
 「ノートの所持権を破棄しなさい。」
 月がLの瞳を見つめ返した。Lは口早にまくし立てる。
 「まだこのことを知っているのは私とワタリしかいません。今、ノートの所持権を破棄すれば、
貴方は普通の生活に戻れる。正直に言いましょう、私はキラを処刑台に送りたいと思っていま
したが貴方となれば話は別だ。貴方を失いたくない。お願いです。もう、こんなことはやめましょ
う?死にたくはないでしょう?私は貴方を……」
 長い溜息。Lは息を吐き終えて新しい空気を肺に送り込む。
 「愛しているんです。」
 どうしようもないくらい。
 月は辛い表情で目線を逸らすと、リュークを見た。リュークは、無表情で縋る様な目付きの月
を無視している。下唇をかんで、月は睨んだ。分かってるよ、落とし前は自分でつけるさ。
 だが一つ、気になったことがあった。Lに視線を戻すと、YESの答えが返ってくることを疑って
いない恋人に尋ねる。
 「……その前に、一つ、教えてくれないか?」
 なんでしょうか?Lが身を乗り出す。月はそっと組んでいた足を戻し、真面目な姿勢で、
 「………何故お前が、ノートの所持権破棄の内容をしっている?」
 「…………………。」
 「……ミサか?」
 「………ええ、そうです。」
 「まったく……」
 月が首を振った。
 「これだから……誰も信用できないんだっ」
 そして崩していた足をテーブル端の裏板にかけた。
 「っよ!」
 言葉の終わりと共に、テーブルがLに向かって跳ね上がる。テーブルに押しつぶされる前にL
がそれを跳ね除けたときには、月は出口に走っていた。しかし、ドアノブに触れた瞬間、誰かの
手によってそれは開く。
 飛び出してきた松田が、迷いもなく月に飛び掛った。間一髪でそれを避け、月は別の部屋に
逃げ込む。松田が開けたドアの向こうに、父の姿が見えた。
 Lとワタリだけしかしらないだなんて、嘘だったんだ。
 逃げ込んだ先は寝室だった。鍵をかけ、ついでに一人掛けソファもドアの前に置く。これでし
ばらくは時間が稼げるはずだ。
 部屋を見渡すと、分厚いカーテンが目に入った。
 「月君!」
 「月、ここを開けるんだ!!」
 父達の声が、彼の焦りを煽り立てる。ふらふらと窓に近づき、カーテンを開けた。運がいいこ
とに、窓は開き易い内開きだ。引手に手をかける。開いた其処から、凍えるような冬の夜風が
彼の髪をばたつかせた。下は、目も眩むような闇。くしゃっと表情を崩し、月はしばらく覗き込ん
でいたままだった。
 だが、落とし前はつけなければ。縁に足をかけ、彼は決意をする。それに水をさしたのが、ド
アをすり抜けた死神だった。
 「なあ……」
 そして、死を知らぬ死神らしい質問をする。
 「死ぬの、怖くないか?」
 「…怖いよ。すごく。でも、決めていたよ。バレた時には自分で落とし前をつけようって。Lの言
葉なんか信用できやしない。いや、人間の言葉なんか、もう、信じたくない。一生ね。」
 その一生も、今この瞬間に終わる。振り向いて、最愛の親友だった彼に別れを告げた。
 「だから、サヨナラ。」
 「月。」
 リュークは今まで一番優しい声で、
 「俺が寿命を取ってやろうか?」
 「……本当?」
 「ああ。そうすればお前は、痛い思いはしなくてすむぞ?だから、こっちにこい。」
 「どうしてそんなことしてくれるの?」
 ああ、この素直な死神を疑うなんて、自分はどうかしている。月は心の中で思いつつも、尋ね
てしまった。
 「お前が痛がるのは嫌だ。」
 即答で返ってきたので、月は足を離した。そろそろと死神の傍による。リュークは自分のデス
ノートを取り出して開いた。
 「……どんな死に方がいい?」
 リアルな質問をされ、月は身震いした。戸惑いながらも、
 「……楽な死に方がいい……。」
 「じゃ、安楽死だな。」
 いつの間にか取り出したペンを、死神はノートに走らせる。月は今にも泣き出しそうな瞳でリ
ュークを見つめた。リュークは巨大な鍵爪のついた手で、月の頭を撫ぜた。
 「大丈夫だ……」
 だからそんなに、不安そうにするな。リュークの言葉に、月は俯いた。ベットの端に腰をかけ、
両腕で自分自身を抱きしめる。かき終えたリュークがノートをしまいながら、
 「……あと6分ちょっとだ。なにか話す事はあるか?」
 「………ないかな。」
 ドアを叩く音。
 「……俺はある。」
 「なに?」
 「お前って、ホント我侭な奴だったな。」
 「あはは。」
 一瞬だけ止んで、すぐに音が再開される。
 「……我侭だったが……お前は頭がよかった。そうだろ?」
 「そうだよ。だから?」
 自分の名前を呼ぶ声が、ドアの向こうで聞こえる。
 「……頭のいいお前だ。もう、分かってるんじゃないのか?」
 「……馬鹿な犯罪者だったって?失礼しちゃうね…。」
 「そのことじゃない。」
 ドアを押し破るつもりか、板が揺れている。
 「……なんでお前が捕まりそうなのか。」
 「だから、ミサだろ。他に考えられないよ。」
 「本当に?」
 ソファが振動で震えている。
 「本当にあの女が、すべてLに話したと思うか?いや、もっとよく考えてみろ?ノートの隠し場
所は?ルールもあの女が全部教えたのか?なあ、よく考えてみろよ。」
 月が顔を上げた。見慣れた死神の顔を穴が開くほど見つめ、
 「………なにいってるの?」
 「それができる人物が一人だけいないか?」
 頼りない足で月は立ち上がり、笑った。
 「ははっ。リュークってば、本当になに言ってるの?」
 「俺だ。」
 「変な冗談言わないでくれ。笑っちゃうだろ。嘘だって早く言えよ。」
 「俺なんだ。」
 「嘘だって言えよ!」
 月は命令した。いつの間にか、彼は涙を零していた。震える彼を死神は見つめ続け、
 「……ノートの切れ端さえ見せれば、誰にだって俺は見える。」
 「そんなことLたちにして、なんの得になるのさ?お前はどちらの味方でもないって言ったじゃ
ないか!!」
 「理由は、奴等と同じだ。お前を助けたかった。」
 「なら、Lの名前を教えてくれればそれでいいじゃないか!!」
 もちろん、そんな単純にはいかないが、月は構わず叫ぶ。
 「なあ、月。お前のそれが……人間が神になるだなんて分不相応な夢物語が、本気で叶うと
信じたか?いや、Lが現れなければ、俺ももしかしたら信じたかもしれない。お前は今、落とし
前と言ったな?なら、元の原因を作った俺も落とし前をつけさせてもらう。お前を想う、俺なりの
やり方で。」
 「馬鹿じゃないか!?そんなの全然、嬉しくないよ!お前…Lたちに自分の姿を晒して何を言
ったんだ!?」
 「お前を助けなければ、殺すと言った。」
 何度か口を開閉して、やはり出てきた言葉は、
 「……馬鹿じゃないか……。」
 「だが、あいつらもお前のことを想ってる。だから……。」
 「信じられないよ。」
 「だから、ノートの権利を破棄しろ。な?」
 「嘘つき!」
 月はリュークを突き飛ばすが、彼の体は動かない。
 「この嘘つき!裏切り者!お前なんか大ッ嫌いだ!大体、それならなんで僕の寿命を…」
 はっとして、月は後ずさる。
 もしもこいつの言うことが本当ならば。
 名前を書いてなんか……
 ばっと彼は窓に飛びついた。死神の手が、人間を助けるためにのびる。
 「は、はなッ…離せ!離せ馬鹿!お前、僕を助けたら灰になるかもしれないんだぞ!?」
 往生際悪く、月は振りほどこうとした。だが、人間が死神の力に勝てるはずもなく、がっちりと
後ろから羽交い絞めにされる。
 「助けるぞ。いくらでも…。」
 「僕は…お前が灰になったって、全然構わないんだ!!」
 「そうか。でも、助けるから。」
 「助けるなよ!馬鹿じゃないか!バカ…ばかやろぉ……」
 Lや松田に見せていたような、物分りのいい青年の面を破り捨て、月は子供のように泣きじゃ
くった。リュークは淡々と己の想いを告げる。
 「俺は、お前が死のうとするなら助けるぞ。飛び降りるならそれを止めるし、舌を噛むなら噛
み千切る前にお前を気絶させる。だから、俺が灰になった後に死んでくれ。俺が辛くならないよ
うに、その後で死んでくれ。」
 身勝手なその言葉に、しかし月は動きを止めた。ドアの耐久はもう、限界のようだ。鍵の部分
が悲鳴の軋みを上げている。
 「…ばかやろう……。」
 「そうだな……。」
 もうどうにもならない。彼はそう判断した。この死神が死ぬと分かっていて、自分が死ねるは
ずがない。彼はそう感じた。
 「わかったよ……。」


 「ノートの権利を……破棄する……」


 涙を振り払い、月は赤い目のまま不敵に笑う。
 「でも、覚えてろよ、リューク。絶対に僕は、自力で記憶を取り戻してやる!」
 「そうか。楽しみに待ってるぞ。」
 本当に楽しそうに、しかし寂しさを交え、死神はその言葉を覚えておくことにした。
 衝突音と共に、ドアに隙間ができる。もう時間らしい。
 「その時は、今度こそずっといよう。」
 死神が離れ、自分の横を通り過ぎると、また月は涙を流した。どうして止まらないんだ僕の馬
鹿涙腺。なんだよ、これじゃ恋人と別れるみたいじゃないか。馬鹿だ。皆馬鹿だ。恋人だった
ら、我が子だったら、犯罪者でも構わないってか?大馬鹿共め。馬鹿ばっかりでどうしようもな
い嘘つきたちで、それで一番馬鹿だったのは、おそらく僕なんだ僕の馬鹿。
 「リューク……。」
 扉が破られ、全員が月に飛び掛った。お前等、覚えてろ。僕とこの馬鹿を引き剥がしたこと、
いつか必ず後悔させてやる。
 お願いだよ。お願いだから……。
 背を向けて、満月が浮かぶ夜空に飛び立とうとする死神に、月は叫んだ。
 「おいていかないで!リュークッ!!」
 一年前の、話、だ。


********


 そして一年後。
 月はぼーっとベランダから満月を見上げる。
 鍋パーティーが後半に差し掛かり、すっかりアルコールで火照った体を、冬の夜風にあたら
せていた。
 一年前のこの時期、月は入院していた、という記憶が彼の中に刷り込まれている。
 ある日気がついたら病院のベットで寝ていて、L達が言うにはキラに狙われ心臓麻痺で死に
掛けた、というのだが、自分は前後の記憶がはっきりしない。そもそもキラの能力で狙われて
助かった人間がいるのか尋ねたかったが、母が青ざめた表情で駆けつけて自分の頬を叩い
たりするので、言うに言い出せなかった。
 もう、キラの事件には関わらないでください。L、松田、総一郎、ミサが真剣な表情で諭すの
で、その場で思わず頷いてしまった。そしてその頃から、キラの事件はぱったり止んでしまっ
た。まるで犯人が捕まったかのように。
 L達が言うには、この事件は解決したという。捜査本部も今はもうない。だが月は、しっくりこ
ない。当然といえば当然で、一体どんな解決の仕方をしたのか、それすらも教えてもらえなかっ
た。
 だから、月の中では未だにその事件は未解決なのだ。
 かちりっと鍵の閉まる音に、月は現実の世界に引き戻された。嫌な予感と共に振り向くと、閉
められたガラス戸と逃げ去るミサの後姿が見えた。
 「こらー!!締め出すなお前等!!」
 全員がこちらに指をさし、笑っていた。



 「と、いうわけで僕は帰ります。」
 「えー?月ってばー、怒るなんて子供っぽいぞ。」
 「子供っぽいですよ。」
 玄関先まで出向いたミサとLが、不満そうに言うが、月は溜息をつきながら、
 「違うよ。今母さんから電話があって、さっさと帰ってきなさい盆暗息子!だってさ。」
 「じゃ、帰ったらみっちり説教されるんだ〜。がんばってね〜。」
 ひらひらと手を振って、ミサは笑った。Lは背を向けて、先に戻った。松田が靴をはき終え、車
のキーをポケットにつっこむ。
 「じゃ、月君送ったら、僕もそのまま帰りますんで…。」
 「え〜!マッツーも!?やだやだやだ〜!戻ってきてよ〜!!」
 「はいはいはい、また明日、迎えに来ますから。もちろん、仕事で。」
 逃げるように二人がドアの向こうに消える。ミサは唇を突き出しながら、振り返ると、戻ってい
るはずのLが立ち止まっていた。
 通路を塞いでいるのは、相沢だった。
 「……二人とも。ちょっと話がある。」
 すうっとミサの笑顔が消える。



 光が消えた雑居ビルの群れを通り過ぎ、松田は助手席で夜空を見ている月と雑談をする。
 「そういえば、この間ミサちゃんが拾ってきた黒猫、飼ってるんだって?」
 「そうなんですよ!まだ仔猫で、可愛いんですよ〜!」
 途端に、でれっと顔をにやけさせる親馬鹿な月に、松田は笑って、
 「名前、なんていうの?」
 「リュークっていうんです。」
 車の中が、エンジン音だけになった。
 聞こえていなかったんだろうか?月が松田を見ると、彼は無表情で、
 「リュークっていうの?」
 「え?あ、はい。」
 「どうして?」
 「どうしてって……さあ、どうしてだろう?昔読んだマンガにでてきたのかな?なんとなく、そん
な名前がいいなって。」



 「キラの事件は終わったのか?」
 向かいに座るLに、相沢は問う。キッチンではミサが食器を洗いながら、Lはテーブルに散ら
ばった缶などを集めながら、その質問を聞き流す。
 水と食器の擦れる音が、沈黙を浮き彫りにした。
 諦めたように相沢は溜息をつくと、
 「わかった。質問を変えよう。竜崎、いや、L。あんたと夜神月の関係を調べさせてもらった。」
 食器の音が、僅かに止まった。しばらくミサは二人の会話に耳を傾ける。
 「………俺の言いたいことは分かるな、竜崎。」
 「いいえ、さっぱり。」
 「あんたは探偵としては一流だが、共犯者になるには三流以下だな。そんなはぐらかし方でな
んとかなると思っているのか?」
 「べつにはぐらかしてなんかいませんよ。」
 Lは空のカクテル缶を無意味に積み上げ、
 「はぐらかす必要はないからです。」
 「というと?」
 「全ては終わりました。そう、色々な意味でね。」
 積み続けながらLは、意味深な単語を紡ぐ。



 家の前で車が止まり、月はシートベルトを外しながら、
 「じゃ、ありがとうございました。また今度……」
 「ねえ、月君。」
 松田はフロントガラスの向こうを見つめ、
 「………警官になる夢、諦めてないんだって?」
 答え返そうとして月は口を開きかけたが、先に松田が遮ってしまう。
 「やめなよ。」
 月はぐっと息を呑む。
 「やめなよ。あんな職業。」
 「……どうして。松田さん、父さんや竜崎と同じ事を言うんですか?」
 「キラの事件を追うつもりだろ?」
 「…………………。」
 「やめなよ。」
 松田は、一度も月を見ようとしなかった。
 「やめてよ……。」



 「相沢さん、貴方には分からないでしょうね……。」
 「…………………。」
 「何が罪で何が正しいのか分からない境界線の間を、貴方はまだ歩いたことがないんです
よ。私が正しいとは言いません。でも、貴方が正しいとも言いません。ただ、私は私の信念を貫
き通すために私が正しいと思うことをやるまでです。」
 「夜神月の罪を隠すことがあんたの選んだ道か……。」
 相沢は反吐を吐くように顔を背けた。
 「そんなもの、分かりたくもない。」
 ミサが片付け途中の食器を手に取る。



 こってり一時間は母に叱られて、月は脱力しながらベットに伏せた。無邪気な黒猫がさらにそ
の背に乗り、主人の顔を覗き込んでいる。
 「うう……リューク……僕はもうだめだ。明日きっと二日酔いだ。だから一緒に寝よう…」
 なにがだからなのかよく分からないが、とにかく月は黒猫に抱きつく。それが気に入らなかっ
たのか、猫がもがいて隙間から逃げ出した。机に放り出しておいた今日買った文具の袋を不
思議そうに見ている。
 「リューク、それは食べ物じゃないよ。……こらっ!漁るな!」
 袋に頭をつっこんでいる猫に叱り、月は起き上がった。ビニール袋から猫を引っ張り出すと、
黒猫の爪が買ったばかりの黒いノートに傷をつけていた。
 「あー!コラッ!!」
 大声を出すと、猫は逃げ出し机から飛び降りた。にゃあっと一声鳴いて机の下にもぐる。
 「もー…買ったばっかりなのに……」
 指で傷をなぞり、ぺらりとページを捲った。
 そこには。
 「……ラクガキ?」
 買ったときにはまっさらだったノートに、文字が綴られている。どうせミサが悪戯したんだろう
と半眼で文章を追った。
 詩か。歌か。ともかくへたくそなそれを、月は何故かこう思った。
 これは、手紙だ。



 がちゃんっとテーブルに投げられた皿が砕け散った。積み上げられた缶が虚しく転がる。
 驚いて相沢は投げた本人をぎょっと見る。ミサは瞳を潤しながら、
 「分からないわよ!!」
 Lとは対照的に、感情を爆発させてそれを相沢にぶつけている。
 「分からないわよ!あんたには!あんたは大事な人を亡くしたことがある!?恋人が死んだ
ことはある?分からないわよあんたには!」
 迫ってきたミサに、相沢は怯まず立ち上がる。
 「宇生田は死んだ!俺達の大切な仲間だった!」
 「そういうのじゃない!」
 ミサは彼の胸倉を掴み、
 「胸にぽっかり穴が開いたような感覚を感じたことがある?失った瞬間に目の前が真っ暗に
なったことはある!?ミサはそうだった!母さんや父さんが死んだときそうだった!あんたには
わからない!もしその命が自分の意思で助けられるとしたらあんたはどうする?あんたの娘が
犯罪を犯してそれを助けられるとしたらどうする!?あんたは道徳と心情、どっちをとる!?」
 「それは……」
 「出てって!もう二度と顔を見せないで!月に今度近づいたら……」
 かつて死神の目を持った少女の双眸が、純粋な殺意の火を灯す。
 相沢は、ぞっとしながらも、肺から空気を吐き出し、
 「……………それはつまり……お前達は夜神月を庇っていると認めるわけだな…。」
 「さあ、なにを言ってるんですかね?」
 床に散らばる缶を拾いながら、Lは分かりやすいとぼけ方をする。
 「どうぞ、お帰りください。まあ、貴方には明日早々、どこかの異動命令がでるかもしれません
がね。」
 相沢は、諦めたようにうなだれた。
 所詮自分は一介の警察官。どこまでやれるかはたかが知れ、数も力も権力も、彼等に勝つ
ことは出来ないのだ。
 ふと、相沢は場違いな感情を月に抱く。
 なんて彼は、可哀想な子供だろう。
 愛されていても、それは届きも望みもしないもの。
 優しい嘘に囲まれて、彼は延々とこの茶番につき合わされるのだ。



 僕。林檎。死神。ノート。優しい嘘つき達。自分の罪を思い出さず。罪?林檎?死神?ノート
ノートノート。退屈?
 幾つかの単語が彼の脳の中で検索される。その検索結果、出てきた事件に月は眩暈を感じ
た。
 誰がいつ、こんな文章を自分の買ったばかりのノートに書いたのだろう?買う前から書いて
あった?いや、それはない。では誰が?僕・林檎・死神・優しい嘘つき達……僕…僕?
 まじまじと見てみると、その文字には見覚えがあった。というより、毎日見ていた。
 それが自分のものであることがわかった瞬間、彼は部屋から飛び出した。



 黒い死神が、夜風に吹かれてビルの屋上で東京を眺める。
 狭い地区に入りきらないほどの人間が犇くこの街。
 ニューヨークの摩天楼よりかは遥かに小さいが、それでも東京の高層ビルは、天にとどくこと
を夢見るように、高々と、高々と。
 「……また夜神月を見ていたのか。」
 後ろから声がかかった。振り向かなくても分かっている。人間をずっと見続けることで変わり
者扱いされているリュークに話しかける相手など、たかが知れている。
 白死神、レムが、心底不思議そうに問うた。
 「そんなに愛おしいなら、何故、裏切った?」
 やはり、ミサを大事に思っていたとて、レムには長い間人間と関わってしまったリュークの気
持ちは分からないらしい。
 リュークはぽつりと、
 「それが、最善だと思った。」
 「違うな。お前はただたんに、自分の自己満足のために夜神月を裏切ったんだ。」
 正論を言われるが、それを反発する気はリュークにはない。
 今日、彼を見に行った。
 何時も通り、元気だった。
 それで十分だと思う。
 記憶が時折、表面上の意識に浮かび上がってくるのか、今日必死になってなにかを書いてい
た。だが、すぐに元に戻ったから、問題ないと思う。不思議なことも、あるものだ。
 夜風が、ビルの狭間から吹き上がる。その風にうたれながら、
 「なあ………」
 今まで疑問に思っていたことを、口にする。
 「何故、俺達死神は、寿命を取るだけなんだろうな。」
 人間が何故生きているのかという質問と同じくらい馬鹿馬鹿しい疑問。しかしレムは、何も言
わずに黒い死神の背を見つめた。
 「何故、魂を運ぶのではなく、寿命をとるんだろうな。」
 「魂を運べたら、お前はあの子を裏切らなかったか?」
 「裏切らなかったろうなぁ。」
 すぐ返事は返ってきた。しかし、こうとも言ってきた。
 「でも、きっと俺はその魂を盗むだろうから、やっぱり死神失格なんだろうなぁ。」
 人間界に、冬の夜風が吹き上がる。空には満月が、風に乗った雲が、すべてを見下ろすよう
に広がっている。
 レムはリュークの背中を見て、過去の出来事とダブって見えた。
 「今のお前は……。」
 「ん?」
 「人間界を見ていたジェラスによく似ている。」
 人間に恋をして死んだ死神の例を言って、しかし黒い死神は、なにやら満足そうだった。



 そろそろ寝ようとしていた総一郎のところに、息子が青ざめた顔でやってきたのは、12時に
なる少し前だった。
 「父さん……。」
 黒いノートを抱きしめ、まるで迷子の子供のように話しかけてきた息子に、総一郎は無言でリ
ビングのソファに座らせた。
 月はノートをけして離さず、
 「ねえ、父さん。父さん達、なにか僕に隠していること、ない?」
 総一郎は、息子の腕からノートを取ろうとした。だが、彼はもう一度それを握りなおし、
 「僕はなにを忘れたの?」
 「なにを言っているのかわからない。一体、どうしたんだ?」
 おずおずと、月がノートを差し出し、最初のページを開いた。総一郎がそれを受け取り目を通
している間、月はずっと泣きそうな顔で父に縋る。
 「なにか、隠しているんだよね?そうでしょ?僕はなにか忘れているの?一年前、なにがあっ
たの?キラの事件は本当は終わってないんでしょう?ねえ、父さん!」
 大丈夫だ。まだ、最悪の事態にはなっていない。総一郎はそう判断して、ノートを閉じて立ち
上がった。
 「……これは、預かる。」
 「どうして!?」
 目を大きく見開き、月がしがみ付く。総一郎は逆にその腕を掴み返し、無理やり彼を二階に
連れて行った。
 「どうしてだよ!?なんで?どうしてなにも教えてくれないの!!嘘ついてるってどういうこと?
ねえ、教えてよ!」
 騒いだため、隣の部屋に居る粧裕が顔を出した。総一郎の威圧によって、慌てて顔をひっこ
める。
 部屋に押し込もうとすると、本気で嫌がり始めたので、父は彼の頬を叩き、怯んだ隙に部屋
の中に突き飛ばした。転がった彼を見ずに、ドアを閉め、外側の鍵をかける。精神不安定にな
ることが多かったため、一年前に取り付けたのだ。
 「月。もう、キラの事件に関わるな。」
 命令口調で総一郎はそれだけ言うと、ドアから離れる。



 「月の記憶が元に戻らないっていう保障はあるの?」
 相沢が帰った後、ミサはLと砕け散った破片を拾いながら尋ねた。
 月の犯行を隠蔽したメンバーは、L・松田・総一郎・ミサの四人。ワタリは何も言わずにLに従
い、模木はなにも知らされないままだった。
 始めリュークの存在を知らされたのはLだった。そして、この隠蔽を提案したのもLだった。誰
も反論するものはおらず、キラの犯行に見せかけて月を入院させ、もう事件には関わってほし
くないという理由をこじつけた。
 そして、こんな茶番劇が、1年続いた。
 「その場合、私に聞くよりも貴女のほうがよく知っているんじゃありませんか?」
 「……元に戻らなかったわね。でも、それは一生の話?」
 「保険はかけてあります。」
 破片を指先でつまみ上げ、Lはバケツに放り込む。
 「私の名前を、彼に教えました。」
 「?だから……?」
 「彼の記憶が戻った場合、その時は私の命日となります。私が死んだら、彼の記憶が戻った
と判断して、今度こそ処刑してください。」
 「……卑怯ね。」
 「罠をかけておいて不味いことはありません。」
 「違うわ。」
 ミサは恨みがましくLを睨む。
 「自分が死んだ後にそれを他人に頼むなんて、卑怯以外の何者でもないわ。」
 「バレましたか。」
 「死んだら辛くないしね。いい気なもんよね。」
 鼻で笑うミサの目は、まったく嬉しそうではなかった。
 「……きっと一番辛いのは、月なんでしょうね。」



 月は開きもしないドアを何度か叩いて、泣き崩れた。
 机の下から出てきた仔猫が、にゃあっと鳴く。
 「リューク……」
 名前を呼ぶと、とてとてと走って彼の足に擦り寄った。月は猫に見向きもせずに、
 「リューク……。」
 構ってほしいのか、しきりに猫が鳴いている。
 月が疲れきって、こつんっと頭をドアに押し付けた。
 「リューク。」



 何かを忘れているのに、思い出せないもどかしさ。
 浮かび上がろうとする記憶は、まるで見えない力に抑えられるように。
 涙が止まらない。まるで、涙腺が壊れてしまったかのようだ。
 壊れてしまったのは、いつだったんだろう。
 あの手紙は、誰にあてたものなのか。
 きっと大切な人に向かって書いたのだろうと、必死な文章を見て思った。
 そして最後にあの手紙は、こんな言葉で終わっていた。
 
 
 そちらの天気はどうですか?曇りですか?雪ですか?むしろ宇宙はありますか?
 今の僕はあいも変わらず、自分の罪を思い出さず、のうのうと生きています。
 どうかどうか


 僕を、置いていかないで。



 「リューク……」
 仔猫を抱き上げて、月はその背中に顔をうずめる。
 「置いていかないで……。」



END    



この手紙は、どうすれば届きますか?
貴方の元に行けば、これを受け取ってくれますか?
お願いです。置いていかずに、僕を連れて行ってください。
この命と引き換えに、連れて行っても構いません。




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