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初老の老人は、主人が愛する恋人に、こんなことを言った。
「どうか覚えておいて欲しいんです。」
静かな湯気。芳香な香りの葉。月はそれらを見つめながら、はい?と聞き返す。
「いつか、私がいなくなるときがくるでしょう。」
はあ。青年は曖昧な言葉で答える。
「そうしたら、彼のために紅茶を淹れてもらいたい。」
そりゃ、無理です。奴の気に入る味を出すなどと、プライドの高い僕にはできません。あっさり
そう終わらせる青年に、それでも老人は優しく返した。
「いえ、貴方のであれば。どんなものでも大丈夫。」
たとえ紅茶の葉っぱが入ってても?青年が言う。
いがいがしてしばらく口がきけないかもしれませんね。老人が言う。
そして二人は同時に笑うのだ。
貴方のために淹れる紅茶
「じゃ、罰ゲームは紅茶を淹れるということで。」
これは罰なのか?
ああ、そうさ。絶対にそうだ!どこで間違ったのやら僕の人生は。
そりゃデスノート拾った瞬間からだ?五月蝿い黙れ、僕の輝かしい栄光はそこから始まるは
ずだったんだ!
ああ、くそ。全ては目の前いにいる爬虫類のせいだ。そこから僕のツキは、上がったり下がっ
たり。アンラッキーにノー・フォーチュン。世の中きっと、もういいことなんておきない、絶対そう さ!
「月君、手札、止まっていますよ。」
止まってる?ああ、そうさ。だって僕の手札に何があるか?ハートの11、クラブの7、ダイヤ
の2と4、スペードの9!ブタだよブタブタ!家畜小屋にいるピーちゃんじゃないよ?『役無し』つ まりは負けってこと!なにやってるかって、ポーカーに決まってるだろ!ここは捜査本部じゃな いのか?遊んでないでとっととキラ捕まえろ?残念もしも捕まえていたら、僕は今頃牢屋の中 でカジノホールを開いてる。
「あ、ここは紳士的に私の手札からお見せいたしましょうか?もしも貴方が罪を告白してくれ
るのならば、もう一度チェンジを許して差し上げますが。」
あっそう、ふーん、そりゃいいね。一時の勝利の後に牢屋への招待状が貰える訳か!なんで
なんで、なんでジョーカーでないの?僕は死神に嫌われたの?ああ、そういや死神殺しちゃっ たんだっけ?そうだそれで僕のツキは落ちたんだ!月なのにツキがない。あ、ちょっと笑え る?
「竜崎、一体何の罪?僕はお前のように、服の袖にカードを仕込んだり切る時にワザといい
手札が自分のほうにくるような詐欺行為はいちっっっっっっどもやったことがないよ?むしろお 前が罪を告白しろ。実はイカサマだろ?そうだろ?」
僕は柔らかい笑みで相手にそう訴えかける。Lは自分の手札を公開した。
ストレート。パンチじゃないよ?手札の名前ね。
「私はイカサマなどしたことはありませんよ。貴方と違って、罪を犯せるほど勇気ある人間で
はありませんので。」
「奥ゆかしくシャイな僕は、信号無視だってできやしないさ。」
「私が倒れたとき、笑いましたよね。そりゃもう、『ヤッター!死んだぜヤッホー!』って踊りだ
しそうなぐらい。怖くて私、それで心臓麻痺になるかと思いましたよ?」
「竜崎、大丈夫?倒れたときに頭打った?病院紹介してあげるよ?そんな変な幻影が見える
ようじゃ、相当重症だよ。早く行ってきなよ、それで永遠に戻ってこなくていいからさ。」
「……………月君、大丈夫ですか?顔が半分ぐらい黒い影が出来てますよ?」
「あはははははっ!僕は全然怒ってないよ?たとえ身を隠すためとか何とか言って父さんに
ウソつかせてこの僕を!この僕を騙したからといって僕はなんっとも思っちゃいないよ?ねー、 父さんにも怒ってないからさ、僕。そんな目を逸らさないでよ!」
パソコン周りの書類を整頓していた父さんが、気まずそうに目を逸らした。きっと僕の目が笑
っていなかったからだろう。新世界の神たる僕に、ウソなんかつくからだよ!
「まあ、どうでもいいですから。早く手札見せてくださいよ。」
僕は笑顔で固まる。爪を噛んで体育座りでじーっと見るL。
「………………………。」
「見せられません?なら、選択肢を差し上げます。1・『僕はキラでした御免なさい』と言う。2・
『僕は貴方に一生ついていきます!』と言う。3・私に新しい紅茶を淹れる。どれがいいですか3 秒以内に答えないと自動的に1番になるので3にーいち…」
「3!」
「アールグレイでお願いします。砂糖は7個で。」
ちっ、この味覚破壊者め…。
しぶしぶと僕は席を立つ。ああ、あの時の。竜崎が倒れたあの時の込み上げる嬉しさは、も
う僕にはやってこないのだ。
「月君、嬉しそうじゃないですね。」
「嬉しいとも。偉大なる探偵様に紅茶を淹れることができるなんてさ!」
「この間みたいに紅茶の葉を入れるの、やめてくださいね。」
「ちっ。」
「舌打ちは可愛くないですよ。やっぱり怒ってるじゃないですか。」
「ああ、そうかもしれないね。まったく……散々人を騒がせておいて、本人は呑気なもんだよ
な。こっちは命がけなのにさ。ワタリさんだって……」
「月。」
初めて父さんがこちらを向いて、渋い顔で、
「……やめなさい。」
「はいはい。」
僕は溜息と共に返事をする。Lは知らん顔していた。
手際よく僕は紅茶を準備していく。父さんと爬虫類と僕の分。よっぽど奴のカップにコーヒー
の粉を混ぜてやろうかと思ったが、隈付きの目でじーっと観察されていたので断念せざるを得 なかった。
「月君。」
なにさ。僕は目だけをLに向ける。
すると、奴はちょっとだけ優しく顔を崩す。
「……ワタリのようなやり方でやらなくても、大丈夫ですよ。」
そ…そんなんじゃない!ただやっぱり上手く入れるなら、ワタリさんのようなやり方でやったほ
うがいいってうーんっとえーっと……ええい!黙れ爬虫類!
ようやく淹れ終わって、僕は息をつく。カップから薫り立つ、アールグレイ。うーん、さすが僕。
完璧な色合いだ。これならばこの変態爬虫類も文句は言うまい。ミルクと砂糖ポットをがんっと 置き、僕は一人で優雅にロシアンティーを楽しむ。Lは恨めしそうに、
「……ジャム入れるなら、私にも入れて下さい。」
無視。だって砂糖って言ったのはコイツだし。
すました顔している僕に、奴は何故か紅茶に手をつけなかった。なんだよ、なにか文句ある
のかよ。淹れろっつったのは自分のクセに。
「………これからは。」
は?なに?
「これからは、ずっと貴方が紅茶を淹れてくれるといいですね。」
…………………。
「……馬鹿言ってないで早く飲めよ。」
「そうですね。」
「……僕の紅茶の味のほうがいい?ワタリさん、可哀想だよ?」
父さんがまた僕を睨んでいる。でもそれは見ないフリ。
「竜崎が僕を疑っているなら、もっと僕を憎むと思った。」
「何故?」
「もし。もしも僕がキラであったら、ワタリさんが死んだのは僕のせいってことになるし。」
「そうですね。」
Lは紅茶を、ただじっと見つめ、
「でも、その必要はありません。」
?…なんで?
「貴方は現在進行形で、」
とても、悲しそうに。
「罰を受け続けているから。」
「月。」
書類整理が終わった父さんが、僕の後ろにやってきた。テーブルに用意された僕らのカッ
プ。3つのそれを睨みつけ、
「………やめなさい。」
今度は意味が分からなかった。振り返り、僕はきょとんとしてしまう。
「……なにが?」
「お前が悲しいのは、よく分かる。」
「は?」
「もう、やめなさい。」
だからなに言ってるのさ、父さん。
「………じゃあ、その3つのカップはなんだ?」
そんなの決まってるじゃないか。僕のだろ、父さんのだろ、それで……
前に座る奴を見る。って、あいつ、いないし。
あれ?どこいっちゃった?僕に紅茶を要求したくせに、飲みもしないでどこかにいくなんて…。
「月。ちょっとこっちに来なさい。」
父さんが無理やり、僕の腕をつかんだ。
何故か、僕の心がざわつく。まるで暗い森の中を歩かされるように、不安で押しつぶされるよ
うになる。どうした僕?さっきまであいつと馬鹿な会話をしてたのに。どうしてこんなにも。
こんなにも、泣きたくなるんだ?
「は……っ」
僕は父さんの手を引き剥がそうとする。
「離して!離してよ!やだ……いっ」
僕は叫んだ。
片方だけの役無し手札。飲みかけのロシアンティーに、冷めるのを待つ紅茶が二つ。空っぽ
のソファ。相手のいないカード。散らかった山札。恋人不在のその部屋に、僕の叫び声が荒涼 と響き渡り。
「それで酷いんだ、父さんってば。僕を部屋に閉じ込めたりして……」
「へー、そうですか。」
「竜崎……お前、真面目に聞いてるか?」
「ええ、聞いてますよ。そういえばロシアンティーって、当時ミルクやクリームが手に入らなかっ
たロシアがジャムを入れたことから始まったそうですよ。」
「ふーん、つまり僕の辛い体験はその下らないうんちくと同格って訳か。殴っていい?」
「ホントは殺したいとか思ってるでしょ?」
「そうだね。キラでなくても殺したいね。」
「また……私のために、紅茶を淹れて下さい。」
「カードで負けたらね。」
「じゃ、必ず勝ちましょう。」
「はっ、ご苦労様。」
「で、なんでそんなに怖くなったんですか?」
「……なんでだろ。よく分からないよ。」
「私がいなくなって怖かった?」
「はははははっ!そりゃ自惚れた発言だ!つまらないこと言っている暇があったら、僕の前
から消えろ。この馬鹿が。」
「はいはい、申し訳ございませんでした。じゃあ、貴方が眠るまでここで待機ということで。」
「……ふんっ、勝手にすれば?」
松田はそっと、その扉を押した。中で眠る青年を起こさぬように、慎重に歩を進める。
ベットの中で埋もれる月。穏やかな寝息は、まるで誰かに付き添ってもらったかのようだ。
とても安心した、子供のような幸せそうな寝顔。
と、自分を呼ぶ声が聞こえた。扉の所に立った総一郎が、暗い面持ちでこういう。
竜崎の葬儀に行って来る。
松田は静かに頭を下げ、居もしない誰かさんのかわりに、月の頬を撫でた。
永遠に、居なくなったあの人ために、
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Tuesday,February 22,2005
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