神様神様。
 神様神様神様。
 願いを聞いてくれて、
 ありがとう。



 願いを聞いてくれて、ありがとう




 風が吹いていた。
 ぽつりぽつりと、レンガ造りの民家が立ち並び、薄茶の土の上に短く草が生えている。その
緑の絨毯が続く先。よく目を凝らしてみると、校舎のような家が建っている。赤い煉瓦作りの、
古臭い建物。すでに黒ずんだドアノックは、悪戯された様に壊れている。今は何も植えられて
いない花壇にその国の言葉で『花壇に入るべからず』と、大きく書かれていた。
 その言葉の続きがあった。子供の字で、その言葉に対してコメントがつらつらと書かれてい
る。『入った奴はおしりぺんぺんだ』←『誰?これ書いた奴』←『メロが書いているところを発見』
←『違うし。ニアだよ』←『私は書いてません』
 さらに、空白の部分は掲示板と化していた。『今日、美青年を発見!』←『だから誰だよ、これ
書いた馬鹿』 『見た。日本人っぽい子』←『マジで?』  『ライトっていうらしい』←『あれって、li
ght?それともRAITO?なんて書けばいいの?』  『歓迎会を開くので、全員暖炉のある部屋
に集まること』  『誰!?ライト泣かした奴!』←『私はメロが苛めていたのを見ました』←『ち
げぇっつってんじゃん!』↑『泣いてません』  『今日、Lとキスしてたの発見!』←『誰がだよ』
←『ライト』←『僕はそんなことやってません』←『いいや、絶対してたね!』←『私も見ました』←
『ニア、メロ。後で僕の部屋にきなさい』  『昨日、ライトに殴られた。ここに事実公表』←『でも
メロ、その後ライト、泣かしてましたね』←『ニア、後で施設裏に来い!』←『ヤダ』 『Lが帰った
らライトが泣いてたの発見』←『泣いてない』←『嘘はよくないよ?』←『泣いてないってば』
 もはや書く欄が見当たらないほど、びっしりと書かれた子供達の文字。その中に混じって、丁
寧な字のコメントがある。字の新しさから、最近書かれたようだ。
 小川がある。青年が一人、縁に座って足を洗っていた。
 ジーンズの裾を捲り、浅い川底に足を突っ込んでいる。つま先を地面につけると、柔らかい
川底の砂が煙となって水に舞い、すぐに水に流された。小魚が、慌てて彼の細い足首を避けて
いった。
 朝の優しい日が、薄茶の髪をきらきらと輝かせている。二十歳を超えているように見えるが、
子供のような仕草で足を洗う姿を見ると、どうも幼く見えた。
 そろそろ帰ろう。青年が立ち上がって傍においてあったタオルに手をかける。黒いメモ帳も一
緒においてあった。瞬間……本当に唐突に、十代後半の男の子が青年の背中に飛び蹴りを
食らわせた。容赦ない蹴りに、青年は水飛沫を上げて川の中に突っ込む。小魚が大急ぎで逃
げた。
 浅い川の中で溺れかけている青年に、飛び蹴りを食らわせた少年は盛大に笑う。
 「あはははっ!水泳にはちっと早いんじゃないの?ライト!」
 ざばぁっと身を起こした青年。涙目で少年…メロを睨みつけると、脱兎のごとく彼は逃げてい
った。入れ違いで、同い年ぐらいの少年が、青年の傍に寄った。だぼだぼの服を着て、手には
新しいタオルがある。
 目を擦っている青年に、少年は小首をかしげ、
 「また泣かされたんですか?」
 その発言に、青年はなにか手話をした。頷いた少年、ニアは、その意味を理解して、
 「ああ、目に砂が入ったと……?そうは見えませんけど……」
 さらに手話でなにかを訴える青年。どうやら手を貸してくれというらしい。ニアは溜息をついて
手を伸ばした。
 青年はその手を掴もうとして。
 足元が泥で滑って手前でまたこける。盛大な水飛沫を上げて水に沈む青年に、ニアは半眼
だった。
 小魚が、のんびりと青年の上を泳いでいった。




 ようやく乾いた服を摘み上げ、青年は溜息をつく。ペンを取り出して、花壇の注意板に書き込
みをした。通りかかった老人が、困ったように、
 「ライト。それは書き込み掲示板ではないんだよ……」
 くるっと振り向いて、脇に抱えていたメモ帖になにかを書き込む。そして、それを見せた。
 『みんなやってる。』
 「それをやらせないようにするのが、年上の役目なんだが……」
 老人の言葉は無視して、かりかりと書き込みを続ける。
 もう一本、注意板を立てるか…などとぼやいて、老人は去っていった。入れ替わりで、子供達
がわらわらと青年の後ろに集まる。その中にはメロの姿もあった。覗き込むと、新しい書き込
みで『メロに背中を見せるべからず』と、濃く書かれていた。怒っているのが、その乱暴な書き
方から分かる。周りの子供達の視線が、メロに向けられた。彼は一瞬引き攣った顔をして、
 「うりゃっ。」
 背中を見せている青年の背中を蹴った。顔面を花壇につけることは免れたものの、慌てて突
き出した両手が土塗れになる。声を立てて笑っているメロに振り返り、仕返しだといわんばかり
にその汚れた手で彼の両頬をつまみあげる。笑い声が悲鳴に変わった。かわりに周りから笑
い声が上がる。
 一人が、自分たちの背後の存在に気がついた。感染したように、他の子供達も後ろを振り向
く。最後に、ライトとメロがその男を見た。
 日本人だ。50代ぐらいで、背広を着ている。男は、青年を凝視していた。
 そこにあった楽しい空気は、一気に緊張へと変わった。特に青年は、明らかに怯えの色を見
せて後ずさった。周りの子供達は、守るように青年と男との間に立つ。
 「おじさん、誰?」
 メロがぶっきらぼうに尋ねた。男はそれに答えず、青年を見つめ、
 「………月か?」
 知らない人間に自分の名前を呼ばれ、青年は怯えの色を濃くした。緊張でメモ帖とペンを取
り落とす。そのまま逃げ出してしまった。子供達も、後に続く。
 追おうとするが、急いで閉じられた玄関に阻まれ、立ち止まらざるを得なくなった。呆然とそれ
を見つめると、
 「どちら様でしょうか?」
 老人が、警戒した目でそう問いかけてきた。男は、流暢な英語で答える。
 「今の子と、話がしたいんです。」
 「今の子、とは?」
 「月です。一番年上の子供です。」
 男は、青年を子供と言った。老人は、訝しがり、
 「あの子が、何か?」
 男はきっぱりと、
 「月の、父親です。」
 「あの子に父親はおりません。」
 老人はぴしゃりといいのけ、男を退けると扉へと入ろうとする。その背中に、父親と名乗った
男は続けた。
 「Lから話を聞いてここに来ました。」
 老人は動きを止めた。扉の隙間から、子供の何人かが顔を覗かせている。Lという言葉に反
応した老人は、ちらっと男を見て、
 「………どうぞ。」
 渋々と言った感じで、男を招き入れる。
 男は、入る前に青年が落としていったメモ帖を拾い上げた。
 黒い表紙の、メモ帳だった。




 暖炉のある部屋に通された。ロジャーと名乗った老人は、暫くお待ちくださいといってどこか
に電話をかける。暖炉前のカーペットにぺたりと座ったニアが、パズルを組み立てながら時折
男を監視していた。やがて彼が電話を切り、ニアに目を配らせる。少年は一つ頷いて、部屋を
出て行った。
 ロジャーは男と向かい合わせに座ると、幾分敵意を和らげて、
 「今、Lに確認をしました。」
 一拍、間をおく。
 「本当に、お父様でしたか。」
 「貴方は?」
 「ここの施設の運営者です。」
 部屋に、置時計の音だけが、かちかちと暫く鳴り響く。
 「……確かに、貴方はあの子の父親のようですが……会わせるわけにはいきません。どう
ぞ、お引取りください。」
 「何故?」
 夜神総一郎は、眉根を顰め、だがしかし予想していた答えに静かに問いを返す。ロジャーは
厳しい目付きで彼を睨み、
 「それは、貴方が一番理解しているかと。」
 「私は父親です。何故息子に会えないのですか?」
 「許可がでていません。それに……『夜神月』という青年は死にました。今ここで働いているの
は、ライトという親無しの、戸籍のない青年に過ぎません。」
 「だが、私は父親です。」
 「しかし、あの子は貴方の顔を見ても、思い出せずに逃げました。恐らく今会わせても、同じこ
とをするでしょう。」
 総一郎は黙り込んでしまう。瞳には、悲壮の色で、そこをなんとか、と訴えかける。老人はそ
こから目を逸らし、
 「お引取り、ください。」
 「もう一度…もう一度だけでいいんです。会わせて下さい。お願いします……。」
 深々と頭を下げられ、ロジャーは複雑な面持ちでその頭部を見つめた。その時、扉の所で気
配がしたので振り返ると、メロが隙間からじっとこちらを見ていた。
 「どうしたんだ?」
 老人の言葉には答えず、少年は顎をしゃくってテーブルの上に置かれたメモ帳を指した。そ
れを返せという意味らしい。顔を上げた総一郎が理解した頃に、ロジャーが口を開く。
 「メロ。この方をライトの部屋まで案内してやりなさい。」
 「俺が!?」
 自身を指差し、信じられないというふうにメロが叫ぶ。総一郎は目を丸くした。ロジャーは優し
い目で彼を見つめ、
 「どうぞ……それを、本人に返してあげてください。」




 メロは、総一郎を上から下までじろりと見つめる。微かに、息子に似た知性の高い、すべてを
見透かすような鋭さに怯むが、少年は無言で場所を案内した。
 屋根裏部屋だった。後から新しく作り変えたのか、急なのぼり階段を見つめていると、メロが
始めて口を開く。
 「ライトを連れて帰るの?」
 腰に手を当てて、精一杯大人に向かって偉そうな態度を取ってみせる。そこには、冷たい知
性の変わりに子供らしさが窺えて、ほっとする。総一郎は首を振り、
 「そのつもりだったが……そうはいかない状況らしい。」
 それ以上は語らず、階段を上ると、扉部分の天井を押し上げた。
 部屋の中は天井窓から日が良く当たっていて、暖かい。掃除された清潔な床と、塵や埃がふ
き取られた家具。以前は物置だったものを無理やり部屋に作り変えたのか、物を引きずった
跡が見られた。
 部屋の隅に取り付けたベットに、彼はいた。総一郎が入ってきたことに驚いたらしい。怯えた
子犬のような瞳で、じっと様子を窺う。一緒にいたニアが、パズルを組み立てる手を止めて警
戒していた。
 総一郎は、できるだけゆっくりと部屋に入る。手にメモ帳を掲げてみせるが、青年はベットか
ら降りる気配がない。
 仕方なく、歩み寄った。が、一歩前に出た瞬間、青年が上げた悲鳴によって立ち止まってしま
った。
 言葉にならない悲鳴とは、まさにこのことなのか。言葉を知らない子供のように、彼はただ悲
鳴を上げた。ベットのシーツを掴み、やがてそれは嗚咽交じりの声となる。顔をくしゃくしゃにし
て、頼むから近づかないでと悲鳴でそう表現していた。ニアが立ち上がって宥めるが、恐怖に
興奮した青年はなかなか悲鳴を止めない。
 声を聞きつけて駆け上がってきたメロも、一緒になって慰める。下の階で、数人の足音も聞こ
えた。
 総一郎は悲しそうに目を伏せると、メモ帖を床に置き、立ち去った。




 「知らない人間は怖いんです。特に、男の人にたいしては、いつも……。」
 ロジャーは紅茶を入れながら、静かに話した。
 「ですから、そんなに気を落とさないでください。」
 暖炉のある部屋に戻った総一郎は、項垂れたまま返事をしなかった。無理もないだろう。実
の息子に悲鳴を上げられ、全身全霊で拒否をされたのだ。耐え難い絶望感の中、総一郎は椅
子に座り、
 「そんなに……『あそこ』で酷いことをされたんですか?」
 「……詳しくは、私も知りません。ただ、1年前初めてここに来たときにには子供達以外には
絶対に近づきませんでした。医療関係のものもダメです。以前、予防注射に来た医者に対して
泣き出しました。聞いた話では、助けられた時には自我も定まっていなかったそうで……」
 眩暈がしそうな現実に、総一郎は尋ねる。
 「……というと?」
 「なにを言っても無反応。無関心。生きた人形のようだといっていました。しゃべることも出来
ませんので、記憶があるかどうかは定かではありませんが……なにかを思い出した素振りは
見せたことはありませんね。」
 「……知りませんでした……息子は、死んだものだとばっかり……」
 彼は目を覆うと、溜息をつく。ロジャーは総一郎にカップを差し出す。
 なにも語らない空間が、しばらく続いた。紅茶から湯気が消えかけた頃だろうか。表のほうで
車が止まる音がする。2人が顔を上げると、玄関のほうで扉が開く音がした。同時に、子供達
が騒がしく、訪問者をはやし立てている。
 その訪問者は、子供達を無視して即座にこちらの部屋に向かってくる。
 扉が開くと、三年前に別れた人物が、息を切らしながら猫背で立っていた。
 「L。」
 総一郎も立ち上がるが、自然と目付きが鋭くなる。それを悲しそうに受け止め、かつて竜崎と
いう偽名を名乗っていた青年は、ゆっくり会釈をした。




 「私は子供達を見てきます。この部屋には誰も近づかせませんので……」
 人払いを望んでいる空気を逸早く読み取ったロジャーは、そう言って部屋を出て行った。
 Lは立ち尽くしたまま総一郎を見つめたが、やがて嘆息すると、
 「よく、ここが分かりましたね。」
 「嘘をついていたんだな。」
 詰問するような口調で、彼は言った。
 「L。お前は二年前に連れて行かれたあの子の消息の結果を教えてくれたな。死んでいたと。
お前は確かにそう言った。だが、嘘をついた。何故だ!?」
 語尾が、自然と叫んでしまう。Lは彼の目を見ずに沈黙する。総一郎は悔しそうに歯軋りをし
て、
 「そんなに……息子を自分のものにしたかったか……」
 「違います。」
 その言葉に、即座に青年は反論した。
 「貴方に、彼を見せることが出来ませんでした。」
 「何故?」
 「言えますか?デスノートを取引に使ってまで救い出した彼が、もう自我のない抜け殻だった
と。」
 その言葉に、総一郎は目をむく。
 「あのノートを……!国に渡していたのか!?」
 「じゃあどうしろと!?」
 責めるように言われ、たまらなくなって青年は言い返す。
 「国は、彼が能力で人を殺したと思っていました。しかし殺し方さえ知れば、国は彼を用済み
と判断します。もうそれ以外、国が彼を手放す理由を作り上げることが出来ませんでした!彼
は……!」
 そこでいったんトーンを落とし、肺から搾り出すような小声に押さえる。
 「彼は、犯罪者です。他の国に助けを求めることなど、できません。」
 「……すまなかった。」
 感情的となった自分を責め、総一郎は目を伏せる。Lはそっと視線を、窓の外に向けた。
 そして、『彼』をようやく見つけたときのことを語り始める。
 「取引は、成功しました。私は、彼を迎えに行ったんです。」
 椅子を引っ張り出し、それに座る。いつもの、あの推理力を高める座り方ではなかった。なに
も考えたくはないのだろう。
 「でも、彼はもう、夜神月ではありませんでした。」




 迎えに行ったその先は、特殊医療施設という檻だった。
 ただ純白の色で構成された廊下に、嫌悪感を感じたのはよく覚えている。そしてその先に繋
がれた、部屋……幾つもの電子パネルの鍵を解除してから辿り着いたそこは、驚くほど広く、
簡素で、吐き気を催した。その部屋の隅で、壁に寄りかかって座る青年を発見すると、心が歓
喜に震える。どれだけ探しただろうか。
 キラであるという事実を突きつけ、その一時間後に姿を消した青年……キラ逮捕を志願した
警察官達の中に、国との繋がりを持った男がいたと知ったのは、笑える話で数日後のことだっ
た。
 その顔も知らぬ男が、あれだけ厳重に守ってきた情報をどうやって盗み出したのかは分から
ない。ともあれ、叛逆者に連れられ消えた青年の行き先は、容易に想像はできた。だが想像
ができても、正確な位置はわからない。ノートの存在が明るみに出なかったことが、幸いだった
とその時は思った。すぐに月は、ノートのことを国に話すだろう。そうしたら、ノートを持っている
此方で交渉をすればいい。
 だがしかし、月は一言たりとも口を割らなかったそうだ。その気丈な心が、利口な判断をする
前に壊れてしまったらしい。半年後、ノートの所持権を破棄した彼の精神は、いよいよ追い詰
められていった。そして主人を無くしたノートの権利は、その時点で持っていたLに引き渡され
た。その事を知らせに来た黒い死神が、こう言った。
 「あいつを助けなければ殺す。」
 その死神が、月のことをどう思っていたのかは知らない。もっと笑える話なのは、初めてそこ
で、ノートの情報が漏れたことについて幸いではなく、最悪な災いであったと痛感したことだ。
 自分が、夜神月=キラを如何したいのかは分からない。だが、その感情について探求してい
る暇はなかった。国に交渉を持ちかけ、ノートの存在を信じ込ませ、そして夜神月を確実に、安
全に連れ戻すことに半年もかかったのは、滑稽を通り越して呆れてしまう。
 一年。随分と長かったような気もするし、短かった気もする。
 人形のように足を投げ出し、俯いている青年にゆっくりと近づいた。眠っているものだと思っ
た。だからすこし、驚かしてやろうと思った。傍に寄り、優しく揺り起こしてやるのだ。もう大丈
夫。なにも心配は要らない。ここを出たら、家族に会いに行こう。
 覗きこむと、彼はうっすらと目を開けていた。
 彼の容態が異常であると気がついたのは、何度揺さぶっても反応がなかったからだ。
 ゆっくりと、その体を抱きしめ……Lは初めて、彼に対して涙を流していることに気がついた。




 「それから、彼の自我が構成されるのに、一年かかりました。」
 遠い昔話でも聞かせるように、Lは窓の外を見つめる。
 「3ヶ月、彼のその状態は続きました。4ヶ月目でやっと他人に対して反応をするようになりま
した。もっとも……私以外の人間に対して悲鳴を上げるだけでしたが。彼に投与された薬を抜
き終えて……ようやく、人間らしい感情が出始めたのは一年前です。」
 聞き終えた総一郎は、傷口を抉られるような痛みを耐えて、こう問うた。
 「何故…その間に一言も連絡をよこしてくれなかった……?」
 「二年前、もう彼はダメだと思いました。だから、貴方には死んだと伝えました。死んだと伝え
たのに、後から生きていたとは言いにくくて…それに、もう彼は夜神月ではない。」
 「だが、息子であることには変わりはない。」
 「本当に?」
 聞かれ、総一郎は口を紡ぐ。
 「本当に?彼の様子を見ましたか?記憶も人格も変わった、他人を見ると悲鳴を上げるだけ
の青年を、貴方は夜神月だと思いましたか?姿形が同じであれば、貴方はなんでも良かった
んですか?」
 「違……」
 「それとも、記憶が戻ってくれるという希望に縋りましたか?私は一年間、それに縋り続けまし
た。でも、それじゃあダメなんです。過去の彼に縋りつくことは、現在のあの子を否定すること
になる。私はそう思って、諦めました。」
 「……私にも、諦めろというのか……?」
 Lは首を振る。
 「私は、そう思うことにした、というだけの話です。」
 そこで話は終わりだ、と、その後に落ちた沈黙が語っていた。
 Lは立ち上がると、感情の読み取れない無表情で、
 「今、私はここから少し離れた郊外に住んでいます。何か用がありましたら、来てください。で
も、あと一ヶ月したら、仕事でこの国を離れますので。」
 「月を……ここの施設に置いていくのか?」
 「いいえ。本人にその事を話したら、ついていくと言いました。連れて行きます。」
 出て行こうとすると、ドアの隙間から覗いていたメロと目が合った。
 話を聞かれていたことに驚いて、総一郎がLを見る。Lは、大丈夫です、と前置きして、
 「この子には、事情を教えています。この子の他に、ニアという子にもすべて話しました。事情
を知っている人間を、彼の傍においておきたかったので……」
 なるほど。年齢が随分高いのに、施設で暮らしているのはそのせいだったらしい。メロは頭だ
けを隙間から出し、
 「ライトが泣いてる。」
 「知ってます。今から行きますよ。」
 そして、もう一度だけ総一郎に振り返った。
 「諦めろとはいいません。しかし…今日は、お引取りください。」




 床扉を押し上げると、子供のような泣き声が耳に入った。シーツの塊の隣に座るニアが此方
に顔を上げる。部屋から出ていなさい、と目で言いつけると、少年は物凄い不服そうにベットか
ら下りた。Lを横目で睨みながら、階段を下りていく。前はいつだって自分に懐いたはずなの
に。いつの間に反抗的になったのだろうと頭が痛くなった。入れ替わりで、メロがひょこっと入り
口から顔を出し、好奇心旺盛な瞳で、
 「なに?キス?キスして慰めんの?ベッドがあるからって18禁はダメだ……ぎゃあ!」
 下らないことをはやし立てるガキの頭に、床扉を思いっきり叩き付けた。階段を転がり落ちる
音がしたので、さすがにまずいかなとも思ったが、あえて無視することにする。
 震えるシーツの塊に寄り、そっと叩く。一段と大きく震え、泣き声が止まった。
 「ライト。」
 声をかけると、その主が分かったのか、彼はぱっとシーツを剥ぐ。ライトはじわりと涙を浮か
べると、震える腕で助けを求めるように抱きついた。
 優しく背中を叩いてやり、ようやく気持ちが落ち着いたのか、チェストに置かれた黒いメモ帳と
ペンを手に取ると、素早く文字を書き始める。
 『知らない人が来てた。』
 「ええ、そうですね。」
 『だれ?』
 「私の友人です。」
 『Lの友達?』
 「そう。」
 『こわくない?』
 「優しい人ですよ。」
 『ほんとう?』
 「ええ、本当です。」
 ライトは少し微笑み、
 『Lがそう言うなら、信じる。』
 「……ありがとうございます。」
 ぎこちなく微笑みを返し、再び抱き寄せる。絶対的な信頼を寄せて、胸の中にすっぽり納まる
青年。愛おしい想いが込み上げ、くしゃくしゃになった髪の毛を梳かしてやりながら、額にキス
をする。額から頬へ、そして、少女のような小さい唇にそっと口付けをしようとして……嫌な予
感がしてちらっと床扉を見る。
 メロとニアと数名の子供達が、期待を籠めた瞳をしながら顔だけを出して……襲い掛かって
きたLに対し、蜘蛛の子を蹴散らすように逃げていく子供…いや、ガキ共。
 ライトが顔を真っ赤にしながら、またシーツを被った。





 とりあえず、主犯格のメロにボディーブローを食らわせた後、夕食を一緒にどうかと誘われ、
承諾した。
 夕方頃にはライトも落ち着き、屋根裏部屋から出てきた。暖炉のある部屋で、まだ腫れた目
を擦りながら、騒ぐ子供達をあやしていた。本来、子供達をまとめる年上のニアとメロは、完全
に我侭に自分の好きなことをしてそれらの仕事を全てライトに任せている。
 「ニア、メロ。年上ならもっと仕事をしなさい。」
 「そういうアンタはイスに座ってるだけじゃん。」
 「私はお客様です。」
 イスに、膝を抱える独特の座り方をして答える。周りの子供達がイスを蹴り飛ばしたり、Lの
体ごとイスを傾けようとする。当然だが、周りの子供達は威力のない蹴りを食らわせている相
手が世界の切り札と言われているLとは知らないらしい。ついに根気負けして、Lはイスから離
れると、可哀想なイスが子供達によって薙倒されている。
 暇を持て余してニアの傍に寄ると、Lが近づいても愛想笑いすらしない少年は、床に直に座っ
てパズルをしていた。イルカなどの海の動物を描いた、有名な画家の絵のパズルだ。かなり大
きいもので複雑そうだが、この少年にしてみれば大したことはないだろう。だが、彼がこのよう
に絵にこだわったパズルをするのは珍しい。
 「皆にあげるんです。」
 ニアが言った。
 「もうすぐ、私達もここを出て行くので…。」
 ニアとメロには、今回の仕事で補佐を勤めてもらうためついてきてもらうつもりだ。すでにここ
を出て行かなければならない齢であるにもかかわらず、Lが無理を言ってライトの保護役として
彼らについていてもらっていた。一ヵ月後に、その役目は場所を移すこととなる。つまり、Lの下
に来るということだ。
 「ライトのことは、好きですか?」
 Lが尋ねると、ニアが目を丸くして顔を上げた。ぽとっとピースを落とし、何か言おうとするが
口を魚のように開閉する。Lは半眼になり、
 「…………私は、懐いているかどうかの意味合いで言ったんですが……」
 勘違いに気がつき、ニアが目を逸らす。かなり立腹したらしく、顔を上げることなはかった。
 子供達とプロレスごっこをしているメロにも、同じような質問をする。
 「は?俺?好きだよ?だから?」
 他の子供の首を腕でねじ上げながら、あっさりと言ってきた。子供らしい物言いようにLが安
心していると、メロはさらに続けた。
 「どのくらい好きかって言うと、あれだよ、アンタがあいつを想ってるのと同じぐらい。」
 ませたガキの頭を叩き、ライトの姿を探す。おやっと、見回した。
 先程まで必死になって子供達をまとめていた月の姿がない。
 「げんかんにいったよ。」
 聞くと、女の子が扉を指した。
 外はすでに薄暗く、出る用事が思いつかない。心配になり外に出ると、すぐにその姿は発見
できた。
 花壇の傍で、ライトが男と話していた。いや、話しているというよりは、男が一方的に話をし
て、ライトが緊張で体を強張らせているといった感じだ。
 「私の事を、本当に覚えていないのか?」
 総一郎は、必死にライトに話しかける。青年は、俯きながら質問には答えずにいた。
 帰ったと思ったのに。Lの感情が鋭くなる。なにか言おうとした瞬間、会話は終わる方向に向
かっていた。
 「…………すまなかった。いや、君が息子にとてもよく似ていたので………」
 無理やり他人行儀な台詞を口にする男に、ライトはゆっくりと顔を上げた。首を振り、大丈夫
だという意味合いを相手に向ける。
 「…………一度でいい。抱きしめていいか……?」
 かなり逡巡した後、ライトはおずおずと頷く。総一郎はゆっくりと、その細い体躯を抱きしめ
た。
 なにを、父親は思ったのだろう。
 自分を父親と呼び、駆け出してくる青年の幼い姿を夢見たか。だが現実は、足をがくがく震わ
せて、自分の抱擁が終わるのを待つ青年の姿。一度だけ頭を撫でて、その体を離す。
 「………明日、私は日本に帰る。家族がいるからね。その前に、もう一度会いに来ると思う。
色々、すまなかった。」
 男は何かを諦めたようだ。総一郎は背を向け、青年を残して立ち去る。
 ライトは、その寂しそうな男の背中を、ただただ見ていた。




 天窓に、夜空に浮かぶ星空が張り付いてる。
 小さい四角のその窓を、月は仰向けの状態でじっと見ていた。
 「ライト。」
 Lに呼ばれ、ベッドから身を起こす。ぼーっとしていて気づかなかったが、Lは床扉を押し上げ
て部屋に入ってきた。扉を閉じてから、イスを引っ張ってきてその扉の上に置く。これで覗かれ
ることはないだろう。
 電気は点けず、月のベッドに寄った。端に座り、なにかを言いにくそうにしている相手に月は
目を瞬かせた。
 「………先程、夜神さ……あの男の人と話をしていましたね。」
 ライトはメモ帖を取り出す。
 『うん。息子さんと間違われた。』
 Lは、ライトの目を見つめる。人間違えと信じて疑っていない純粋な青年。その両肩を掴み、L
は囁くように真実を口にした。
 「彼は、貴方のお父さんです。」
 ライトは、微かに瞳を揺らしただけで、反応はなかった。
 「………貴方は、夜神 月。私は、貴方のお父さんから貴方を紹介されて、友人となりまし
た。夜神さんは、貴方を連れて帰ろうと思ってここに来たそうです。ライト。」
 青白いその頬を、手の甲で撫でる。
 「好きなようにしなさい。私の意見ではなく、貴方がそうでありたいと思うことをしなさい。貴方
には家族がいます。お父さんもいるし、お母さんもいる。妹さんだっている。彼らと暮らすことだ
ってできる。だから、無理に私の所に来なくていいんです。」
 ライトはすぐに、ペンを走らせた。
 『無理なんて、言ってないよ。』
 「貴方には、人並みの幸せが待っているんですよ。」
 『でも、僕はLといたい。』
 「ライト……」
 これは言いたくなかったというように、Lは一度口を閉じてから、話した。
 「記憶のない貴方にこんなことを言うのはおかしいと思います。ですが、聞いてください。貴方
には貴方の家族を幸せにする義務があります。貴方が両親の元で育ち、両親が貴方に愛を注
いで貴方がそれを受けたならば、貴方はその家族に対して幸せを返さなければならない。それ
は難しいことじゃありません。ただ、彼らの傍にいるだけでいいんです。もちろん、その義務を
放棄することは自由だし、貴方にはその権利もある。ですが、なにも考えずにその義務を放棄
してはいけません。私の言いたいこと、わかりますか?」
 ライトは、その長い言葉を頭の中で整理しているようだ。つまりは、安易に答えを出すなという
内容であることを理解し、メモに文字を走らせる。
 『ずっと、考えていたよ。』
 「………………。」
 『僕に家族がいて、家族とL、どっちかとれといわれたら、僕はLをとるよ。ここの施設の皆も
家族だけど、でも、僕はここを出ることに決めた。僕は義務を放棄するよ。たとえそれで誰かを
傷つけても、僕はLと一緒にいたい。』
 「私と一緒に行ったら、私はもう二度と、貴方を離さないかもしれないんですよ?後から、家族
に会いたいと言っても、私は貴方を縛り付けるかもしれませんよ?それでもいいんですか?」
 ライトは、恥じらいながらも、こう書いた。
 『Lだったら、いいよ。』
 触れるだけだった頬を固定して、Lは優しく口付けをする。怖がらせないように、その体を押し
倒した。ぎしっと、二人分の体重でベッドが軋み、ライトが驚いたようにLを押し返す。
 Lは笑い、
 「何故?もう私達は、初めてというわけじゃないでしょう?」
 月はぶんぶんっと否定する。そして、指でベッドを……正確にはベッドの下を指差す。
 本日嫌な予感は、ニアとメロの声で当たった。
 「へー、もう初めてじゃないんだー。なに?なに?何回目?」
 「不純ですね。最低です。」
 「……………………………。」
 汗ばんだ手でゆっくりと布団をはぎ、パイプベッドの下を覗き込む。
 不機嫌なニアと、好奇心旺盛なメロと、目が思いっきり合った。




 「すみませんでした!ごめんなさい!いや、別に、覗こうと思ってベッドの下に隠れたわけじゃ
なくて!俺じゃなくてニアが下に隠れろって合図したから!」
 「…………………。」
 ライトの部屋で怒るのもなんなので、Lはメロとニアの部屋に移動してとりあえずメロの首を締
め上げた。ギブアップと叫ぶメロを放り出し、不機嫌に背中を見せてイスに座るニアを睨む。
 「本当ですか?ニア。」
 「………別に。」
 なにがどう別になのか聞きたくなって、聞いても意味が無い事が分かっていたので溜息をつ
く。メロがのろのろと這い上がり、
 「……ってか、なんで俺だけ?」
 「ニアの首を絞めて答えてくれるわけないでしょう。」
 「いや、首絞めずに普通に聞けよ。」
 その当のニアは、髪の毛を弄りながらむすっとそっぽを向いた。Lは何度目になるか分から
ない嘆息を吐き出すと、
 「反抗期ですか?時期が遅くありません?」
 「いや、普通に嫉妬だろ。気づけよ、それくらい。」
 ツッコミを入れてくるメロに、Lはぽかんっとする。
 「嫉妬?」
 「だから、ライトとらぶらぶちゅーな態度をとっていると、ニア君はそれがちょームカツク…ッ、
痛……〜〜〜!?」
 高速で飛んできた本の角が、馬鹿な造語で語っていたメロの額に当たる。転がりながら痛み
を表現する少年。ニアは冷たい目でそれを追い、
 「別に、そういうわけじゃありません。」
 「発言と行動が一致していません……よっと。」
 Lが飛んできた本を両手で受け止めた頃には、ニアは何事もなかったかのように髪を弄って
いる。こんなガキ共に自分の跡を継がせていいのだろうか。ふと、本気で不安になりながら、二
段ベッドの下に腰をかけた。
 「ライトのことをどう思っても構いませんが、事件を手伝う時には余計な感情はださないようお
願いしますよ。」
 「無理無理!ニアはライト君がだぁい好きだからそんな気持ちに嘘をつくようなことは……っ
て、痛ってぇな!テメェは!黙ってりゃ、いい気になりやがって!」
 飛んできた本にキレたメロが、それを投げ返すとまたニアが投げ返す。ボロボロになっていく
ハードカバー本を眺め、Lがぼそりと言った。
 「………ライトをここに残していきましょうか。」
 本の投げ合いが、ぴたりと止んだ。
 「え?いや、あの、俺本気で言った訳じゃないよ?ただの冗談だって!」
 「いや、そういうわけじゃなくて……」
 慌てて弁解するメロに、Lは頭を振りかぶり、足を床に投げ出す。
 「………ライトはやはり、まだ私の所に来るのは早すぎる気がする。」
 「……じゃあ、いつになったら彼はLの元に行けるんですか?」
 ニアが冷ややかに尋ねる。その視線から逃れるように、Lは爪のささくれに触れながら、
 「……いや、それは……。」
 それっきり、言葉が続かない。
 そのいい加減な態度に、メロはいらいらしながら、
 「なんだよ。ハッキリしねぇ奴だな。お前さ、ホントにライトのこと好きなの?」
 ずばっと他人の繊細な領域に踏み込む少年に、Lもまた苛立ちながら、
 「嫌いじゃ……ありません。」
 「うっわ、最悪。一番最悪の答えだよ、それ。女がそう答えるならまだしも、攻めの男がそうい
うこというのは最悪以外のなにものでもないぞ、マジで。」
 子供になにがわかる。偉そうに手に腰を当てて言ってくるメロに、Lは声を荒げた。
 「貴方には関係ないことです。大体、ライトが私の所に来なかったら、貴方方は私の手伝いを
しないとでもいうんですか?」
 ニアが、なにも言えずに押し黙る。が、メロは意外と冷静に、そしてはっきりと頷いた。
 「関係あるよ。ライトが行かないなら、俺も行かない。」
 空白の時間が、動揺を浮き彫りにする。感情的な行動は、今に始まったことではないが、まさ
かここまでとはと頭を抱え、Lは諭そうと口を開こうとする。それを感じ取ったメロが、素早く次
の言葉を続けた。
 「っていうか、最初に誘われた時、ライトが一緒についていくっていうことで俺も行くことにした
んだ。別に、アンタの跡を継ぐのにアンタの下で働かなきゃいけないってわけじゃないんだろ?
なら俺は、自由にするよ。ライトと一緒にここを出て、別の場所で別に仕事をして功績をあげ
る。アンタが死んだら、俺とニア、どちらかがアンタの跡を継ぐよ。あ、遺言書、書いとけよ。そ
れで喧嘩になったらアンタのせいだから。」
 「………こんなこというのもアレですけど、媚びるとか、思わないんですか?」
 「媚びてあんたの跡を継げるんだったら、俺は最初から継ぐ気はないよ。言わなかったっ
け?俺。ライトが好きだって。アンタみたいに優柔不断な性格じゃないから。」
 Lは立ち上がる。
 「相手の幸せも考えず行動するほど、私は子供じゃないんですよ。」
 「相手の気持ちを分かっているのに、知らないフリをする大人は嫌いなんだよ、俺。」
 ゆっくりと腕を組み、攻撃するように相手を見るメロ。そこには昔のような、すべてを感情に任
せる姿勢ではない少年がいた。気圧されるような感覚に、Lは首筋に嫌な汗をかく。
 逃げ口のように、Lはニアに話を振る。
 「ニア。貴方もそうなんですか?」
 「私は………」
 考えても見なかったニアは、口篭って答えを後のばしにする。つまりYESとはいえないがNO
ともいえないといったところか。
 「………勝手にしなさい。」
 どちらが子供なのやら。Lは早口に呟くと、部屋を出て行った。





 まだ朝靄が立ち込める。日の光が、花壇に立ててある文字を照らす。
 総一郎は、それらの文字を一通り眺め、くるっと回して裏返しにした。
 そこにも、文字があった。こちらはまだ新しいのか、文章の数は少ない。
 『ライトがLとキスしてた』←『してないです。見間違えですよ。』←『ニア、現実逃避はよくない
よ。』  『えるはらいとをつれてっちゃうらしい。』 『メロ、本当?』 『なんで俺に聞くの?』 『一
緒に行くんでしょ?』 『ニアも一緒らしい。』 『ひきょうもの』←『誰?これ書いたの。』 『どうし
て行っちゃうの?』    『今日来てた人、誰?』  『月のお父さんらしい。』 『つれてかえっち
ゃうの?』 

 『つれていかないで』

 注意板を元に戻し、総一郎は立ち上がった。ライトのコメントはなかった。
 一度だけ、ライトがいるはずの建物を見上げ、そして車に戻ろうとする。このまま空港に向か
い、二度とあの子には会わないつもりだ。
 「夜神さん。」
 総一郎が振り向くと、Lだった。待っていたらしい。厚手のジャケットを着て、開けた玄関の扉
を閉める。
 「もう一度……きちんと貴方とお話がしたくて。」
 「………もう、息子の話はこれ以上聞きたくない。息子は死んだ。私も、そう思うことにした。」
 「……いえ。そのことではありません。」
 辛そうに、俯き加減でLは必死に言葉を紡いだ。
 「私は、貴方に聞きたいことがあって、ここで待っていました。」
 なにを言われるのかわかったかのように、総一郎は立ち止まった。
 「私は、ずっと考えていました。いえ、答えは出ていましたが、これを聞いたらライトの幸せが
崩れるんではないかと、そう考えていました。」
 「…………………。」
 「こんなことを言った所で、なにも変わらないことは知っています。ですが、貴方の口から真実
を聞きたかった。」
 「………なんだ?言ってみてくれ。」
 あまりにも静かに言葉を待つ総一郎に、Lは肩から力を抜く。
 「松田を覚えていますか?あの時、一緒にキラの捜査をした天然男。」
 「忘れるわけがないだろう。」
 「先日、連絡が来ました。そして質問をされました。」
 目の奥が熱くなる。ライトと総一郎の姿を見て、その真実が聞きたくなった。
 「何故?私達を裏切ったんですか?」
 相手は、目を細めた。
 「……夜神月を国に渡したのは、貴方ですね。夜神さん。」




 考えた。
 あのメンバーの、そしてあの場面で、自分達を裏切るのは誰なのか。
 「……受け渡したわけじゃない。」
 総一郎は、疲れきった表情でその言い訳を吐き出した。
 「国は、息子を保護してくれるといった。」
 だが、結果は違った。
 「L。お前には分からないだろう。息子が殺人者だったと言われ、死刑だと裁判官でもないお
前に突きつけられた時の、父親の気持ちなんて。」
 「ええ。分かりません。私には、子供はいませんので。」
 別に馬鹿にしたわけじゃないが、総一郎の声音に熱が篭り始める。
 「分かるか……?自分の愛する家族が、キラだと糾弾されるその瞬間を想像した痛みが。国
は、月が人を殺す能力があるのならば、そのまま生かしてくれると言った。私はそれに縋った。
嫌がる息子を、彼らに突き出した……!」


 「どうして……どうしてなの?父さん!やめてよ!」


 「一ヶ月に一度だけ、あの子との面会が許された……本当なら死刑で、姿を見ることのない
息子は、確かに私に話しかけてくれた……!」


 「父さん……ここから出して……Lに会わせてよ……」


 「だがそれも、半年で終わった。国は息子が死んだと言ってきた。遺体はなかった。すべてを
話しておいた妻に詰られたよ。騙されたんだと。」




 ライトは、拭いていたテーブルから顔を上げると、窓の外に気配があって、覗いてみた。
 昨日、自分を息子だと言って抱きしめた男と、Lがいた。
 会話が、微かに風に乗って自分の耳に届く。
 ライトは、そっとガラスに手をつく。
 悲しい目を、していた。




 「……夜神さん。私は、貴方を憎んでいます。はっきりと言えます。月君は、貴方のせいで死
ぬよりも辛い仕打ちを受けた。私は絶対に許さない。それを……今更になって!連れて帰ろう
だなんてムシが良すぎるんですよ!」
 怒るつもりはなかったのに、気がついたらLは怒鳴りつけていた。
 朝の静かな空気に、その悲痛な声は響き渡り、相手の耳に染み込ませる。
 「一体、ここの居場所をどうやって知りましたか!?また、国に頼みましたか!もう…二度と
…彼には………!」
 「L。」
 恐ろしく静かに、総一郎は尋ねた。
 「……お前は、何について怒っているんだ?」
 「分かりませんか!?今、言ったはず……」
 「いいや、違う。お前はもっと違う所で、どうしようもない怒りを私にぶつけている。もし、本当
にそれを言いたいなら、三年前に言っていたはずだ。」
 はっとして、Lは怒りまかせにしていた感情を止める。
 「お前はしきりにこう言ったな。月は、死んだと。」
 事実を突きつけられる。そう感づいたLが、身を翻して去ろうとする。その足を、総一郎は一
言で止めた。
 「月は、本当に死んでいるんじゃないか?」




 一人、窓の外に目を向けている月を発見して、メロがその両脇に立つ。
 視線を同じように向けると、Lの泣いている姿が見えた。




 「違う。」
 零れ落ちた涙をふき取り、Lは否定する。
 「月君は、生きている。」
 「私が、実の息子と他人の子供を間違えると思うか?」
 「違う……」
 「黒子の数だって知ってる。背丈がどれほどだったかぐらい覚えている。あの子は月じゃな
い。抱きしめた時、首筋に知らない黒子があった。それに……」
 「違う!」
 噛み付くように、Lは根拠もないまま否定を繰り返した。
 「確かに、生きてると言った!だから、私は、わたしは……」
 分かっている。死神が、月が死んだと知らされた時、すでに知っていたのだ。一年間も監禁さ
れて、生きているという保障はどこにもなかったのだ。分かっている。知っている。だが、そんな
の。そんなことは。
 「酷いじゃないですか……」
 崩れ落ちるように膝を突き、Lは子供のように泣いた。
 「国との交渉は上手くいき、彼の所在を突き止めた瞬間……あの黒い死神はなんと言ったと
思います……」


 「………月が死んだ。……遅かったな。今日が、あいつの寿命が尽きた日だよ。」


 「酷いじゃないですか……何故、もっと……その寿命が尽きる日を教えてくれなかったのか…
…『助けろ』というなら、掟なんか無視して、教えてくれればよかったのに……私は信じなかっ
た。寿命が変わっているかも知れない。だから、それなのに、あの黒い死神は……」


 「この子は、月じゃない。名前が違う。顔を整形された、他の人間だ……。」


 「それでも…信じなかった……信じたくなかった。私は、月君を……」
 まるで神に懺悔するように、Lはそう、告白した。
 だが総一郎は、聖職者ではない。顔を背け、車に向かう。
 「……私は、ライトをどうすればいいんですか……私が返して欲しかったのは、ライトじゃない
んです。私の元には置けない。月君とそっくりのあの子と一緒にいても、辛いだけです。でも真
実はいえない。なんの罪も無いあの子を、放り出すことなんてできない……」
 だから、ライトに父親の元に帰る様に言ったのに……。
 総一郎もまた、痛々しいものに触れてしまった表情で、
 「私だって……同じだ。」




 Lの悲鳴にも近い言葉が、微かに聞こえても、ライトは動揺しなかった。
 分かってる。
 わかってたんだ。L。
 自分は、月ではない。
 薄暗い街の片隅で、物として売られていた声のない青年を、顔が似ているということで買われ
ただけなのだ。薬で人格を崩壊させて、ひどい仕打ちを受けて、冷たい部屋にずっといた。そ
れを思い出したのは一年前だけど、ずっとそれで騙してきたんだ。
 連れてこられた時、月は瀕死の状態だった。神経過敏が酷く、幻聴や妄想を感じているらし
かった。
 君は今日から、この子になるんだ。
 研究所の一人が言った。どうせ薬で壊してしまうんだから。そんなこといわなくてもいいのに。
 夜神月が死んだ時の『保険』として、自分は顔を変えられ、そこに存在していた。だがいつ
か、ここを出たらそのことを誰かにバラしてやる。ライトは歯を食いしばりながら、死にかけの
青年を睨みつけていた。この青年と顔が似ていただけで、自分はここに買われてきたのだ。

 「Lに会いたい……」

 よく、月はそう呟いた。

 「殺して……」

 二言目には、そんな弱音をはいた。
 大丈夫。貴方はもうすぐ天国に行けるよ。
 意地悪く、そう囁いてやると、月はうっすらと笑った。
 美しかった。やせてボロボロになっても、まるで女神のように美しい顔は、聖母のように微笑
み、自分を魅了した。
 「……ありがとう……」

 「神様………」

 神。
 それは一体、なんなのか。
 夜神月にとって、神様とは、願いを叶えてくれる存在だったのか。
 月が息絶えて、薬で精神が壊れるまで、ずっとその存在について問うた。
 月は、Lという人物が死んでいるというと思い込んでいたらしい。天国で一緒になれると思った
のか。自分は天国には行けないと思っていたのは何故か。死の真際に見た自分を、彼は神だ
と思ったのか。
 違う。違うよ。自分はまだ、君の願いを叶えてない。世界に必要とされてない自分に、君は儚
い名称をつけてくれた。
 神様。
 君とって願いを叶える存在が神様なら、自分は………。




 ニアは玄関を開けると、泣き崩れる青年の傍に立つ。
 「……酷い……。」
 すべてを聞いていた少年は、素直な感想を突きつけた。
 「……貴方は……ライトを愛していたわけじゃなかった……」
 それなのに抱いた。Lの複雑な心境を理解できない少年にとって、その衝撃は冷たい言葉と
なって相手を責め立てた。
 「私は……ライトの傍にいます……」
 だって酷いじゃないか。
 今になって、必要としなくなるなんて。
 自分が必要としないで、一体誰があの哀れな青年を必要とするのか。




 ねえ。非情で無表情で、平等に人間の願なんか叶えたことのないくそったれの神様。
 お願いです。貴方に成り代わって人を助けようとしたあの哀れな青年の願いを聞いてあげて
ください。
 こんなの、酷いじゃないですか。
 ねえ、月。神様は、貴方の願いを聞いてなんかないよ?だからそんな、神様にありがとうなん
ていっちゃだめだよ。自分は君のことをよく知らないけど、君が本当に叶えてほしかった願いは
そんなことじゃないことは知っているんだよ?君の代わりに成り代わった自分は、君のように神
様にはなろうと思わないし、天才的な頭脳もなし、鉄のような信念を持っているわけでもない。
ただ、君とほんの少し顔が似ていただけで、それでも君の本当の願いを叶えてあげようとして
………。
 お願いだよ、L。月の願いを叶えてあげてください。そっぽをむいている神様の代わりに、死
んでしまった悲しい青年の代わりに、貴方が孤独な王様の願いを叶えてあげてください。
 L。
 貴方を幸せにすることが、月の幸せなんです。
 月が傍にいることが貴方の幸せなら、自分を月だと思ってください。
 自分に、その手伝いをさせてください。
 月の姿をしたライトでも、いいと言ってください。
 でも、自分にはそれを伝える勇気も、声もないから。
 お願いです。お願いだから…………。




 Lが立ち上がる。
 彼もまた、もう二度と、ここには戻ってこないだろう。
 その後姿を見て、メロは分かった。
 別に自分は、月が夜神月だろうがライトだろうが、どうでもいい。ただ、いつか自分達が貴方
のことを受け入れ続けていたという気持ちに、気づいて欲しかった。




 月と呼ばれていた青年は、涙を流しながら窓に指を食い込ませる。冷たいガラス窓は、爪を
立てることもないまま滑る。
 背中をむけ、自分を拒否する男に、青年は息を吸った。

 そして。

 音。

 それは、悲鳴ではなく。

 言葉にならない、音。

 耳を劈くような、聞いた者が涙を流すような。

 ただ唯一の願いをその音に籠めて。言葉を知らぬ子供が、行ってしまう親に向かって訴える
ように。

 待って、と。

 後ろから、メロが必死に羽交い絞めにして窓から放すが、青年の口から発せられる音が止
むことはない。

 風に乗って確かに届いたその音を。






 Lはただ、蹲って耳を塞いだ。






 そして。
 一ヵ月後、Lは………。






楽しみにしています。
貴方に、会えることを。
だって、神様が言ってくれたんです。
天国に、行けるって……。



でもそれは、違う。
貴方は永遠に、彼には会えない。
それが、貴方の罰。



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