![]() 「月」 「……………。」 「らーいっとくん、あっそびっましょっ」 「………………。」 「月〜?俺のことちゃんと見てる?見える?見えていますかこのお目目は〜?」 「…………………。」 空港から出ると、すぐ目の前の空は曇り空だった。 久しぶりの日本の景色に、月はほっとすることもなく足早に大通りを進む。最近では様々な人 種が溢れるようになった東の地でも、月とメロの存在は際立っていた。 「月、今日は絶対ホテル泊まるぞ?野宿は嫌だからな。」 「……………。」 「金もってるんだからさ。ケチケチするなよ?二十歳にもなってない少年を窮屈な寝袋に押し 込んじゃダメだぞ?」 「……………。」 「聞ぃてまぁすかー?月くーん。おい、月。ライちゃん。ライチュウ。………キラ?」 周りをうろちょろ、辺りをちょこまか。邪魔なメロが最後に言った名前に、月はじろりとメロを にらみつけた。 「黙れ。」 短い一言には威嚇にも似た重みがある。それを溜息一つで軽く流して、メロは月の手に自分 の指を絡めた。 「月。久しぶりの日本は、やっぱ安心する?」 「安心だと?」 ぎろりと、冷たい視線が懐くメロを射抜く。 「僕はこの一年間、安心できた瞬間なんて一度だってない。」 視線を人ごみの中に戻し、彼はもう一度繰り返す。 「そう……一度たりとも……」 「キラが日本に戻ってきた?」 ニアがトランプタワーから視線を外し、部下に聞き返した。 「はい。」 レスターは手元にある膨大な資料に目を落とし、 「羽田空港の監視カメラに映っていた青年が、夜神月本人であることを確認しました。現在キ ラは地下鉄を赤坂見附駅で下車。潜伏場所を探しているようです。」 「潜伏?」 口の中でその単語を転がすように、ニアがつぶやいた。憐れむように、悲しむように、あるい は詠うようにして。 「潜伏して?それでどうするというのでしょう?彼には心休まる安全地帯など何処にもないの に。」 答えの返ってこないその質問。レスターが困って口篭ると、ニアは話を元に戻した。 「尾行は?」 「6人つけておきました。」 「今すぐ確保してください。いえ、もうすでに確保命令を出してください。」 「今すぐ?キラは現在、人通りの多い一ツ木通りを行き来しています。今すぐは……」 「だから?」 「……キラが抵抗した場合、発砲も在り得ます。周辺に被害が。万が一、取り逃がした場合、 人混みではキラを見失う可能性が……」 「だから?」 「………………。」 「キラが捕まらないことによって増す被害状況と、今現在の被害予想を比較してみなさい。万 が一取り逃がした場合?我々にはもう、『万が一』などという言葉は使えないんです。周囲に人 間がいると安心している今がチャンスです。捕まえてください。」 レスターが命を受け、返事をするのを聞き流し、ニアは手元のカードに視線を戻した。それか ら、と。これは絶対に譲れない条件を、もう一度部下の耳に叩きつける。 「多少の怪我は止むを得ません。しかし……キラを射殺するような真似はさせないようお願い します。そう、絶対。」 「ニア。」 命令を与えに出て行ったレスターと入れ替わりに、ハルが足早にニアの背中に歩み寄った。 一瞬言いよどみ、少年にその事実を報告する。 「俺と一緒にいても、安心できない?」 煌びやかな国際ホテルやビジネスビルから抜け出した街並みは、老舗や錆の浮いた物販店 が多くを占めていた。住民達が馴染み親しむ商店街を、月は感情を押し殺した顔で進む。 「大丈夫。追っ手が来ても、俺がなんとかしてあげるよ。今までそうだったように。これからも そうであるように。」 月は何も答えない。否、答えられない。代わりに、メロが握っていた手を握り返す。恐怖を克 服するような子供の仕草に、メロはそっと寄り添った。 「『例の件』について、確認が済みました。」 「早いですね、どうでしたか?」 「……ニアの予想通り……。メロです。」 「ああ、やはり。」 どうせそんなことだろうという表情で、ニアは頷く。 月が急速に、足を速めた。踏まれ続けて薄汚れた道を歩み、やがてそれは小走りになる速 度になる。 「?……なに?なに、月?どうした?」 メロは一瞬遅れながら、それでも繋がった手は離さずに疑問符を投げかける。 小走りから本格的に走るという意志を持ち始めた足が、突然ぴたりと止まった。つんのめっ たメロが周りを見ると、男が6人、青年を囲んでいる。その半径は僅か3歩。スーツを着た者も いれば、私服らしい者もいた。 「夜神月だな?」 月は黙る。汗ばんだ手で、メロの手を握りなおした。 再びトランプタワーの製作に取り掛かるニアに、ハルは批判にも似た疑問を投げかけた。 「メロですよ?」 「聞きましたよ。」 「なんとも思わないのですか?」 「自業自得です。」 「…………………。」 月には死神の目はない。彼らが素顔を見せていても、デスノートに書けるほどの余裕はな い。手を伸ばせば捕まる距離に、月の崩れかかっていた精神がぱらぱらと砂をこぼす。 それが瓦礫となって崩壊する前に、メロが行動した。震える子供のように縋る月の手を、メロ がそっと引き剥がす。はっと月がメロを見ると、少年は自分のポケットから紙の端切れを取り 出した。 仲間と思われるメロの行動を、周りの男達は……………なにも言わずに月に命じた。 「抵抗はするな。一緒に来てもらう。」 かりかりかり。メロは丁寧に、6人の名前をデスノートの切れ端に書き込み始めた。 ハルはニアをにらみつけた。そんな言い方はない。メロは確かに犯罪者だった。しかし、彼と 家族でもあったはずだ。その考えを見透かしたように、ニアが口を先に開く。 「気に入りませんか?ではなんと言いましょうか?儚い、19歳の幼い命。嗚呼可哀相に。夜 神総一郎の命をその手で奪いながら、あっけなく自分も死ぬなどと。自業自得以外になにがあ りますか? メロの死体を探すのに半年。確認に一ヶ月。こんな下らないことに時間を割いたのはせめて もの慈悲。それ以上を与えてやるなどと、彼には勿体無い。 メロの死体確認が済んだのであれば、通常の仕事に戻ってください。我々は悠久の時を生き ているわけではないのですから。」 トランプカードを異様なスピードで作り上げ、ニアは言い切った。ハルは頭を垂れ、部屋を出 る。 削がれ、ボロボロになったせめてものプライドで、月は男達を睨みつける。しかし、子犬のよ うに震える体では上手くいかなかった。押せば崩れ落ちそうな青年を見て、男達は顔を見合わ せる。それでも、油断は出来ない。 一人が、月の腕をがしりと掴み、脅しの言葉を紡ごうとした。それを見たメロが、憤慨して払 いのける。 「月にさわんな!」 親を苛められた子供のように肩を怒らせるメロ。男は…………何故、どうやって今自分の手 が払い除けられたのか不思議そうな顔で己の手を見た。交互に、メロ……ではなく、掴んだ月 の腕と自分の手を見つめる。 その時だ。 唐突に、一つの命が消えうせた。苦しそうに胸を押さえた仲間に、男達は驚く。両手で己自身 を抱きしめ、顔を俯かせる月に、男達は疑問の叫びを木霊させた。 「なにをした!?」 また、もう一つの命が。神の道具によって運命を変えられた男達が、次々と地面に膝をつく。 月を囲むようにして、6つの人間が膝をつき、地面にひれ伏し、命を散らばらせる。それはまる で、神にひれ伏す愚民にも似ていた。 悲鳴。男達だったものがすでに動かぬ肉塊だとわかると、何処からともなくそれが上がった。 月の震えがいっそう酷くなる。 憐れな人間の青年。こんなに震えて。メロは月の手を力強く掴んだ。 「行こう!」 6つの命を吸い取ったと思えないほど、底抜けに明るく笑って走り出す。一歩目はメロに手を 引かれ、二歩目には、捕まることの恐れから己の足で駆け出す月。 俯きながらぽろぽろと涙を流す月を見て、メロは手を握りなおす。大丈夫。守るから。これか らも、この先も。今までそうであったように。だから泣く必要などないのだ。 捕獲に失敗した。その報告を聞いて、ああそう、とニアは気のない返事をした。やはりね。部 下に適当な嫌味を言って部屋から出て行かせると、考える。やはり自分は間違っていなかっ た。 夜神月の身柄を確保する瞬間、6人の憐れな男達は心臓麻痺を起こしたらしい。夜神月がノ ートに名前を書く暇はなかった。だとしたら、男達は運命によってその人生を全うした?そんな わけがない。 神の力、デスノート。夜神月ではない。だとすれば? 「死神。」 死神?自分の口からまた、ぽろりと言葉が零れる。死神。神が、たった一人の青年に対し て、慈悲の慈愛の手を差し伸べたとでも? いや、違う。違うに決まってる。その死神は、死神であって死神ではない。死神になりきれて いない死神。死神でもないのに死神の力を持つ死神。夜神月のことを守ろうとする死神。死 神、死神、死神? 「夜神月……」 死神だろうが化け物だろうが関係などない。全てねじ伏せ、抑えこみ、大切なモノを奪い返す までだ。殺してやる。いや、死神だから、壊してやる? 神に奪われた青年を取り戻すため、ニアは暗い想いを瞳の奥に仕舞いこんだ。 月がキラと見破られ、一年が経った。逃亡生活という刃は、彼からプライドと精神力と体力を 荒削りしていった。 すっかり体が痩せ細った月の体を抱きしめる。ビルとビルの狭間。狭い路地。そこへ逃げ込 むとすっかり馴染んだ暗闇に、月はしゃがみ込んでしまった。寒そうな肩を抱いて、メロは天を 仰ぐ。ビルのせいで狭い寒空は、もうすっかり冬であることを示していた。 「メ………ロ」 間が開いて、自分の名前だと気がつくのに数秒掛かった。ん?なに?メロは優しく月の背中 を摩る。 「だめだよ……ノートを……使ったら……死ぬ……お前が死ぬだろ……」 人間をデスノートで助けたら、死神は灰となる。 「大丈夫だよ。」 メロは言った。大丈夫。だってニアは、お前を殺す気ないもん。おそらくこうして逃げ回ってい るほうが、月にとっては寿命が削れていくわけで。ああ、優しい人間。それでも俺のことを心配 してくれるなんて。 「月。」 名前を呼ぶ。 彼の罪状をつきつける、二文字のカタカナではなく。 「月。大丈夫。」 名前を呼ぶ。 名前を呼ぶ。 美しい、空に浮かぶ淡い光の名称で。 「大丈夫だから……月。」 名前を呼ぶ。 名前を、呼ぶ。 名前を呼ぶと、安心したように、月の体から力が抜ける。一瞬だけ。 「月。」 ずっとずっと。 ずっと、ずっと。 人としての命を終わらせた少年が、死神として命を始めてから、一年が経とうとしていた。
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