あいするということU〜V





 泣いていた。
 膝を抱えて。
 まるで迷子になった子供のように
 どうしたの?
 なにが君を
 そこまで悲しませているの?




一年前




 ビルの屋上。縁に腰をかけ、足を宙に投げ出す。ぶらぶらと揺らしながら、たまに余所見をし
たり、昼寝をしたりして、夜神月の監視を続けた。監視と言っても、この屋上から見える捜査本
部であるホテルの部屋は常にカーテンが閉まっており、中の様子は窺えない。2日目になっ
て、飽きたなぁと欠伸をしていると、誰かが窓の傍に立った。
 メロの知らない顔だ。二十歳を過ぎた頃の、美麗の青年。気分転換のつもりか、窓を開け、
しばらく換気を行った後、再び窓とカーテンを閉めた。
 あれがキラ。他の死神たちから話を聞いていたメロは、興味なさげに見つめる。あれだけ血
眼に探していた頃の自分が馬鹿らしい。そして、今現在、夜神月がキラである証拠を草の根わ
けて探すニアもアホらしい。
 近くで見てみようと思ったのは、他にすることが何もなかったからだった。ホテルのロビーを、
誰にも咎められることなく進み、目的の部屋に行く。途中、顔を知っている捜査官達が自分を
捕まえることなく素通りしていった。
 部屋には鍵が掛かっていたので、『すり抜け』た。パソコン機材や膨大な資料に埋もれて、夜
神月はいた。傍による。月が気づく気配はない。殆ど顔をくっつけるように近くで観察する。まる
で人形のように異様な美しさを保つキラは、ただひたすらパソコンを操作し続けた。いつまで見
ても飽きないと思われた美貌に、メロは意外にも早い段階で放り出した。まあ別に、いつでも見
れるし。なにか面白いものはないかと資料を漁る。沈黙の部屋にがさっと無粋な音が響き、月
ははっとそちらを見た。
 月の視界範囲内に映るはずのメロ。にもかかわらず、月は悲鳴を上げることなく、資料が崩
れただけかとまたパソコンに集中した。
 面白い。メロの瞳が子供らしい輝きを持ち、再び月の傍に寄る。目の前には後頭部。殴って
やろうかと拳を振り上げたが、気が変わって、頭を撫でた。髪が指に触れる。なんて気持ちい
いんだろう。まるで艶やかなうさぎの毛のようだ。触り続けたい心地を中断させたのは、驚いた
月だ。飛び上がり、振り返る。今度は辺りをきょときょとさせ、己の頭を触った。
 誰だ、今触ったのは?疑問に怯える月に、メロが声を立てて笑う。もう一度、今度はバレない
ように、そっと月の髪に触れて、戯れていた。



 
 死んだメロが気がつくと、自分は死神になっていた。人間の姿を保ったままだったのは精神
的にも安心した。一週間ほど人間界を眺め、様々なことを知った。
 自分は、一か八かで爆破した建物に押しつぶされて死んだこと。夜神総一郎の死。ニアの居
場所。
 そして、キラ。
 目の前には、あれだけ欲しかった情報が、まるでネット検索でもしたかのように簡単に映し出
される。その現実を目の当たりにして、メロの肩から力が抜けた。それから3日ほど放心状態
でキラの様子を眺め、奴を野放しにするのはなんとなくムカツクから人間界に降りた。まずニア
の所に行って、自分の姿に驚いている彼にキラの情報を惜しげもなく提供し、暇を持て余した
ので月の様子を見ることにした。
 Lとキラの仕事を忙しそうにこなす月。それももうすぐ捕まって終わるんだけどなぁとベッドに
転がり眺めること2時間。ロス見学にでも行ってくるかと立ち上がった時、月がかくんっと頭を
揺らした。
 眠いのだ。メロは周りを見てみる。他の捜査員達は全員、別の部屋だ。またかくんっと、頭を
垂らす月。その状態で、今度は動かなくなってしまった。寝たのだ。
 「おーい、風邪ひくぞー」
 言っても聞こえないのに、メロは忠告する。月は、八割がた夢の世界に足を突っ込み、帰っ
てきそうにない。
 「まっ……俺には関係ないけどな。」
 心なしか強く言えず、メロはそう呟くと部屋を出ようとする。出口の真ん前まで来て、またくるり
っと踵を返すと、月の傍に寄った。どうしても、しておかなければならないことが。
 熱い珈琲がはいったカップが、月の肘、すぐ傍にある。うつらうつらと体を揺らす月が、いつカ
ップを落とすか気が気でない。それを移動させ、メロは今度こそ部屋を出た。




 月を観察していると、非常に興味深かった。キラとして指示をしている時には、頭に角が生え
てんじゃねーの?と聞きたくなるような表情だったり、その表情のままLとして捜査員達に指示
をしてなんでバレないんだ?とも思ったり。誰もいないときは、安心した猫のように口を半開き
で眠ったりするのが非常に興味深かった。風呂上りでバスローブ一枚という姿を見たときに
は、何故か鼻血がでてしまった。
 よく、月の頭を撫でることもある。そうすると、人間にからかわれた子猫のように、はっと大き
な瞳で辺りを警戒し、なに?自分は今なにをされたの?という不安げな表情をするので、可愛
くて仕方がないのだ。
 月は眠ることが、極端に少ないようだ。殆どの日々を仮眠で過ごし、血色も悪い。白い肌が、
さらに白く見え、何故そこまでしてキラを続けるのか質問したくなってきた。
 ある日のことだ。珍しく、月はベッドで眠っていた。いつもは寝心地の悪いソファだったが、今
日は休めたのかと近づいてみる。顔を枕に押し付け、身じろぎ一つしない。まさか窒息死して
ねーだろうなと不安になり、そっと肩を掴んで仰向けにさせた。
 泣いていた。眠ったまま。涙の筋が幾重にも重なり、乾くことなく新しい雫をこぼす。かすかに
唇が震えて、声にならない言葉が霧散していった。メロは、耳を月の唇に近づけ、どんな小さな
音も逃さぬよう集中する。
 「あ  」
 それは、まるで押しつぶされた精神が上げる、軋んだ悲鳴のようであった。
 「 いや
    い  だ
 たす   ごめんなさい  
    いや  いや
 いやだ    ごめんなさい
 殺 た  違  僕は  んなつもりじゃ
 怖い  
   怖 ごめ   りゅー    き」

 取りとめのない言葉
 意味を成さない単語
 どうしたの?
 誰に謝っているの?
 怖いなら やめればいいのに
 でもやめられない
 ブレーキの利かない乳母車を 坂道で転がしてしまったように
 回り出した車輪は 止めることなどできはしない。
 震えて泣き出してしまうような 彼の表情
 何時の間にかメロの手は、月の頭に触れていた。
 懺悔する罪人を許すかのように あるいは子供を見つけた親がそっと慰めるように
 少年の指が月の髪に絡まり、撫でる。すると不思議なことにふっと青年の表情が和らいだ。
 その指の感触を味わうべく すりよる月。微笑みすら浮かべるように、月は穏やかな睡眠に
戻った。
 俺のことがわかったのだろうか?姿も形も見えぬ死神に、助けを求めた?
 この瞬間、息が詰まるように切なくなる。この青年は、もうすぐ捕まる。もう未来はない。
 もう一度撫でた。今度こそ、月は本当に微笑を浮かべて、寝息を立てた。




 「おい、お前のせいだぞ。月が捕まったのは。どーしてくれるんだよ。」
 リュークという五月蝿い死神がいる。小蝿のようだ。黒いし羽はあるし、ちょうどぴったりじゃ
ないか、うん。
 「うるせぇ」
 不機嫌に言い返し、メロは廊下を進む。うざったい死神を適当にあしらい、メロはニアの元に
向かった。辺境の地に建てられたSPK捜査本部も、もはや必要なくなるだろう。部屋に一人残
ったニアは、資料を眺めながら事も無げにこう話した。
 「ええ。痕跡は跡形もなく消すつもりです。爆破でもしましょうか?」
 月はどうなった。名前で呼ぶメロに、不審そうな目を向け、
 「……キラは秘密裏に処刑されました。それがなにか?」
 「嘘つくな。」
 メロは死神だ。月の寿命が減っていなかったことぐらいわかる。
 そう説明すると、ニアは肩をすくめた。
 「キラをどうしようと、捕まえた私の勝手でしょう?」
 「情報提供者に謝礼の言葉も無しってか?」
 「じゃあなにを望むんですか?感謝はしてます。」
 「月は何処だ?それが知りたい。」
 知って、それでどうする?メロ自身も、まだその時はわからなかった。
 「……月は私の手元に居る。そう言ったら、どうしますか?」
 挑発するように、ニアがメロを見た。そうか。メロは目を細める。相手は今、月のことを名前で
呼んだ。そうか、そういうことか。
 「別に。じゃあな。」
 あっさり身を翻したメロの背中を、ニアは睨みつけていた。別に、どうってことない。メロは思
う。死神になった今、もはやニアなど文字通り、足元にも及ばないのだから。
 死神界から月の居場所を探し出し、厳重なセキュリティをすり抜け、月の元に向かった。彼が
囚われていたのは、SPK捜査本部の地下だった。皮肉なことに、メロの足元すぐ下に、月が
泣きながら蹲っていたのだ。
 簡易ベッドの陰で、月は膝を抱えていた。せっかくLからもキラからも開放されたんだから、ゆ
っくり休めばいいのにと思う。メロは月に近づいた。月の、呻くような泣き声が聞こえる。
 助けてあげる。今、助けてあげるから。メロは己のデスノートを取り出した。それを、月の目の
前に落とす。すぐに、月はそれに気がついた。唐突に現れたノートを見て、月はかつて己の取
った行動を彷彿とさせたのだろう。躊躇いの沈黙は五分ほど続いた。早く手にとって。じっと、
月の手に注目する。
 ノートに吸い寄せられたかのように、月の指が紙に触れた。一瞬だけ触れて、間を置き、恐
る恐る拾い上げる。
 月の後頭部を見つめ、そっと頭を撫でた。びくりっと、月が見てわかるほど肩を振るわせる。
それは、恐怖によるものではない。予感、歓喜、感動。やはりそうだったんだ。月のは喜びの
表情で、こちらに振り返った。
 「竜崎!」




 だれ?
りゅうざき?


 なにを期待していたのだろう。メロは落胆する。当たり前だ。月が、自分が死神になって出て
くるなんて、予測は出来なかったはずだ。それなのに、青年の口から出たのは見知らぬ名前。
透明な予測を想像で補った結果、月の妄想は想い人の姿となった死神を期待していたのだろ
う。だが違う。撫で方は、あの人と一緒だった。いつもいつも、あの人と同じ撫で方をしてくれた
のは、まったくしらない少年だった。月の瞳から、溢れていた涙が無意味に一粒零れる。それ
が切欠で、別の感情が涙腺を緩ませた。
 それを慌てて、服の袖で拭う。それでも零れる。ノートを取り落とした。でも拾わない。助かる
可能性があるノートより、零れる涙を隠すので精一杯だった。
 「あ……ぃゃ……見ないで……」
 ごしごしと、乱暴に服の袖を弱い皮膚に擦り付ける。
 「み…見ないで……違う……泣いてなんか……やだ、見るな……いや……いやだ……やっ
……!」
 掻き毟るように、涙を拭う月。涙なんか見せたくない。違う、自分は後悔などしていないのだ。
わかってる。殺した相手が、自分に戻ってくるなんてありえない。だから見ないで。見ないで。見
ないで!
 爆発しそうな想いを、月は擦るという作業でなんとか押し留めた。ひりひりと痛む皮膚なんか
どうでもいい。お願いだ、僕を見ないで。その願いは聞き遂げられなかった。メロの両手が、月
の両手を掴み、顔から引き剥がす。
 メロと目が合う月。月と目が合うメロ。その間にも、涙は止まらない。月は唇を食いしばり、顔
を背けた。見ないで。
 「あんま擦るな。痛くなるぞ。」
 子供に言い聞かせるように、低い声で囁くメロ。両手が塞がった代わりに、月の瞼に唇を落と
した。目尻から零れる涙を吸い取り、そっと舌で赤くなった皮膚を舐める。それを丁寧に繰り返
し、青年の涙を止めた。
 泣き腫らした瞼を瞬かせ、月はメロを見上げる。また、メロは胸の奥が詰まる感覚を覚えた。
変だな。死神なんだから、苦しくないはずなのに。
 「………だれ?」
 優しく涙を拭った死神に、月は小首をかしげた。ああそうか。胸が一段と締め付けられる痛
みに、メロは顔を顰める。
 これが、アイシテイルということか。





一年前の、ことだ。
 
   



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