ばけものW〜Z


W ばけもの


月の記憶に、ニアの笑い声がこびり付いて離れない。くすくすと子供らしく、無邪気な狂気で月
の精神を蝕むニア。殺すわけではなく、壊すために追い込む彼の手が、月を押さえ込む。
 キラとして捕まった月を待っていたのは、死刑ではなく屈辱であった。死ぬよりかはマシだと
一瞬でも思った己が腹立たしい。実際は、マシだとかそういう以前の問題として、最終的にそこ
まで考えられないほど追い詰められてしまった。メロが連れ出してくれなかったら、どうなってい
ただろう。そんな疑問を持つのは、彼と共に過ごしたもっと後の事になる。
 月が持っていた気丈さは、ニアの癇に障ったらしい。睨みつけると、逆に冷たく見下ろされ、
立場を痛みと共に教えられる。口答えすると、喉が枯れるまで喘がされた。こんなことじゃ僕を
屈させない。そう鼻で笑っていたのは、ニアが強硬手段にでるまでだった。
 先端部分が傾斜の針を皮膚に差し込む。ニアの親指が、注射器内の液体を月の体内に注
入する。するとたいてい、霧の中を泳いでいるような息苦しい感覚に追いやられ、脱力した。抵
抗を見せない月を、ニアはいたく気に入った。綺麗、まるで人形みたい、と優しく頭を撫でる。
そして抱く。縫いぐるみというのは、きっとこんな風に愛されているのだと月はぼんやり思った。


 

 ニアから奪った月は、終始無言で怯えていた。
 連れてきた際一度気を失ってしまい、目が覚めたらずっと蹲って膝を抱える。
 話しかけてもまともな反応は返ってくることはなく、大丈夫か?と優しく頬に触れると、びくっと
震えてまた泣き出してしまった。時はすでに深夜。気温も低い。
 そんな状態だったので、月を遠くに連れて行くことは無理そうであった。仕方なく、すぐ付近の
家に勝手に入った。運よく住民は長期不在のようだ。鍵という人間の文明利器を内側からあっ
さり外し、家庭用セキュリティを解除して、誰もいないことを確認した。そして月を連れ込む。
 勝手に入ってゴメンナサイ。荒らさないようにするので、ユルシテクダサイ。不在の住民にそう
呟くと、メロはリビングのソファに月を座らせ、部屋を温めた。一人暮らしの家らしく、殆どの家
具は一人分のものである。冷蔵庫を開けてみた。食料が入っている。ガスも開いている。明日
には帰ってくるだろう。長居は出来ない。
 チョコレートドリンクを手に取り、月のほうを見る。スプリングがはみ出たソファで、青年は震
え続けたていた。
 服に発信機がついてないか確かめたいんだけどな、うーん。メロは困る。ドリンクを置いて、
試しに月に触れてみた。初めの頃よりかは落ち着いているが、怯えた瞳でメロを見る。まるで
牙を力任せに折られた、あるいは抵抗をする爪を全て抜かれた動物のようだ。
 白いパジャマは、逃走途中で薄汚れていた。そっと、上着ボタンに指を絡ませると、月が悲鳴
を上げた。それでも、抵抗はしない。抵抗をしたらどうなるか躾けられた様に。
 だめだ、脱がせられない。メロが手を離すと、月が引き攣った悲鳴を止める。なにもこわいこ
としないの?目で問う月。なにもしないよ、服の隙間から見える鬱血の痕で、なにをされたか大
体想像はつくから。
 「腕だけ見せて。」
 一分、二分……五分経った後、のろのろと月が腕の袖をまくる。
メロの前に、青黒い点が幾つもついた腕を見せた。
肌が白いだけに、余計痛々しい。
点滴を打ったからこうなったという注射痕ではなかった。
 「いいよ、ありがと。」
 投与された薬品の名称についてはわからないものの、精神的に何らかの影響を及ぼすもの
であることは察しがついた。でなければ、あのキラがこの短時間でここまで酷い状態になるわ
けがない。
 しばらく様子を見る。警戒心を最大にしていた月だったが、連れ出された疲労で瞼が重そう
だ。メロが傍にある雑誌を広げて無関心を装うと、数分後には寝息を立ててしまった。
 「おやすみ。」
 もう、怯えなくていいから。起こさないように、優しく頭を撫で、ブランケットを探しに部屋を出
た。



 まだSPKは必要となりそうだった。秘密裏に処刑されたとばかり思っていた部下たちは、月
が逃げ出したことに不信感を抱いていた。つまりは、ニアに対しての。
 何故、すぐに殺さなかったのか。適当な理由をつけたものの、ニアには月を殺す意思はもう
ない。いいじゃないか、捕まえたのは自分なのだから、殺そうが生かそうが。五月蝿い周りに
溜息が出る。ただ、強い批判はでなかった。
 月が逃げ出した『現場』を見れば、誰もが口を閉ざす。
 これではどんなことをしても、逃げられる。
 「ニア……本当にこれは、夜神月自身の意思で作られた現場でしょうか……?」
 「というと?」
 ニアは聞き返したものの、部下の言いたいことはわかる。
 「その……この現場はまるで……」
 まるで神の力か何かで
 建物の一部が 抉り取られたような……





 朝を過ぎ、昼になり、午後のお茶をする頃になって、月がようやく目を覚ました。二人掛けソフ
ァに蹲って寝たわりには、よく眠れたらしい。ずっと月の様子を見ていたメロは、つけていたテ
レビから視線を外して挨拶をした。
 「おはよ。調子はどう?」
 調子と聞かれても、よくわからない。そもそも、月は自分の状況がよくわかってなかった。そ
れを含めて、首を傾げる。
 「そっか。起きたばっかで悪いんだけど、すぐここを出るぞ。いつここの住民が帰ってくるかわ
かんないし。あと、着替えはそこに置いといた。……俺、部屋出てたほうがいい?」
 質問され、首を傾げる。いや、着替えるだろお前。答えられ、一度だけ頷いた。
 着替え。なんでこんなものを用意したのだろう。ここの住民のものを勝手に拝借したものらし
い。自分の姿を見てみると、パジャマ一枚だった。これでは逃げるのに拙い。そこまで考えて、
ふと気がつく。
 逃げる。
 どこから?
 警察から?
 違う、ニアからだ。思い直す。あの恐ろしい笑顔から、もしかしたら逃げられる?
 メロについていけば?
 ボタンを途中まで外すと、自分の皮膚が見えた。目を背ける。鬱血の痕は消えているもの
の、殴られた痣がまだ消えない。また、言いようのない恐怖が意識を混濁させる。



『あの時』の出来事が、頭の隅から離れない。
 


何十度目か、あるいは案外数回かもしれない。体内に薬物が染み込み、視界がぼやける。記
憶が曖昧で、胸が苦しくなる。頭が痛い。呼吸がし辛い。
 なんで自分は、ここにいるんだけっけ?
 ニアに監禁された記憶すら、砕けた精神は飲み込む。
 いやだ。
此処はどこ?
早く帰りたい。
お父さんは?
お母さんは?
粧裕?
お家はどこ?


竜崎?


 視界の隅に、男が一人いた。眼の機能は上手く動かず、それが誰であるか確認することがで
きない。
 「りゅー ざき ?」
 大切な人の名を、呼んでみた。そうだ。彼はいつだって、不安そうになった自分を見ると、誰
もいないことを確認してそっと指で髪を梳く。それでも不安が治まらないと、ぎゅっと抱きしめて
くれる。
 ……なんでだろう。なんで自分は、彼を殺したと思っていたんだろう?目の前にいるのは、き
っと竜崎だ。よかった。やっぱりただの夢だったんだ。竜崎が死ぬわけないじゃないか。
 「りゅうざき」
 もう一度、名を呼ぶ。相手は、そっと自分の頭を撫でた。ああ、竜崎だ。
 大丈夫、もう不安じゃないよ。それを伝えるため、笑う。上手く動かない顔の筋肉をゆっくり使
い、竜崎に笑いかける。抱きしめられると、緊張でカチカチになった心が溶けるようだった。溶
けた痛みは涙腺を使って、涙をこぼさせる。
 「  だいすき  」
 胸にうずもれ、いつものように呟く。そうすると、彼は照れくさそうに口篭って、私も、と小さく答
えてくれるのだ。
 「ええ、私もですよ。キラ。」
 意識が覚醒する。
 少年の声音が冷水のように、月を現実の世界に引き戻した。ぎこちなく相手の顔を見る。
 「私は、リュウザキではありませんがね。」
 優しい微笑をしながら、凍傷を負わせる冷たい瞳でニアが月の体を抱きしめた。
 すべてを思い出しても、体が上手く動かない。せめてもの抵抗で身じろぎするが、それすら許
さないのかニアの指が皮膚に食い込む。
 「あ……」
 「何故、逃げるんですか?さっきまで、あんなに私を必要としていたのに。」
 違う。お前じゃない。首を振って否定する。
 「リュウザキ……Lの偽名ですね。何故、彼を求めていたんですか?」
 違っ 求めていたわけじゃ    これは夢  ?  
 「Lは貴方が殺したんでしょう?……彼と『そういう』仲だったんですか?」
 いわないで   知らなかったの  あの時は記憶がなくて
   ならどうして   いまさら竜崎を  あれ?  やめて  もう言わないで
 「ふーん……貴方、自分の大切な人を殺したんですかぁ」
 殺した 殺した? そう 違うの だって彼は
  敵だった   しかたなかった  やめろ 嫌   ごめんなさい
 「ご めんなぁ  さぃ」
 「謝られてもねぇ」
 「いや だ    もうなに も   言わないで  なにも  なにも  」
 「言わないでほしい?」
 「なんでもする  から   もう   いやだ   だし て  竜崎にあいたい
  ね  もうい いだろ? 殺して 殺して 殺して  殺して  」
 唇の端が、震えた歯で切れる。全身の震えが声にまで侵入する。まるで檻に囚われた小動
物のようだ。
 かわいそうに。愉悦に顔を歪ませ、哀れみの言葉を口にする。かわいそうに。
 「絶対に、殺してなんかあげません。」
 月の精神に亀裂が走る。
 「貴方はこのさきずぅーっと……私の庇護の下、狂ったまま生きていくんですよ。」
 大切な玩具を扱うように?
 嗚呼。月は涙をこぼし、思う。
 きっとこの時僕は、涙を抑える器官が壊れてしまったんだな、と。







 「らーいっと君。起きてるか?」
 悪い白昼夢から目覚めると、メロが板チョコを齧りながら顔を覗き込んでいた。
 パジャマのボタンに指を絡めたまま固まっていた月。「ぇえ?」と聞き返し、首を傾げる。
 「寝てた?泣きながら寝るの好きだな、お前。自分で着替えられそう?」
 呆けている月の涙を指先で拭うメロ。答えられずにいると、ちょっと失礼、と断りを入れて月
の服を脱がし始めた。彼は何もしない。それがわかり、今度は悲鳴を上げないことにした。
 手際よく服を着せてくれる彼に、月は初めて疑問を投げかける。
 「……どうして?」
 「ん?」
 「どうして……僕を助けた?」
 まさか、ニアと同じ理由なのだろうか。自分をまた別の場所に閉じ込めて、酷いことをするの
だろうか。
 「んー…暇だったからかなぁ。」
 あっさり言われる。
 「俺さ、死神になったらもう、何もすることないし。Lにもなれないしマフィアのボスにもなれない
し。それに、なんだかお前のことが可哀相になってきたし。だから助けた。」
 実を言えばこの時はまだ、この少年が父を殺したメロだとは思い出せていなかった。見知ら
ぬ他人が、何故そこまでするのか更に聞いた。
 「変な奴だなぁ」
 メロは笑う。
 「そこまでもなにも……俺にとって、お前を助けることはなんの造作もないことなんだよ?」
 それは神の傲慢。
死を超越し、人間としての部分が薄れた少年が放つ、何気ない台詞。
 「お前を連れ出すことも、ニアから逃げることも……俺にとってはなんの苦痛でもない。ほら、
普通…人間だったら、自分の身を守るのに精一杯だろ?俺の場合、その『自分の身』を守らな
くてもいいから、結構余裕なんだよなぁ。」
 この時は、まだ。
 少年の言った言葉の意味を、深く考えてはいなかった。
 「いざとなったら、ぜーんぶ殺しちゃえばいいんだから、さ。」
 幼子が呟いた、残酷なそれ。
 気にするほど、月に余裕がなかったのもある。
 ……誰が責めれただろう。


 人ではなくなった死神に、愛する人を守るその行為を。

 誰が責めれただろう。
 死神に対して、人の命の重さを問わなかった月を。
 誰が
 誰が……







 
 逃亡した夜神月が潜伏したと思われる民家から、発信機つきのパジャマが見つかった。
 そして次の日、本当ならば旅行で住民が居ないはずの家に明かりがついていると言う通報が
あった場所は、青年が一日かかって歩ける距離にあった。
 特殊訓練を受けた警察官50人。その人数を導入することに、様々な異論を唱える者達がで
る。あの凶悪犯であるキラに対してそれでは少ないという反論もあった。無抵抗の…精神的に
も体力的にも非力な青年一人に対して、それは多すぎるという意見もでた。ニアはどちらでもな
かった。今、集められる人数はこれで精一杯だ。夜神月一人だけなら多すぎる。一人でないの
ならば……どれだけ集めた所で、誰にも彼の逃亡を止めることはできない。
 夜神月に対する射殺命令はださなかった。代わりに……夜神月に加担する者は、何人たりと
も容赦する必要は無し。そう告げると、一人だけ詳しい説明を聞いた小隊長は首を傾げて出て
行った。
 ニアは目を閉じる。夜神月と出会ってから、自分は彼のことばかり考える。初めは敵だった。
捕まえてからは、愛玩人形だった。そして一度だけ……Lと間違われて微笑まれた瞬間、どうし
ようもない愛おしさが込み上げた。
 欲しい。
 生まれて初めて、そう思った。欲しい。手に入れたい。もう一度、いや何度でも、あの微笑を
自分に向けて欲しい。自分の足で立つということを思い出せないほど、こちらを求めて欲しい。
正常の心では二度と月を振り向かせることは出来ないだろう。だから壊してしまえ。
 通報を受けた民家で、キラの姿が確認できたという。ニアは月の壊れる様を思い浮かべ、冷
笑を浮かべた。



 

 
 「よしっ、今日はここにしよう!」
 メロに引っ張られた先は、また民家であった。今度はファミリータイプの大きな家。ここにしよ
うという意味が、イコール不法侵入ということにようやく気づいたとき、メロはさっさと監視警報
機を止めて月に入るよう促した。
 子供の寝室につれていかれ、布団の中に押し込められる。ソファでいいと言ったのに、「お
前、疲れてるんだから」と布団を被せられた。
 他人の……しかも、不法侵入した家のベッドなどでは眠れないと思っていたのに、一日歩い
た疲労は月の瞼を閉じようとする。他人がベッドに入ったと知ったら、住民は嫌悪に顔を歪ま
せるだろう。出て行くときはバレないようにしようと心に決め、睡魔に身を委ねる。
 「おやすみ。」
 メロがベッドの縁に腰をかけ、月の頭を撫でた。髪を梳くような撫で方に、月は意識を沈ませ
る。穏やかな寝息に、今度はメロが安心した。
 こんなに疲弊して。透けそうなほど白い、月の頬を指先でなぞる。
 大丈夫。
 もう、大丈夫だから。
 メロは窓の外を見た。一瞬、人影を見た気がする。
 「……………。」
 大丈夫だから。もう一度呟いて、立ち上がった。
 もう……心配することなんて、なにもないんだから。




 誰もがその姿を見ているはずだった。
 しかし、特殊訓練を受けた彼らは、まったく気づかず少年を無視してしまう。
 メロは、指示をしていると思われる男の前に立った。小難しい話をして、部下達に指示をだし
ている。
 ノートの端切れ。ちょいっと触らせ、肩を叩いた。
 「急げ!周囲の住民に気づかれる前に終わらせるよう上から指示か出ている!夜明けまで
に……っえ?」
 肩を叩かれ、振り向いた男の目には、奇妙な光景が映ったに違いない。
 武装で身を固めた、数十人の男達。夜の暗闇、戦闘服の黒、地下駐車場の薄暗い明かり。
まさにこれから車に乗り込み、目的地へと向かう手はずをしている真っ最中に、それは現れ
た。
 黒に紛れて、金髪の少年が立っている。おかしい。ここは警察署管理下の地下駐車場。鼠な
らわかるが、こんな子供が出入りできるわけがない。
 周りは、少年が突然『湧いて出て』きても、なんの反応も見せなかった。強いて言うなら、突然
言葉を止めた上司に不審げな眼差しを向けているだけで。
 誰だ?
 まず、考える。だが答えは出ない。大人たちに囲まれ、ほんの少し困った顔をした少年は、眉
根を寄せていった。
 「あのさぁ」
 微かに擦れる武器や衣擦れの音を、少年の透き通る声音が塗りつぶす。
 「やめてくんないかな?」
 なにを?
 「今、月の奴、やっと寝たんだ。心配だから早く帰りたいし。だからさ、やめてくんないかな?
突入するの。」
 なにを  言って  ?
 「可哀相だろ?ずっと今日、歩き続けたんだよ?まだ怖がってるしさ。今、あんたらに襲われ
たら、もっと怖がるだろ?目の前で人が死んだら、怖がるだろ?だから……帰ってくんないか
な?
 今日は、見逃してあげるから。」
 そう言って、なんの屈託のない笑顔をこちらに向けた。
 「まさか……」
 男の脳裏に、ある情報が浮かぶ。
 キラには仲間がいる。自分は顔を隠すものは何もない。
 「キラの仲間か……!」
 「そうそう。なんだ、知ってんじゃん。」
 男は咄嗟に、メロに銃口を向けた。少年が、きょとんっとその穴を見つめる。周囲がざわめい
たのは一瞬で、いつでも行動が取れるように、誰もが身構えた。
 「……なに?」
 「きっ…貴様が……!」
 男は、震える奥歯を噛みしめ死の恐怖に打ち勝つと、搾り出すように警告する。他の部下達
はすでに、黒光りするヘルメットを被っていた。
 「貴様が……私を殺したとしても、ここにいる者達がお前を捕まえる……無駄だ。貴様等は、
ノートがないと人を殺せない……そうだろう……?一人ひとり、ここにいる人間の名前を書く
か?私の名前を書いている間に、他の者はお前を捕まえ、キラも捕まえる。……お前にそれ
が止められるか?」
 メロは黙る。それが正解だといわれているようで、男に希望の光がさした気がした。
 そんなもの、もうすでにどこにもないはずなのに。
 メロはもう一度笑った。今度は、口元を両手で押さえ、笑い声を抑えている。
 「……!?」
 「変なのぉ」
 肩が震えている。本当に、可笑しそうに。
 「あんたさ、間違ってるよ。アンタは此処で、俺に従って全員を下がらせるべきだった。うん、
そっか。そうだよね、もし俺がノートを持った『人間』だったら、そうなっちゃうよね。」
 いや、彼に間違いはなかった。彼は知らなかっただけなのだ。死神が、本当にこの世にいる
ことを。
 「な…なにを……!」
 「あぁもぉ、めんどくせーや。あ、それから、ノートも使わないから。あんたら一人ひとり名前を
書くなんて、まどろっこしくてやんなっちゃうよ。」
 メロは微笑む。微笑み続ける。
 男は、その子供らしい表情を見ていて気がつかなかった。
 少年の背から一瞬で、なにかが突き出たことに。
 「例えばさ、死神界から誤って、リンゴを落としたとするよな?」
 少年の言葉を、男は聞くことが出来ない。少年の『羽』に目を奪われ、全身が硬直した。
 「それで、もしそのリンゴが誤ってアンタの頭に落ちたとするよな?……当たり所が悪かった
ら、死ぬ訳だ。その場合、死神がデスノート以外で殺したってことに、なると思う?」
 少年の背からでた『それ』を、羽を呼ぶべきか。
 「これが面白いことに、ならないんだよなぁ。死神が人間を殺すことはいけないけど、それだ
けだとすっごく曖昧だろ?で、俺は色々試してみた。つまりそれは、『直接的に』殺さなければ
いいてことで……間接的なら、これが殺せちゃうんだよなぁ。」
 周囲の人間も、異変に気がつく。当然だ。少年から突き出た『羽』が駐車場の低い天井を突
き破り……破片が当たりに降り注ぎ始めたのだから。
 羽の重さに耐え切れず、少年が膝をつく。男の目にはすでに、少年は映っていない。少年か
ら突き出た羽があまりにも大きくて、恐ろしくて、耐え切れなくて。そして悲鳴。
 「だからさ……この建物を壊してあんた達を潰しても……俺はなんともなんないんだ。」
 メロは、微笑を消した。
 「死んでよ。」
 男は幸運だった。大きな破片が、偶然にも彼の頭に落ちて……当たり所が悪く、周囲の人間
達よりも先に、地獄絵図を見ることなく、死んだ。







 朝焼け。月が、ひさしぶりの深い眠りから、目を覚ます。
 まずはじめに、メロの姿を探した。すぐ傍にいた。瓦礫の山で遊んだかのように、細かい汚れ
がついていて、それを一生懸命掃っている。口の中にも汚れが入ったのか、しきりに唾を吐い
ていた。
 「うぇ……考えてみれば、一緒にあいつ等と埋まることなかったんだよな……俺……」
 意味不明な言葉を吐く。月は首をかしげた。
 「……おはよ……」
 今日は、自分から挨拶してみた。消えてしまうほど小さな声だったのに、メロはぴくんっと耳を
欹て、振り返る。
 「おっ、なんだ。挨拶できんじゃん。」
 「どこか……行ってきたの?」
 何故か、普通に会話できた。メロは気まずそうに言いよどみ、
 「あぁー……ゴミ掃除?」
 「……ふーん。」
 納得できないが、頷く。メロは話を変えた。
 「どうする?どっか遠くに逃げるけど……どこか行きたい所、ある?」
 「………わからない。」
 「そっか。んじゃ、わかるまで俺が勝手に連れまわすから。」
 勝手にそう言って、まだ眠そうに目を擦る月の頭を撫でた。
 「逃げよ。……一緒に。」






 「全滅……?」
 その単語に、眩暈がする。そんな馬鹿なことがあるわけがない。部隊は3つに分けられ、そ
れぞれの場所から突入されるはずだった。それが……各場所に集まった途端、全滅の一途を
辿っただと?
 ニアは乾いた喉に唾を飲み込んだ。アリエナイ。
 「生存者は?」
 「いません。」
 「監視していた者たちは?」
 「彼らも……同じく……」
 「すべて、心臓麻痺?」
 「いいえ。」
 レスターは、ニアよりも数倍強張った表情で、報告を続けた。
 「監視班は……心臓麻痺でした。」
 「突入班は!?」
 まどろっこしい。ニアの口調が荒くなる。
 「……圧迫死……」
 「は?」
 「3つに分かれたうちの一つ……警察署所有の地下駐車場から現場に向かおうとしたグルー
プが……『偶然』崩れた建物に押しつぶされ……全員、死亡されました。
 また、残り二つは専用車両に乗り込み現場に行く最中……原因不明の爆発により……」
 「それなら生き残りはいるはずです……!」
 「げ…原因不明の爆発に遭った部隊の生き残りは……彼らが所有していた銃で、何者かに
より射殺されました。」
 「……夜神月が、なんらかの武装勢力と繋がりを持ち……彼らは返り討ちにあったということ
ですか?」
 「いいえ……」
 否定の言葉ばかりが、彼の口から出る。
 「地下駐車場の部隊については、もはや『偶然』としかいいようがありません。爆発物は発見
されませんでした。それにもかかわらず……建物の土台が根こそぎ崩れました。老朽化以外
に考えられるものは……自然的な地震に伴う崩壊、或いは、我々人間では説明できない別の
力で、建物を壊したことになります。
 爆発の件に関しても同じく、付近の住民が目撃した際、車が突然、見えない力で横転…解体
され、自然発火したようです。」
 解体?なんだ、その単語は?
 「輪切りにされた……としか、言いようがありません。その事故の際、ガソリンタンクに火がつ
き、爆発……後は、先程述べたとおりです。」
 合成樹脂と高度な技術を要して作られた特殊車両が、真っ二つにされただと?そんな芸当
は、時間と浪費を費やしてダイヤモンドカッターでも使わないと不可能だ。
 「ニア……キラは……夜神月は、デスノート以外でしか、人を殺せないのではなかったのです
か!?」
 訴えられ、ニアは押し黙る。もはや疑いようはない。死神だ。しかし、リュークではないだろう。
 メロ。ニアは低く唸り、かつて人間だった少年を脳裏に思い浮かべる。



 レスター達を下がらせ、一人になったニアは、月の監視映像をもう一度見る。部下たちには
見えないだろうそこには、弱った青年を労わる少年の姿がある。
 だが、それは姿だけだ。中身は違う。
 映像は、何度も見た同じ光景へと移り変わる。メロが監視カメラを見て、笑った。それは不敵
な笑いでも、見下した失笑でもない。本当に可笑しそうに……子供が仕掛けた分かり易い罠を
見て笑ってしまう大人のように……慈愛に満ちた微笑だった。
 そして訪れる破壊。
 背中から突き出た『それ』。
 気を失う月。
 人間となんら変わらないと思っていた少年の、裏切り。
 人間などではない。これは、すでに。
 「化け物……」
 身体的能力だけではない。もはやすでに、精神にも異常がでているのだろう。
 そうでなければ、50人以上の人間を、一人で殺すことなんて出来ない。

 こんな姿になった自分を、まともな精神で受け止められるわけが、ない。

 知能戦など、面倒なことはするつもりはないらしい。
 ほんの少し……有り余る神の力をほんの少し出すだけで、全てが片付いてしまうのだから。


 神だろうが化け物だろうが関係ない。
 すべてをねじ伏せ、抑えこみ、大切なものを奪い返す。
 そうニアは心に誓うが、それでもメロの微笑には背筋が凍る。
 それなりに心優しかった少年が、こんなにも簡単に人をやめてしまった。
 憎しみと恐怖に混じって、ほんの少しだけ悲しさが、ニアの胸の内に浮かび、すぐ消えた。




 


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