![]() 幾つかの国を逃げ回り、逃亡生活が一年を過ぎようとした頃。メロが、日本に行ってみたいと いった。 危険もあった。日本にはキラ対策本部がある。キラは秘密裏に処刑されたと囁かれる他国よ り、キラである僕のことを草の根分けて探すだろう。 思ったとおり、日本に降り立った途端、警察らしき男達に捕まりそうになった。見張っていた のだ。僕がきっと、ここへ帰ってくると。 ダメだ。危険すぎる。一度どこかに身を隠そう。メロにそういうと、少年はチョコを齧りながら 小首をかしげた。 「え?……危険って?」 だから、捕まる危険だよ。 メロ……お前が父さんの墓参りをしたいっていう気持ちはわかる……。 でも、今は無理だ。今まで以上に危険だよ。 「……変なこと言うなよ、月。」 そして少年は、にっこりと笑うのだ。 「今まで、俺と一緒にいて、危険なことなんてあった?」 確かに。 僕にとっての危険は、メロにとってはなんの意味も成さない。 危険。 危険とはなんだろう?生命の危機か。捕まることか。暴力を振るわれることか。 危険とは、なんだろう。 少年にとってそれらはもはや、無縁の単語だ。 神としての力を得た、彼にとっては。 時々メロは、人としての『なにか』を忘れることがある。 「……日本の料理って……薄いな、味……」 「……食べろよ、ちゃんと。」 それは例えば、逃亡中の国で、口に合わない料理がでたとする。 「……おい、メロ……」 「やだ。食べない。いらない。不味いし。俺、魚嫌い。」 そう言って、皿を押し退けそっぽを向く。不貞腐れる。食事中にもかかわらず、ソファに寝そ べりテレビを見る。 餓鬼だ。僕はイライラする。それと同時に、心配になる。 メロはそうなると、食事を取らない。 文字通り、食事をしないのだ。普通人間で……こういうムカツク餓鬼だったら、コンビニにに 行ってスナック菓子を買ってきて、食事代わりに貪る。(彼の場合、チョコは常に齧っているの は食事とは別物だ) メロは食事を取らない。水さえも。 その現実が、酷く僕を動揺させる。当たり前だ。彼は死神なのだから。リュークだってそうだっ たじゃないか。 では、何故彼が共に食事をしないと、こんなにも胸の内がざわつくのだろう。 「……メロ。」 「やーだ。食べない。野菜、嫌……」 「ほら、あーん。」 「……………………!」 僕が箸で食べ物をつまみ、そう言ってやる以外、彼が食事をすることはない。赤面しながらな んとかそれをやってやると、子犬のように飛びつき、僕に食事を強請るのだ。案外、これをやっ てもらいたいがために食事を取らないのではと疑う時もある。 メロは、眠ることはない。 寝ようと思えば寝れるらしいが、僕はその姿を殆ど見たことはない。大抵、僕がベッドの中に 入るとその端に腰をかけ、僕が眠るのをじっと待つ。たまに話をして、僕の頭を撫で、優しく微 笑む。神経を張り巡らせている僕は、その安心感に目を閉じ、朝が来るまで眠る。 それでもたまに、夜中に目を覚ます時があった。 うっすらと目を開けると、窓から眩しいぐらいの月明かりがあった。メロはずっと、僕の傍にい て窓の外を見ている。その横顔は寂しげで、やつれている様にも思えた。死神が疲れることは ない。けれども、記憶を整頓するための睡眠がない彼の頭の中は、どのようになっているのだ ろう。 「……あ、月。起きちゃった?」 物音を立てているわけでもないのに、自分が起こしてしまったかのように困った顔をするメ ロ。僕は首を振り、眠れないから話をしようか、と持ちかける。そうすると、メロは少しだけ嬉し そうな顔をするのだ。 だって、居た堪れないじゃないか。 一人で、夜の空を見るなんて。 「おぉ!月、久しぶり!」 日本に来て数週間後、リュークが現れた。懐かしい姿を見て、僕はほっとする。 キラである僕を見て、警察に突き出さない数少ない友人だ。 寂れたビジネスホテルに潜伏している僕を、死神界から見つけたのだろう。窓の外をぼんや り見ていた僕の背後に、いきなり死神は現れた。それでも、不思議と驚くことはない。 「リューク……なんだ、ニアに命令されて僕を捕まえに来たのか?」 僕の所有していたノートは今、アイツの手にある。「俺は誰の味方でもないぞ」と口を尖らせ訴 えるリュークに、冗談だよ、と返した。 「メロとラブラブだなぁ、お前ら。」 らぶらぶってなんだ叩き倒すぞ。舌打ちをして、窓の下を見た。暇そうにメロが、近所の猫を ひっくり返したり持ち上げたりしながら遊んでいる。 「……何しに来た?リューク。」 「暇だったからな。」 「死神って言うのは、暇だとなんでもするのか?」 「お前ら人間だって、暇だったら久しぶりの友人に会いに行くだろ?」 僕は黙る。リュークが来てくれてよかった。聞きたいことが山ほどある。 まず、何故メロが死神になったのか聞いてみた。 「さあ……デスノートが関係していることは間違いないんだろうが……。でも、人間が死神にな るのはそう珍しいことじゃないぞ。」 死神には、食事は必要ないのか? 「あたりまえじゃないか。死神は死なないんだから。」 睡眠は? 「しようと思えば出来るし、やらなくても害はない。」 大体予想していたとおりの答だった。僕は一番聞きたい事を、一旦間を置いて尋ねた。 「リューク……死神が考えていることって……なんだ?」 メロは時々、人間の『なにか』忘れる。そう、『なにか』。 「……月?どうした?怖いのか?」 それは、僕が震えている時だ。メロがそっと寝ている僕を抱きしめ、覗き込んだ。 なにを言っているんだ? 一瞬、理解できなかった。僕はその時、風邪を引いていた。大した熱ではないが、寒くて震え ていたのだ。普通の人間であれば、顔色、体温、発汗などを見て、風邪ではないかと判断する だろう。いや、それ以前の問題として、震えている=恐怖と結びつけるのは、時と場合を覗いて ありえない。 「え?あ、違う?……寒い?寒いのか?そんなに寒いかなぁ……」 首を傾げるメロの物言いは、目の前の小動物がなにを訴えたいのか分からない子供のよう だった。 メロ……違うよ、ただの風邪だ。 そう呟くと、『風邪』という単語を脳内から検索するような沈黙を置いて、あぁなるほど、と慌て るのだ。 「人間の記憶が、曖昧になってるのかもしれないな。」 リュークはそう答えた。 「死神としての本能や常識は、死神になった時点で勝手に覚える。だからきっと、ごっちゃに なってるんだよ。そんなに心配することでもないと思うぞ。」 リュークが言うには、おそらくメロには死神界での文字や言葉はすでに脳内にあるのだろうと いう。死神としての本能や感情が、人間の時の記憶をごちゃ混ぜにして、消しているのではな いかと。 他にもある。 あるときは、僕が詩を読んで泣いていた時、メロは「誰かに苛められたのか!?」と聞いてき た。 あるときは、遠い道のりを延々と歩き続け、体力が尽きてへたり込むと、「どうかしたの?」と 不思議そうに首をかしげた。 またあるときは、僕が指に火傷を負って慌てると、氷を持ってきてこういうのだ。 「大丈夫、寿命にはなんの影響も出てないよ?」 メロはもう、人間の概念でものを見ることが出来なくなっている。 なんとか僕に合わせて、人間の『フリ』をしているだけに過ぎない。 そんな彼に対して、僕はなんと行ったら言いのだろう? 「でもリュークは……すごく、人間臭いじゃないか!仕草とか、言葉とか……感情だって、僕ら と変わらないように見える……でもメロは……なんていうか……そういったところがおかしい… …!」 僕の訴えに、リュークは少し困った顔をする。きっと彼には、僕がなにについて怒っているの かわかるだろう。でもメロには、それが分からない。メロとリュークの差に、いったいなにがある のだ? 「経験の差……だろうな。」 死神は猫とじゃれているメロを見た。僕もつられて視線を向ける。 「こんな例えで悪いが、聞いてくれ。人間が猫の感情を分かることはできない。だが人間は、 猫の気持ちを分かったつもりでいる。仕草や表情、あるいは泣き声でその気持ちを判断する。 大概それは当たっている。猫の仕草を延々と見続ければ、自ずと分かることだ。俺は人間を見 続けていた。だから、人間の仕草をまねすることが出来るし、なにを考えているか大抵当た る。」 メロが、嫌がる猫の首を摘んで遊ぶ。怒る猫に、何で怒るのか騒ぐ少年。 「でも、メロは違う。まだ子供だ。」 逃げる猫を追い掛け回すメロ。それを見つめ、リュークは続けた。 「子供の人間が猫の気持ちを理解できないように、メロもまた人間の気持ちを上手く理解でき ていない。だからそのうち……わかるようになるさ。急がなくても。」 でもそれは、人間として感情を理解するのではなく、死神として人間を観察した結果を理解す るのだろう。 人間が猫が好む撫で方をしたら猫の感情を理解したことになるのか。そういうことになる。 「……リューク……そのすべてを……メロは理解しているのか?」 「してるんじゃねーか?あいつ、頭いいし。」 本当にそうだろうか? もし、まだメロが自分は死神ではなく、中身が人間だと思っていたら? その時、彼の感情はどう動くのだろう。 「してなくても……まだ自分は人間だと思っていても……いずれ死神にならなきゃいけないと きが来る。足掻くのは一時だ。解決策はない。」 メロが、僕らのほうに気がついて、指をさしてなにやら喚いた。どうやらリュークが何故ここに いるのか吠えているらしい。大急ぎでホテルの中へと急ぐ。 「だからさ、月も、人間としてあいつを見るんじゃなく、死神としてみてあげたほうがあいつも傷 つかないんじゃないかなー……なんて……」 ちょこっと恥ずかしそうに、久しぶりの友人はそんな助言をしてくれた。僕は微笑む。 全速力で走ってきたメロが、速度を失わないままリュークを突き飛ばし窓の外に落とした。口 汚いのか子供っぽいのかよくわからない罵倒で、帰るようリュークに怒鳴っていた。 「月!あの小蝿はニアの手先に違いない!だからぜってぇ部屋に入れるなよ!?いいな!」 「入れるも何も、勝手に入ってきたんだけどね。」 ホテルを移動中、何度も念を押してくるメロに僕はあきれる。人通りの少ない裏路地を歩き、 小声で話を続けた。 剥がれ落ちたピンクチラシを踏みつけ、人の目から逃れるように早足で進む僕ら。メロはず っと、僕の手を握ってくれていた。 「月は隙が多すぎる!狙われていること自覚しろ!」 「はいはい。」 「でも大丈夫だから!狙われて襲われたら、俺がなんとかするし!だからもっと、ゆっくり歩い ていいぞ?」 人間と死神の体では体力が違うと分かってきたメロは、頻繁に僕の体を心配する。 「大丈夫。大丈夫だから。見つかっても……俺が守ってあげるから、さ。」 どうやって? 守る。彼にとっての何気ない言葉は、それは即ち相手の死を意味する。彼に容赦という単語 はない。斜め下から見下ろすと、彼の無垢な瞳が返ってくる。心配することなんかないから。彼 はそういう。 守るという時の彼を見ると、背筋に恐怖が走り落ちる。 「……月?どうした?」 人間の死を、残酷さも冷徹さもなしに、消す。彼の瞳に狂気が宿っていたら、少しは納得でき たかもしれない。 「あれ……もしかして俺、『また』なにか違うこと、言った?」 もっと怖いのは、そこで彼が『なにについて』間違った発言をしたのか、分からないと首を傾 げることだ。 僕はなんと言えばいい? 君の『守っている』は、間違っていると。 「な……」 僕は目を逸らす。 「なんでもない……」 何も言えずに、目を逸らす。 「そっか……なあ、月?」 メロがなにか言いたそうに顔を上げた。言おうとして、でもいえない。僕が疑問に思っている と、彼もまた「なんでもない」と笑って僕の手をもう一度握り締めた。 壊れかけた君。 僕のせいで、人の領域からはみ出してしまう君。 それでも僕は、君の事を……
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