おれはまだ、にんげんにみえますか?]〜]T





 最近の俺は、なんか変だ。

 月はこの間、熱を出した。死神の俺にとって、その苦しさはもうわからない。ベッドで震えてい
たので、なにか怖い夢を見たのかと聞いてみたが、違ったらしい。何故か少し困惑して、風邪
だよと教えてくれた。
 そういわれればそうだと、物凄く慌てた。俺がまた一歩、人間という枠から遠ざかったみたい
で。
 月が俺の一言一言に困惑し、泣きそうな顔になると、俺も困る。泣きたいのは俺だ。
 俺だって人間でいたい。
 でも俺の中にある様々な『なにか』は、少しずつ俺を人間の範疇から遠のける。人間の時で
あれば必ず胸の内に沸き起こった感情が、すとんっと抜け落ちてしまう。怒ればいい場面を怒
れない。心配するべき場合を心配できない。泣きたい話なのに泣く気が起きない。それは、『表
現できない』というわけではなく、『表現するべき所なのにそう思わない』といったことが多い。分
かるだろうか?この気持ち。


 そんなわけなので、俺は極々たまにしか、月と気持ちの共有をすることが出来ない。それが
嫌だ。物凄く嫌だ。
 一番嫌だと思うのはあの時……その……恋人同士がやる……まあ、アレの時だ。



 「月……気持ち良い?」
 愛撫の手を休めることなく俺が尋ねると、月は両腕で顔を隠して、こくりっと頷いた。可愛い。
 俺には性欲がないらしい。そもそも、なにについて性欲と指すのか、よく思い出せない。人間
だった時には、道端で買った女で処理していたのだが、その時の俺はどのような気持ちと衝動
でそのような行為に及んだのだろう。見知らぬ女となんて気持ち悪くならなかったのだろうか?
病気になったらどうするのだろうか?人間だった頃には、それを上回る若い欲がそのような行
動に走らせたのだろう………やだな、俺。まるで枯れたじーさんみたいな発言してる……。
 「メロ……?」
 震える声で名前を呼ばれた。考え事に手を止めてしまって、月を焦らしていた。謝る代わり
に、胸の飾りへ吸い付く。月が甲高い嬌声を上げ、慌てて唇を噛んだ。可愛い。


 でも、俺は自身を入れたことはない。もともとこれも、月の性欲処理として始めたことだった。
必要以上に傷つける必要なんかないじゃないか。だから、指で弄って終わらせる。


 「め……ろ……あっ……いやぁ……!やっ、みな…見ないで……!」

 
 でも、月をこうやって弄ると、楽しい。反応や声、呼吸や仕草が、俺の行動一つでころころ変
わる。それをじっと観察するのが、楽しい。


 「そ……んな……じっと、見るな…あっ……ああぁ!」


 もし、俺が人間だったら、変わっていたんだろうか?
 月と心の底からなにかを共有できて、満たされていたんだろうか?

 ……満たされるとしたら、なにが満たされるのだろう?
 月の内側を傷つけてまで、人間はなにを得たいのだろう?
 月はすごく、弱い。別に、このままでも良いと思う。月を傷つけてまで、やる行為には思えな
い。

 達してしまった月は、荒い息で俺の名前を小さく呼んだ。傷をつけないよう、ゆっくり指を引き
抜き、口付けをする。こうすると、月はとても安心したように微笑む。だからする。それ以外に、
キスという行為について理由が見出せなかった。
 でも、その日は違った。何度も優しく、啄ばむ様にキスをしても、彼は泣いていた。顔を真っ
赤にして。

 月はすぐ泣く。その理由を聞き出すのは、最初の頃からの難題だ。

 だから直接、どうしたの?と尋ねる。答が返ってこないときもあるが、その時は返ってきた。

 「め…メロが……」
 俺が?
 「ずっと……僕のこと、観察……するからぁ……」

 それが、泣いている理由?
 俺はまた、慌てる。あれ?俺、またおかしいことやっただろうか?


 人間って、観察されると泣くっけ?


 「は……恥ずかしいこと……するなよ……」
 どうだった?俺は人間だった時の記憶を検索してみる。観察されると、嫌な思いをした?した
ような気がする。しなかった気もする。
 「……メロ……?」
 それとも月は、『恥ずかしいから泣いた』という感情で、涙を流しているのだろうか?どうだろ
う?どっちだろう?でもこれを聞いたら、もしかしたら月はまた泣きそうになるかもしれない。俺
が、人間でないという現実をまた目撃してしまうかもしれない。
 「どうかしたの?」
 月はもう、涙を止めている。ならいいや。俺はその難しい問題を投げ出し、月の頭を撫でる。
月が安心した顔をすると、まだ、俺の胸の内に残ってる人間の感情が湧き出てくる。暖かく、柔
らかい、表現しにくいもの。
 そうだ。これが感情だ。
 表現しにくいもの。
 恐らくそれが、感情。
 「……アイシテル……」
 俺はいつも、その単語を使う。この感情がアイシテイルというのかどうかは分からない。でも、
その単語が思い浮かぶ。だから使う。
 月の顔が、急激に熱を帯びた。耳と頬が赤くなり、目を逸らされる。

 目を逸らされるって……嫌だってことかな?

 どうだったろう。先程まで色々考えたせいなのか、俺はまた不安になる。胸の内にざわめくこ
の嫌な感情だけは、いつまで経っても消えない。でも、なにが不安なのか分からないからさらに
不安になる。
 ……そういえば、俺は月から「自分も好きだ」ということを聞いた事が無い。いつも、赤面して
目を逸らされるか、俯くか、話を変えるだけだ。
 ………どうしよう。もし月が、そう思っていなかったら。その場合、俺の一方通行?俺の持
つ、数少ない感情が、月に否定されている?そうだとしたら、俺はどうするべきなんだろう?
 「……月……」
 恋愛って、どういうものだっけ?
 こういうことを、人間は思ったっけ?
 俺が感じているこの気持ちが、もし人間の言う恋慕というものではなかったとしたら、どうしよ
う。月が、俺が思っている感情とは別の感情で俺を見ていたらどうしよう?
 ああ、くそ……どうして俺は人間の時、真面目に恋愛をしていなかったんだ。こんなことにな
るんだったら、もうちょっと遊んでおくべきだった。
 「……月……俺……」
 いつも飲み込むその言葉。様々な不安に押され、俺はついに発してしまった。
 


 「月……俺はまだ、人間に見える?」





  「……え……?」
 月は呆けたような声を発した。目が泳ぎ、あきらかに困惑している。
 あぁ、またやっちゃった。月は今まで以上に動揺すると、起き上がって俺の肩を掴んだ。
 「ど…ういう……こと?」
 「ごめん、忘れて……」
 「忘れてじゃないよ、どういうことだ!?」
 声を荒げる。嫌だな……こんな怒られるとは思わなかった……。
 「ちょっと……思っただけ。怒るなよ。そんな。」
 「怒ってない。」
 「怒ってるじゃん。」
 「怒ってない!」
 ……ああ。
 また月が、涙を溜めている。
 「……泣くなよ。」
 「だっ……て、メロが、教えて、くれな……」
 「ホント、どうでもいいこと。だから、泣くな……」
 「お…しえて、くれなきゃ、泣く……」
 脅迫された。涙目で。
 「……言っても良いけど、泣くなよ。」
 「ん……うん……」


 「お前……俺のこと、好き?」



 「へ?」
 「だって、よくわかんねーんだ、『それ』が。人間だったら、分かるのに、今の俺には、そういっ
たこと、分からなくて……。人間だったら、分かる?分かるよな?相手が自分のこと、好きかど
うかぐらい、分かるよな?俺…そういうのも…わかんなく、なって、だから、だから………」
 勢いをつけて言ったのに、次第に語尾が弱まり、消える俺の言葉。きっと、嫌われる。さっき
以上に怒られる。俺は目を瞑った。どうして、負の感情はなかなか消えないんだろう。
 「ば…馬鹿!」
 怒られた。
 ああ、やっぱりと思った次の瞬間、月から珍しく、俺のことを抱きしめた。いや、案外初めてだ
ったかもしれない。こんなに、強く抱きしめられたのは。
 「馬鹿!なに、変なこと言ってんだ!」
 「お…俺、やっぱ、間違って……?」
 「ま、間違ってなんかない!ないけど、でも、は、恥ずかしいこと言うな!」
 「?…月、もっと、要領良く言って……?」
 月の頬が熱い。熱がある?風邪?
 「そういうことは、誰でも思うことだよ!
 別に、
 人間とか、
 死神とか、
 関係なく、誰もが通る通過点だよ!
 思い出してみろよ!わ、分かるだろ!?」
 ……ごめん、俺、人間の頃は恋愛やってなかったから、わかんないんだ。
 そう呟くと、非常にコメントしづらい表情で月が目を逸らす。あ、でもそうなると、月が初恋の
人だな、と笑ってみた。月の赤い顔が、さらに熱を帯びていた。
 「?……風邪?」
 「馬鹿。違うよ。恥ずかしいと、赤面するだろ。」
 「あ、そっか。ねえ、俺のこと、好き?」
 「いや……その……」
 「嫌いなのか?」
 月がふるふると首を振る。嫌いで否定するから……好き?あ、なんだ、やっぱ俺ら恋人同士
だったんだ。
 内側から誰かに擽られるような、そんな感覚が俺を笑わせる。
 笑うな、と月に小突かれた。俺は月の髪をくしゃくしゃと回す。
 「め……メロ……」
 月が、なにかを言いよどんだ。俺は耳を欹てる。
 「お前……ホントに……その……」
 なに?
 「に……人間くさい、死神だな。」
 あたりまえじゃん。


 「だって、俺、人間だもん。」


 俺は満面の笑みで答えた。月はその言葉を聞いた途端、動かなかった。しばらくすると、小
刻みに震えていた。どうしたの?俺が顔を覗き込もうとすると、月の両腕に力が篭った。
 「……大好きだよ……」
 途端、素直に月が俺に告白した。でも、声が震えている。
 「大好き…だよ…どんなふうになっても……どんなことになっても……」
 よく分からないが、俺は頷いた。
 「ん……俺も……」


 「好きだよ……」




 今日は8人、『やっつけた』。
 警官6名、SPK捜査官2名、民間人1名。
 だから死んだ人数は、9人。
 民間人は……仕方がなかったんだ。俺が見ていない視界の部分で、俺が起こした爆発によ
って、亡くなった。
 俺が気を抜くと、すぐに連中は俺らのことを嗅ぎまわる。月が怖がるっつってんのに、分かっ
てくれない。
 俺はニアにそれがよく伝わるよう、見つけた奴等は全員殺している。
 別に嫌味じゃない。ただ、生ぬるい方法じゃ、きっと分かってもらえないから……。あ、一回、
伝言を残してみるのも良いな。ノートに死因を書く際、ニアの前で伝言残して自殺させるとか…
…うん、今度やってみよう。
 人間って、ほんと嫌だ。怒って、叱ってやらないと、すーぐ忘れちまうんだから。

 …………?あれ、俺……おかしい事、言った気がする。

 俺はまだ人間でいるのに、人間って嫌だって思うの、変?変じゃないよなぁ。人間の中には、
人間が嫌いって言うやつもいるだろうし。
 「月!ただいま〜。」
 裏路地で待たせていた月の所に走る。後方では、先程ガス爆発に見せかけた炎上が、黒々
と天に上っていった。
 月は俯いている。いつもそうだ。俺が連中をやっつけに行って帰ると、月は泣きそうな顔で俯
いて、しばらく顔を上げてくれない。
 俺はそっと、月の両頬を手で包み込む。
 「月……どうした?一人は、心細かった?」
 月は黙りこくる。ごめんな、そうだよな、俺が居なかったら月、連れて行かれちゃうって思うよ
な。
 大丈夫、かならず、守ってあげるから。
 「行こ。」
 俺と月は手を繋ぐ。離れないように、離さないように。月が少し後ろで、涙を拭いていた。
 ああ、怖くて泣いちゃったんだ。月は泣き虫だから。
 なんだかそんな時は、沈黙が降りてしまう。早々、話を変えることにした。
 「なあ、月!俺、Lの墓にも行ってみたい!一緒に行こう?」
 「えっ」
 びくっと、月が涙を散らして震えた。
 「どした?」
 「い……いいのか?」
 「なにが?」
 「だって……その……僕は、Lを……殺したから……」
 「…………………。」
 「僕が……彼のところに行くなんて……その……」
 なんだ。
 そんなことか。
 「それが、どうしたの?」
 「………え?」
 「いいじゃん。

 死んじゃったんだから、別にそれで。」

 「…………………。」

 「月、Lのこと好き?」
 昨日、気持ちを確かめ合っただけに、月はその質問に答えづらそうだ。
 でも、そんなことどうでもいい。
 「別にいいよ?Lのこと、好きでも。」


 あいつは死んじゃって、月を助けてるのは俺だもの。
 月がLのこと好きでも、所詮は死者。


 俺の邪魔になんか、なりようがない。


 そう考えて、月の顔を見る。そして、驚いた。
 月は、悲しそうな顔をしていた。
 泣いているわけでもなく。
 苦しんでいるわけでもなく。
 悲しい、そう、顔で表現された。
 ああ。
 また俺は。

 「なあ……月……」

 間違ったことを。

 「俺……」

 でも言えない。言うことができない。
 それでも、俺達は手を離さないまま。


 もしも俺を死神に作り変えた神様がいたとして、そうしたら俺を今でも観察していますか?
 もしも誰か人間が、俺達のことを観察していたとして、そうしたら、教えてください。
 月の代わりに、教えてください。
 俺は、なにを間違えたんでしょうか?
 人としての領域を踏み外さないために、なにが必要ですか?
 もしあるのだとしたら、俺はそれをしっかり覚えるから。
 もしも教えてくれるのなら、俺は必ず守るから。


 教えてください。

 俺はまだ、人間に見えますか?

   



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