すきでした ]X〜]Y




 私は、お兄ちゃんの事が……好きだ。
 ……好きだった。
 もう、傍にいないし。
 もう、会えないから。
 だから。
 好きだった。



 本当に、唐突に。
 兄の死が、知らされた。
 父の死が、突然だったように。
 母と移り住んだ、遠い田舎の一軒家に、松田さんが来た。
 優しい彼は、来る前から少しだけ泣いていたらしくって、目を真っ赤にして、玄関に立ってい
た。
 冬が終わる直前の、最後の抵抗だといわんばかりに寒い日だった。空は憎たらしいぐらいに
青空で、今日はお布団が干せるね、と母と笑っていた、その直後だった。
 玄関先で、母と松田さんは話していた。私はその頃、精神的な療養から抜け出し、普通の生
活が始まったばかりだった。母は心配を掛けたくなかったのだろう。真相を知ったのは、半年も
先の話だ。
 松田さんと話していた母は、泣かなかった。ただ寂しそうに、じっと虚空を見ていた。何度か
頷いて、父の死が知らされた時と同じように、深々と頭を下げた。話が終わって、私の所に戻
ってきたので、なにを話したのか尋ねると、母は無理やり笑って言った。
 「お兄ちゃん……ちょっと、体調が悪いんだって。」
 兄の骨は戻ってこなかった。葬式すら、しなかった。兄は失踪扱いにされていた。
 本当に、失踪だったら良いのに。私は時々思う。
 そうしたら、ひょっこりお兄ちゃんは戻ってきて、実は大富豪の娘さんとの交際が親から拒否
されたから逃げていましたとか言って、腕には赤ちゃんとか抱いてて、ごめんなさいって謝っ
て、お母さんがお父さんの代わりに平手打ちして、それで全部が丸く収まってしまうような、そん
な空想を思いついたりした。
 ……ああ、でもやだな、駆け落ちは。
 だって、駆け落ちって言うことは、全てを捨ててまで愛する人が出来ちゃったってことだよ
ね?
 ミサさんの時と、同じように。
 ……ミサさんは、ぱったりとテレビに出なくなった。調べてみたら、病気で亡くなっていた。
 兄と同じ日に。
 ……私、ちょっとショックだったんだよ?
 お兄ちゃんに、そんな好きな人が出来たって、知って。
 でも、ミサさんはアイドルで、綺麗で、人気者で……他人。
 私は、兄妹。だから、お兄ちゃんを好いても、無理だって、現実があって。


 でも。
 帰ってきてくれるなら。
 駆け落ちでも、なんでもいいから。
 なんでも、いいから。
 帰って……きて……。




 そう願った自分は、なんと愚かだったのだろう。
 世界はどれだけ、兄に惨い仕打ちをしたら、気が済むのだろう。




 その年は、2度、父の墓参りをした。当日は雨が降っていて、枯れた草をむしることが出来な
かったのだ。その日母は出かけるということで、代わりに私が掃除を任された。
 兄の死が知らされた、気が遠くなる青い空の下。ポンプから汲んだ水を持って坂道を歩い
た。山を削った墓場の天辺、見渡しが良い所に父の墓はある。しかし、現実で言うと坂道をバ
ケツ片手に上るのはキツイから、なんとかしてほしかった。
 誰かがいた。もしかしたら、父の関係者かもしれない。
 墓の前の人影に、私は立ち止まる。



 兄だった。
 死んだと知らされた時と同じように
 あまりにも唐突に
 兄が、いた。



 兄はしばらく墓を見つめ、手を合わせる。数秒祈ってから、気まずそうに手を解き、立ち去ろ
うとした。
 そして、私と真正面から向き合う。
 兄の狼狽が、あきらかにこちらに伝わってきた。
 私は、不思議と驚かなかった。



 もしかしたら、こんな日が来るんじゃないかという妄想が、現実になっただけだからだ。



 「あ」
 兄が何かを言おうとして、口を紡ぐ。
 「あ……粧裕……」



 私は、お兄ちゃんが好きだった。
 綺麗で、頭がよくて、カッコイイ。
 でも、たまに不貞腐れたり、涙ぐんだり、怒ったり。
 そんな場面を見れるのは、家族の、妹の、私だけだと思った。


 「どう……して?墓参り…終わったはずじゃ……」


 小さい頃、たまにお兄ちゃんを泣かしたこともあった。
 だって、泣き虫なんだもん。
 靴の中に小石を入れたり、無理なわがままを言ったり。
 そうすると、少し涙ぐんで、唇を尖らしてた。


 「ご……ごめん……」


 だから、きっと、ここで私が怒ったら、お兄ちゃんは泣いちゃうと思った。
 どうして、キラになったの、と言ったら。
 知ってるんだよ?お兄ちゃんが死んだ日から、ずっとキラの犯行が止まったって。
 あたしも、お母さんも知ってるんだよ?って言ったら。
 泣き崩れてしまうと、思ったから。


 「う…あ……ごめ……ごめんね……ごめんね……」
 どうして父さんを騙したの?って言ったら。
 お母さんもあたしも、大変だったんだよ?って言ったら。
 そんなこと
 言ったら


 「お兄ちゃん」
 びくりっと、お兄ちゃんの肩が揺れた。



 「げ……元気にしてた!?」



 色々な言葉を抑えこみ、言えた私の台詞がそれだった。
 だって、言えないよ。

 「少し、痩せたね?だめだよ、お兄ちゃん……食、細いん、だから!」

 お兄ちゃんが、こんなにやつれて
 こんなに、細くなって

 「お兄ちゃん、昔から、いつも、そうだった。
 いっつも、思い、つめて、ると、なんいも食べないで、痩せちゃって」

 言えないよ
 お兄ちゃんはきっと

 「そ…それで、お兄ちゃんが食べないおやつとか、私が食べちゃったりして、ははっ、太っちゃ
ったり、してたんだから、ね?」

 私の言いたいことを
 何度も何度も
 頭の中で、シュミレーションして
 泣いてきたんだから
 
 ちらりと、兄を見る。
 俯いて、肩を震わせて、
 苛められた子供のように、
 出る言葉が思いつかない。

 ああ
 兄だ。
 これが、私のお兄ちゃんだ。
 変わってない。なにも変わってなんかない。

 お兄ちゃんだ

 「お…お兄ちゃん!」
 私の声
 聞こえているだろうか?

 兄が、ようやく顔を上げてくれる。
 なんて、情けない顔。
 涙も出てないのに泣き腫らした目で。怯えて。
 きっと、私にしか見れない顔。

 「私も……お母さんも、大丈夫だから!全然、平気だよ?そ…捜査にかかわった人、皆、優
しくて、誰にも、責められたりしてないし」

 大丈夫だよ。
 私は、敵意を持ってないよ。
 そう、怯えきった野良猫に話しかけるように、私は叫ぶ。

 「今度ね、私、就職するの!大学、やめちゃったから、でも、いい職、みつけたの!事務所関
係なんだけど、お兄ちゃんみたいに、立派な仕事じゃないけど」

 立派な仕事という言葉に、兄が悲しそうな顔をした。

 「あ…違うの、あのね……全然、私、キラとか、そんなの、気にしてないから!私の友達も、
私も、少しだけ、期待してた…ご、ごめんね?お父さんの前で。でも、誰も、悪い人がいない、
世界があったら、」

 どんなに、よかったろう。
 お兄ちゃんが傷つかない世界がきたら。
 どんなに、よかっただろう。

 「お…お兄ちゃん、ちょっと、やりすぎちゃったんだよ!だから、みんな、びっくりしちゃって。で
も、全部が全部、悪いわけじゃないから!これだけは、確かだから!」

 なんて、下手な言葉達だろう。
 お兄ちゃんのように、もっと聞きやすい声で、
 もっと、分かりやすい内容で、
 もっと、慰められる言葉で、
 なんで言えないんだろう?

 「さ…ゆ……」

 お兄ちゃんが、また俯いてしまった。
 だめだ。私、なんにも出来ない。
 
 でも、お兄ちゃんは優しいから。
 そんな私の下手な台詞に、もう一度顔を上げてくれた。

 「馬鹿。お…お兄ちゃんって、連呼するな。」

 少しだけ、恥ずかしそうに。

 「大人に…なったんだから、兄さんって、呼べ。」

 一瞬だけ間を置いて、私は笑ってしまった。
 兄も、笑ってくれた。
 泣きながら、私たちは笑った。



 それが切欠で、少しだけ話を聞くことが出来た。
 今、一緒に逃げてくれてる人がいて、その人のお陰で精神的にも楽なこと。
 その逃げている人は、女の人ではない事。
 偏食家で、憎たらしい子供だという事。
 その子のことを話している兄は、とても穏やかで。
 恋人?って聞いたら、赤くしてた。
 お兄ちゃん、受け?って聞いたら、
 ………怒られた。
 最後に笑いあって、そして、別れる時が来た。



 「じゃあ……行くな。」
 寂しそうに、お兄ちゃんは言った。それが合図だった。
 もう一度、会える?そう尋ねると、お兄ちゃんは少し考えて、どうかな、と首をかしげた。
 「あ…そうだ。粧裕。」
 言いにくそうに口篭り、気を使うように、
 「言って…いいからな?」
 なんのことか分からず、首を傾げる。
 「あの…だから…」

 「もし……僕のこと聞かれたら……嘘つかなくて、いいから。
 言って……いいからな?」

 …………ッ

 「僕……もう散々追い掛け回されてるから……今更、もう一回ぐらい追いかけられたって……
なんともないから。だから、もし、怖い人たちが来て、聞かれたら……」

 言って、いいからな。お兄ちゃんは、目を逸らして、そう呟いた。
 そんなこと、しないよ?
 私が、そんなことするように、見える?
 そう言いたかったのに、切なさに言葉が出ない。

 「お…兄ちゃん!」

 何度目になるだろうか。
 背を向けたお兄ちゃんに、私は声を張り上げた。
 「が……がんばって?」
 馬鹿だ、私……。
 でも、やっぱりお兄ちゃんは優しいから。
 優しい笑顔を、私に向けて。
 手を、振ってくれた。




 いいなぁ…可愛い妹もって。
 「なんだよ……変な目で妹を見るな。」
 え?もしかして、妬いてる?月かわいい〜!
 「………………。」
 妹さんにあんなこと言って、いいの?
 「……いいんだ。
 裏切ってきたのは、僕だから。」
 ……月。
 辛そうな顔、すんなよ。
 大丈夫だよ。
 いい子じゃん。きっと……そんなこと、しないよ。
 「……うん……そうだったら……嬉しいな。」



 家に帰ると、いつも通りご飯を食べて、いつも通りお風呂に入って、いつも通りテレビを見て
た。
 そしていつも通り寝て、兄を安心させよう。
 そうすれば、きっと来年……ううん、もしかしたら、一ヵ月後ぐらいに、帰ってきてくれるかもし
れない。
 今度は、お兄ちゃんの好きな人を連れてきて。
 帰ってきてくれる。
 きっと、帰ってきてくれる。



 ……うん、オッケー。捜査員、誰もいない。
 月、もうちょっと顔上げて歩いて大丈夫だぞ?
 「嫌だよ……それは。」
 あ、今度、髪染めてみる?俺と同じ金髪にしようぜ!
 「逆に目立つから……」
 ……妹さん、いい子でよかったな。
 「ん……」


 チャイムが鳴ってドアを開けたら……怖い人たちが沢山いた。
 顔を知ってる人もいた。知らない人もいた。松田さんもいた。険しい顔をしていた。
 ……夜神粧裕は私です。なんですか?
 ……行きましたよ、お墓参り。
 兄?……兄は、一年前、亡くなりました。
 ……会ってません。本当です。
 本当に……会ってなんかいません!



 あ。
 「………………。」
 今、月のこと見てた奴……俺、知ってるよ?
 「………………。」
 たぶん、日本の捜査員。
 月。
 どうする?




 しつこい!会ってないって言ってるでしょ!?
 ……会ってる所を見た?
 見たなら、一々聞かないでよ!
 帰って!帰ってよ!あんた達に話すことなんて、なんにもないんだから!




 月……?
 「……………。」
 しょうがないよ。
 人間だもん。
 裏切るよ。
 「……………。」
 泣かないで。
 俺は、絶対に裏切らないから。
 絶対に、裏切らないから。
 「ん………」
 月。
 前に、進もう。




 わかってる。本当はそんな生易しい、簡単な問題でないことぐらい、分かってる。
 兄は人を殺した。
 人を殺した人を、殺した。
 それを悪だと糾弾した人を、悪としてみなした。
 わかってる。
 わかってる!
 あんた達にそんなこと言われなくても、わかってる!




 月、殺してくるから。
 ちょっと、待ってて。
 「だめ………」
 ?
 「僕の……知ってる人だ……」
 …………じゃ、その人だけ省くからさ。
 殺してくるよ?
 「だめ……だめ……もしかしたら、逃げられるかも、しれない。だから……」





 空港に向かったか…?知らないわよ、そんなの!
 お兄ちゃんが何処に向かったか…なん…て
 ………………!
 まさか。
 お兄ちゃんを、そこまで追いかけに行くつもりじゃないよね?
 やめてよ
 やめてよ!
 今、お兄ちゃんを追ったら
 勘違いして
 戻ってこなくなる
 もう、私の所に戻ってこなくなる!
 やめてよ
 ねえ、行かないで!
 松田さん!皆を止めて!?
 お兄ちゃん、やつれてた。すっごくやつれてた!
 すごく、すっごく、やつれてた!
 いや、行かせない!絶対…やめて、お母さん!離して!
 行っちゃう…お兄ちゃんを捕まえに……行っちゃう……
 止めて…お母さん、あの人たち、止めて!?止めてよ!
 お兄ちゃんが
 お兄ちゃんが!
 お兄ちゃ


 

 もう無理だ。
 殺すよ?
 いいな?
 「………………ごめんね。」
 月。
 目を
 瞑ってて。
 



 開かない玄関のドアに、私は縋りついた。
 悔し紛れに叩き付けた拳から血が滲み出て、木製の扉に線を描く。
 母は必死に玄関を押さえ、私を止める。

 兄が帰ってくることは、もうないだろう。

 私は泣いた。
 お兄ちゃんのように、声を押し殺すことなく。
 いや。
 叫んだ。
 全てを憎むように。己の矮小さも含めて。
 大好きだった。
 本当に、大好きだった。
 お兄ちゃん。私は、あなたの事が、





 「あああああああああぁぁ!」




 好きでした  



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