![]() 「なあ、月。ニアのこと、死んでほしいと思う?」 唐突に投げかけられた問い。僕は、朝食のハムエッグから顔を上げて、間の抜けた顔をして しまった。 「一応、月に聞いておこうと思って。」 日本を発って2ヶ月。ホテルを転々としていたが、アメリカに入国して以来、ニアからの襲撃 はない。 「えっと」 口篭る。目の前のメロは、顔を覗き込みながら僕の答えを待っていた。 「わ……」 もし もし、このような平和な日々が、ニアの死によって永遠に訪れたとしたら。 それは、なんと嬉しいことか。 「わから…ない……」 そうであるにもかかわらず、僕は中途半端な答を出した。永久に訪れる平和な日々のビジョ ンと共に、メロがニア達を殺戮する様がありありと浮かんだのだ。 「そっか。ん、わかった。」 メロはそれでも満足そうだ。僕は彼を窺い見て、 「メロは……」 「んー?」 「メロは……僕がニアに、死んでほしいと言ったら……どう、思う?」 一度は聞いてみたいと思ったことだった。 何度も起こる襲撃に対応しているのはメロだ。いっその事、司令塔であるニアを潰したほうが 早いのでは、という残酷なことを思ったこともある。 「あー…ちょっと、困ったかな。」 メロは苦笑いをした。 「ほら、やっぱりアイツは……家族だから。」 驚く。初めて出会った頃は、ニアに対して敵対心すら窺えた発言をしていたのに……今は、 照れ笑いをして『家族』という単語を使う。 なんだか嬉しくなった。そっか。メロも少しは大人になって……記憶の中の、大切な人を家族 だと言えて、僕が粧裕に感じるような暖かさをメロも感じれたのだとしたら……それは大いに素 敵なことだ。かつて感じていた憎しみは雪融けの様に流れ落ち、普通に少年が感じるような兄 弟の温もりを持っているのだとしたら……それはとても羨ましいことだ。 だが、本当にそうだろうか? 「じゃ、月……ちょっと俺、出かけてくるな?」 「?……どこに、行くの?」 憎しみを感じなくなったというのは 本当に、良いことなのだろうか? 「そんな、心配そうな顔するなよ。大丈夫、月は安全だから。」 「ちょっと、お見舞いにいってくる。」 僕はまだ、何一つ彼のことをわかっていなかった。 「……もう一度、言ってみろ!」 レスターは、目の前で目を逸らしている医者どもに怒声を浴びせた。 「治療は……もう無理だと!?どういうことだ!まだ、終わってない……終わってないじゃない か!貴様等はなんだ!たった一人の少年すら救えないのか!!最高の器具、最高のスタッ フ、高額の治療費……貴様等はなにをやっているんだ!なにも使いこなせていないじゃない か!」 「レスター指揮官。落ち着いてください。」 「落ち着け!?どう落ち着けというんだ!」 場所は軍の特殊医療施設。 白い壁と消毒液の匂いと、電子音の低い唸り声。それらが混ざり合って、心の底から不安を 掻き立てるような暗示に掛かる。 患者とは名ばかりの、特殊な病気を監視するためのモニター室。通常は観察するための部 屋でも、今現在は『本当の』治療のため、少年が一人、映し出されていた。 「あの少年が受けた傷は……医学的には理解できない傷だ。」 医者の一人が言った。罵声をものともせず、ただ淡々と状況報告をし続ける男に、レスター の横にいたジェバンニが、その冷静さに食ってかかる。 「他の……傷をうけた捜査員も沢山いたはずだ!?彼らは助かってるじゃないか!!」 「死神の攻撃を受けた傷は皆、軽症だった。意識を失ってなお生きているのは……彼ぐらい だ。」 「生きてる……?」 ハルが、地を這うような声音で聞き返す。 「彼の、どこが生きているというんですか?」 モニターに映し出されているのは、眠ったままのニア。 2ヶ月間、眠ったままの少年が、そこに横たわっていた。 メロは壁を通り抜け、ニアがいる部屋に入る。 薄暗かった。照明は落とされ、幾つかの管や脳波を調べる器具などの青い光だけが、部屋 を淡く照らす。 メロは、顔を覗き込んでみる。生きているようには見えない。唯一、浅く上下している胸の動 きだけが、死という深淵に足を踏み入れていないことを表している。 「ニア」 誰もが、少年の名を呼んだ。 誰もが、様々な器具で少年を呼び起こそうとした。 それでも、反応は無かった。 「ニア。聞こえてるか?」 穏やかに、子供に言い聞かすかのように、語りかけるメロ。 今まで反応がなかった少年の瞼が。 ぴくりと、動いた。 「医学上では、例の少年を死亡と断定するには、まだ早い。」 「……では、もう二度と目覚めないというのは、どういうことだ?」 「『二度と』というのは推測であって確定ではない。しかし確率的に言えば、2ヶ月間なんの反 応も見せていない現在、目覚める率は低いということだ。」 「脳死ということか!?」 「そうではない。」 「ではなんだ!?」 「それが分かっていれば苦労はない。」 偉そうに。ハルは胸倉を掴む勢いで、医者に訴える。 「では、どういう状況だというんですか!?」 「……先程も話したとおり、少年は本当にただ単に……眠っているとしか言いようがない。前 脳基底部の神経を弄られて入眠操作を無理やり続けさせられている……或いは、少年が無意 識的に起きることを拒否しているか。」 「そんな馬鹿な……!」 「無論、後者の意見では……いや、どちらの意見でも、彼の病名を説明できているわけでは ない。いいかね。あの少年は……」 モニターに視線を配らせて、まるで化け物を見るかのような目つきをする。 「どんなに時間が経とうとも、いつまでも『正常な』状態になっているのだよ?」 よく、長い間意識を失ってベッドに寝かされると、床ずれをおこすというのは聞いたことがある だろう。 人間は立つように作られている生物だ。当然、寝続ければ背中に傷……床ずれを起こし、筋 肉は収縮し、衰弱、疲労する。点滴をしても、それでは満足な栄養にはならない。 しかし、ニアはこの2ヶ月間、なんの異常も起こさず……『生きている』。 意識を失った状態で正常でいること……それこそ、異常なことなのだ。 「ごめんな、ニア……俺、人間をここまで傷つけて……生かしたのは、初めてだったから。 どうなるか、わかんなかったんだ。」 そっと、ニアにつけた胸の傷に触れる。 「わたし達には、今すぐにでもニアが必要なんです!!意識だけでも……いえ、意識さえ取り 戻せたら、彼から指示が仰げます!お願いです!」 「もういい。」 「!?」 ハルの言葉を遮ったのは、一人の中年だった。ハルたちはその姿を見てぎくりとする。現在 の大統領の側近。会ったことはないが、顔だけは知っていた。 「ニアの『親御』さんがお見えになられた。帰宅の準備を。」 たしかに、男の背後には気の弱そうな老人が一人、立っている。 「……なに…を……言って?」 「自宅療養だ。もう、彼にはなにも期待はしない。」 淡々と、男は答える。何故、このような上層部の人間がここにいるのか……決まっている。 今後のニアへの対応を、決めるためだ。 「貴方……貴方方が……」 レスターの、震える唇が言葉にも侵食する。 「どれほどニアの世話になったと思うんだ……?キラ信教者の鎮圧や、犯罪者増加対策や ……なによりも、キラを捕まえたのは、ニアなんだぞ!?」 「その捕まえたキラを易々と野に放ったのはどこのどいつだ?」 メロは傷口にそっと触れ続け、悲しそうに囁く。 「大変だなぁ、お前も…… でも、これでわかってくれただろ? 俺には勝てない。 だから、もう、やめな? もう、お前には時間が残されてないんだから。 そうじゃないと。 次は、もっと酷い事になるぞ?」 「……貴方達だったら、キラを捕まえられたとでも?」 痛いところを衝かれ、突き返すように聞き返す。男は素直に首を振り、 「無理だったろうな。だから、この少年を研究所送りにせずに自宅療養という形をとってやっ たんだろうが。これは、我々のせめてもの慈悲。だいたい、2ヶ月も眠り続けて、脳に何の影響 もでていないと言えるのかね?」 これが、少年に対して下された、慈悲ある決断。そして男は、モニターに映るニアに視線を向 ける。 それにつられ、ハルもモニターを見て、 「………………ッ!」 先程までは誰もいなかったニアの傍に、死神がいた。 引き攣った呼吸は誰にも咎められず、男は今後の『予定』を話し始める。 「SPKは解散とさせてもらう。キラは死んだ。そういうシナリオだ。犯罪者の脱獄など、我が国 の恥にしかならん。君達には今後、死神の捕獲を命ずる。まだ各国に知られていない今、誰よ りも早く死神の力を……」 男の言葉を聞き流し、ハルは横目で画面に食い入る。 なにを…やっているのだ?死神は……? …………なにか、囁いている? まさか…………治療? 「聞こえてるか?ニア。 傷口は、もう治ったよ? もう、起きて。 そして、俺達には……月には、近づかないで?」 「……どうかしたかね?」 心此処に在らずという状態のハルに、男が訝しげに尋ねてくる。 死神が……。言い出しそうになった己の言葉を叱咤し、ハルは考えた。 もし。 ここで、ニアの傍に死神がいると伝えたら、どうなるだろう? いや、逆だ。 死神の傍に、ニアがいるという現状を伝えたら どうなるだろう? 殺される。 死神にではない。こいつらは、ニアの命を繋げている医療器具や、治療を行っている医師 や、動けない…意識のない少年が、本当にすぐ傍にいるにもかかわらず。 銃口を、向ける。 そして、撃つだろう。 銃弾は、死神と、医療器具と、逃げ送れた医師と……そしてなにより……動けないニアに当 たり、破裂し、壊し、殺す。死神が一人になったところを撃ってくださいと言って、はいそうです かと答える奴等ではない。 一分一秒でも早く、自分達の国に役立つ化け物を捕らえようと、躍起になる。 「いえ……」 だが、本当にそれでいいのだろうか? もし、この死神がニアを殺そうとあそこに立っているとしたら? もしかしたら、彼らはニアのことを考え……いや、しかし。 「なんでも……ありません。」 搾り出すように、ハルが呟いたのはそれだった。 「ふむ……なにか不服があれば、辞表を出してくれ。それでは、失礼。」 男は言いたいことだけ言い終えると、踵を返す。後ろにいた老人が、深々とレスターたちに頭 を下げ……男の後を追う。 「……私は辞める。ニアが指揮を執らないのであれば……ここにいても、意味がないからな ……」 ジェバンニがそう吐き捨て、モニターに背を向ける。 「……?どうした、ハル。さっきから。」 「!………いえ。」 レスターに聞かれ、ハルもまた逃げるように部屋を出る。 間違っていない。自分はきっと、間違ってなんかない。 殺すつもりなら、今更殺しに来ることはないのだ。 間違っていない。間違ってなんかない。 自分は、ニアの身を案じただけだ。 間違っていない。 間違ってなんか………。 男と老人が、集中治療室に入る。 機械に繋がれた少年は、とくに外傷もないままゆっくりと呼吸を繰り返していた。 「ああ……ニア……」 涙ぐみ、この再会に絶望するロジャー。 男は、傍にいたスタッフに小声で、少年の様子を尋ねる。 「死神につけられた傷は?」 「奇妙な傷です。未だ塞がらないのに……血も流れません。」 「報告書通りか……自宅に戻らせても、監視は続けるように。」 最後の言葉だけは、老人に聞かれぬようスタッフに囁く。ロジャーは、寝台ごと抱きつくよう に、ニアを抱擁する。血色の悪い白い肌が、青い光に照らされて更に白さを増す。 「ああ……ああ……こんな……こんなことになるなんて……やはり、追わせるべきではなかっ た……継がせるべきではなかった……しかし……私がやらなくとも、他の人間がやるだろうか ら……しかたなかった……すまない、すまない、すまない……ああ、メロを殺したのも、私だ… …私が……わた、し……ああああ……」 泣き崩れる老人の姿に、男の心に憐憫の情が生まれる。それを表面に出さず、ニアを見た。 まだ、子供ではないか。 おそらくは、我が子と同じぐらいの。可哀相に。能力に秀でていなければ、今頃は普通に暮ら していて、こんな現実にはならなかったものを。大人たちに背を押され、死神の生贄などにはな らなかったものを。捜査員達の鬼気迫る期待に応える必要もなかったものを。 頭がよかったために、こんな現実しか与えられなかった。 だが、仕事は仕事だ。軽く頭を振り情を払いのけ、男はロジャーの肩に手を置く。 「ニアを車に移します。さ、一度あちらで待って……」 がしりっと。 男の腕を、細い手がしっかり掴んだ。 え?と、その手の主を見る。折れそうな腕をゆっくりと辿り、顔を見た。 子供だった。金髪の。それも、どこかで見た気がする。 「触らないでよ、おじちゃん。」 いつの間に、いたのだろう。今まで気がつかなかった。その声にロジャーも振り返り、驚愕の 表情で慄く。 「め……メロ?」 そうだ。 この少年は。 「し………死神!?」 腕を振り払おうとしても、その腕力は少年の細さからは想像を絶する加減だ。 みしりと嫌な音が、男の腕から奏でられ、情けない悲鳴で周りのスタッフがざわめく。 「おじちゃんさ、大統領の側近の人だろ? 今度、俺らのことを追うように言われた人だろ? だから、忠告しておこうと思って。」 視界が、回る。 男が一瞬だけ意識をとばし、目覚めた時には壁際に吹っ飛ばされていた。腕は折れていた。 感覚が麻痺して、なにも言えなかった。 「おじちゃんってさ、一番『出来る』人なんだってな? アンタが指揮を執っちゃったら、きっと月が怖がるし、俺も大変になると思う。 可哀相。 無能だったら、生き長らえたのに。」 死神が、羽を出す。 その異形な姿に、男が更なる悲鳴を上げた。 何事かと、スタッフが集まり始めるが、メロは気にせず笑う。 「ま……待ってくれ!わかった、お、追わない! お前の、忠告は聞く!だから、だから!」 「なに言ってんの?」 本当に不思議そうに、死神が首を傾げる。その後、本当に誰もが安心してしまうような微笑を したので、男が微かな希望を見出してしまった。 「忠告をするのは、俺を捕まえようとする大統領にであって、おじちゃんじゃないよ? おじちゃんを殺すことによって、『俺らを追うと同じようになるよ』ってことを、 大統領に伝えるんだ。 だから、忠告するためだから、ちょっと、痛くなるよ?」 希望を見出した分、絶望へと叩き落された痛みは激しかった。 「大丈夫。ちょっとだけだから。 ほんのちょこっと。 すごい痛みが、あるだけだから。 いつもだったら、痛みもなく終わるんだけど。 ……だから、謝るよ。」 死神が、黒いノートを取り出して、残酷な文章を書き始める。 次の瞬間。 男は……… 「ロジャー…?」 すべてが終わった治療室は、静かだった。 振り返って、育て親を懐かしく呼ぶと、老人がびくりと肩を震わせた。 「ひさしぶり。元気だった?」 メロの姿をした死神が、嬉しそうに微笑む。 その笑顔は、確かに昔のメロそのものだった。チョコレートをあげた時や、難しい問題が出来 て褒めた時に見せる、とびっきりの笑顔。 ただ、人間に模した体から突き出している羽が、けしてコレが少年ではないという現実を老人 に叩きつける。 「……?あ、びっくりした? でも、ほら。仕方がなかったんだ。 ロジャーも、仕方がなくて俺らをLの候補として育てたように。 仕方なかったんだよ? どうしたの?」 死神が、微笑む、微笑む、微笑む……。 ロジャーは、涙で霞んだその微笑を見て、震えた。 これが現実か これが、自分の起こした結果か 「あ、ニアはもう大丈夫だよ?もう少ししたら起きるから。 そしたら、連れて帰ってあげて? ニア、もうすぐ死んじゃうから。」 ふと、メロが天井を見上げる。 先程、自分の羽が壊した天井が崩れかけている。大変だ。慌てて駆け寄り、ロジャーに言っ た。 「ロジャー。天井が、崩れる。危ないから、早く……」 「う……」 ロジャーが、己の老体でニアの体を隠すように多い被さり、 「うあああああぁぁぁ!」 「……………?」 悲鳴に、思わず足が止まる。目の前の脅威に、それでもニアを守ろうと、彼は必死に否定の 言葉を叫んだ。 「に……ニアに触るな!化け物め……!」 死神は痛みを感じないはずなのに。 ずきりと、胸の奥になにかが突き刺さる感じがした。 おかしいな、とメロが自分の胸を確かめるが、なにも攻撃はされていない。 「ロジャー……どうしたんだ?俺だよ?メロだよ?」 「う…あぁ……ああああぁぁ……」 「覚えてないの?……羽、怖い?分かった、仕舞うよ。 化け物じゃない。化け物じゃないよ、俺は。 俺は………」 羽を仕舞っても、ロジャーの悲鳴は止まない。苛立ち、なにが言いたいのかわからない子ど も相手に怒るかのようにメロは目くじらを立てる。 「な、なんだよ?どうしたっていうんだ? 危ないんだよ?そこ、危ないんだってば!ロジャー、離れて!」 「く……来るな……化け物……化け物……!」 「違う!俺、メロだって!どうしたんだよ、ロジャー!」 「嘘だ!」 恐怖に震えた声で、叫び返す。 「メ……メロは……」 死神の傍に、絶命した男の亡骸が転がる。 「メロは……こんな……」 男の死に驚き、警備を呼ぼうとしたスタッフ達が、羽で切られた己の一部の痛みに失神して いる。 「こんな……こんなことは、しない……」 血が、地面に塗りたくられて。 まるで、地獄のような 殺戮が 殺戮が…… メロは、自分の行ったそれらを見回して……首をかしげた。 「じゃ、俺はどんな子供だったの?」 次の瞬間 崩れかかった天井が、限界を超えて、 巨大な破片を、降らせた。 「ロジャー……!」 「来るなあああぁぁ!」 ニアに覆いかぶさり、否定の言葉を叫び続ける育て親。 それなら、もう知らない。 ニアのほうが好きなら、もう知らない。 メロはじっと、老人の顔を見ていた。 どうせ、寿命は変わっていないんだから どうにでも、なればいい。 とんっとんっと。 肩を、優しく叩かれた。 まるで、幼子を起こすような穏やかさで、揺り起こされた。 嫌だ。 起きたくない。 包まれるような眠気にしがみ付き、ニアは瞼を震わせる。 「ニア……起きなよ。」 嫌だ。 まだ、眠っていたい。 大切な人が手に入らない現実なんか。 心を焼き尽くすような憎悪に身を焦がす現実なんか。 起きたくない。 眠っていたい。 ずっと、このまま穏やか眠りに身を埋めていたい。 「ニア……」 誰? 自分の名前を呼ぶのは。 誰? 悲鳴に、目を覚ました。 耳に劈くのは、女性の悲鳴。目の前には、真っ暗な空。 「あ……あああ……こんな……私が……私が、言わなかったせいで……!」 声に、聞き覚えがあった。ハルだ。首を動かそうとするが、ずいぶん体が重い。視界が回復 すると、真っ暗な空だと思ったそれは天井であり、体が重いのは誰かが自分に覆いかぶさって いたからだった。 「ああ……あああああ……ごめんなさい……こんな……こんな……ああ……あああああ… …」 なにを、泣いているの?体を起こすと、ずるりと覆い被さった誰かは地面に転がった。 その誰かさんを見て。そして、周囲を見回して。 「……ああ」 ニアの呟きは、ハルの嗚咽に消される。 ロジャーが頭から血を流して、倒れてる。 酷い死に方をした男が、周囲を血の海に変えて絶命している。 ハルが扉の前で蹲り、その周りには体の一部を失って呻いている人間が数名いる。 「ああ」 ニアは、天を仰いだ。 「夢か……」 現実逃避は、ハルの泣き声で失敗に終わり。 彼自身も悲鳴を上げるのは、この数十秒後。 メロが帰ってきたのは、その日の夜。 僕がベッドの中で丸まっていると、メロが何時の間にかベッドの縁で腰を掛けていた。 ぼんやりと空を見ているメロの顔を見て、僕はぎょっとする。 「メロ……?」 「ん?」 起き上がり、メロの顔を両手で包み込む。 「……どうした?」 「なにが?」 「なにがって……」 本人は、気づいていないらしい。メロは目を擦り、 「あ……目?よくわかんないんだ。さっきから、痛い……血とか、でてる?」 なにを言ってるんだ。 「泣いてるんだよ?」 「……ナイテル……?」 メロは、擦った指先を確認している。 「なんだか……目から出血しているような感じだったから……何かと思った……そっか、ナイ テルのか……。」 「なにがあったんだ!?」 そういえば、出て行くときに『お見舞い』と言っていた。 「もしかして……お友達……亡くなったのか?だから、泣いているのか?」 まさか、友人の死への感情すら分からなくなったのかと顔を引きつらせると、メロはあっさり 首を振り、 「ううん。元気になった。」 「じゃ、なにか悲しいこと、なかったか?」 メロははっきりと答えた。 「なにもなかった。だから、なんてナイテルんだろ……それに……」 胸を、さする。 「ずっと……苦しい……」 「……もしかしたら、友達が回復して、安心して泣いちゃったのかもな。」 そうか、なにもなかったのか。僕が笑顔を見せると、メロも安心したように泣き笑いをした。 「そう……なのかな……」 「何で泣いているのか、よく分からないことなんて沢山あるよ。」 「ははっ……月の泣き癖が移ったみたいだ。」 ちょっと困ったように、メロは笑う。僕は隣に座り、聞いてみた。 「メロ……そういえば、詳しい話を聞いてなかったけれど……どんな様子だったの?」 「ん?」 メロは、少し考えた。 「聞きたい?」 どうして、僕は躊躇いもなく聞いてしまったのだろう。 「うん。聞いてみたいな。」 聞き終えて 分かった事実は もう、彼は 人では ない ということ そして今度は、僕が泣いた。 泣いた僕を、メロが必死になってあやす。 すべて、僕のせいだった。
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