たすけて]]−T



 俺の友達が、恋をした。

 「は……初めまして。」

 綺麗で、儚くて、恥ずかしそうにちょっとだけ目を逸らして、

 「月と……いいます。日本語の漢字で、『月』と書いてライト……」

 犬みたいに人懐っこく腕に絡み付いているメロを気にしながら、
 俺に、ぎこちなく笑ってくれた。

 「しばらくの間……よろしくお願いします。」


 おかしいだろうか?

 たった、それだけのことだ。

 おかしいだろうか?

 俺よりもはるかに年上で、性格も中身も、悪人か善人かすら分からない青年に

 「あの……」

 「へ?」

 「君のお名前……は?」


 俺は、恋をした。



 おかしいだろう


 俺の、友達の恋人なんだから。







 メロが久しぶりに、俺に連絡を寄越してきた。
 しばらく身を隠させてくれ。そういった内容で書かれてたメールに、俺は別段なんとも思わな
かった。
 一年以上も前、メロが身をおいていたマフィアが壊滅したという噂は俺の耳にも入っている。
驚いたのは、生きていたのかとはという感想と、さすがはメロだなぁという感嘆だった。まさか顔
とか体に逃げた時の火傷とか傷があったらどうしようと、びくびくしながら駅に向かった。
 待ち合わせ場所にいたメロはなんも変わっていなかった。表面上は。

 「マット、ひさしぶり!」

 肩を叩かれ振り返ると、笑顔があった。逃亡中にもかかわらず、メロは朗らかに笑った。追
われてるくせにそんなに大声出していいのかよとツッコミをいれたかったが、よくよく考えると警
察の手配書にメロの顔を見たことはない。
 全然変わっていないその笑顔に、俺も笑いかけたその時……彼と目が合ったのだ。
 柱の陰に隠れるようにして、青年がぺこりと俺に頭を下げる。俺の笑顔が引き攣った。
 俺が目で『コイツ誰?』と尋ねると、メロは青年の腕に絡みつく。
 自分の笑顔の根源はすべてこの人のお陰なのだと言わんばかりに、メロは楽しそうに答え
た。
 「俺の恋人!」
 青年は、他人になにを言っているんだという非難の表情を、頬を赤らめながらした。
 色づいた頬に、どくりと俺の胸の内が鳴る。
 「は……初めまして。」
 それが、月だった。


 この瞬間だけで、俺は彼に、恋をした。






 俺の住処は裏通りに面した安アパート一室だ。部屋は広いが、建物は古い。なにかの災害
があったら、即座に崩れるぐらいの老朽化が進んでいる。
 月はその建物を見上げ、非常にコメントしづらそうな表情をした後、「ね…年代を感じる建物
だね」とフォローをしてくれた。俺は心の中だけで礼を言い、コメントを返さず中に入る。
 部屋では、メロと中のよかった数人の友人達が屯していた。帰ってくるという連絡を受けて、
ささやかな酒宴を用意して……すでに彼らは始めているらしかった。
 「おっ、ひさしぶり!」
 「ああ、来た来た」
 「生きてたんだー?」
 各々に好き勝手なことを言って、メロのほうを振り返り……彼の隣に所在なさげに立ちすくむ
月を見る。月は、慌ててぺこりと頭を下げた。
 「……誰?そいつ……」
 一人が、呆然とメロに尋ねると、奴はがばっと月に抱き付き、
 「俺の恋人ー」
 月の頬に、キスをした。
 ……次の瞬間、メロに対して怒号と罵声とブーイングの嵐が飛び交い、嫌がらせに月とメロ
を引き剥がしてメロに対しては引き続き罵声、月に対しては質問責めをし始めた。
 いつの間に恋人なんか、どこで攫ってきた、お前にはもったいない
 なんて名前?年齢は?何処の国の生まれ?本当にメロとは恋人か?
 ふざけんな、裏切者め、なにを企んでいる、メロのくせに生意気な
 本当に男?受け?攻め?実は女とか?胸触っていい?
 ……最後に質問をした憐れな友人は、メロの回し蹴りが決まって昏倒した。飼い主を守る犬
のごとく、友人達を威嚇して月にしがみ付くメロ。
 こんな感じで始まったパーティーは、主にメロを取り囲んで話の華を咲かせていった。月はと
いうと、まったく知らない人間たちに囲まれ、困ったように飲めない酒のコップを両手に持ちソフ
ァに座っている。俺はメロから、友人達の質問から守るよういわれ、隣に座っていた。
 俺と月の間に会話はない。俺は酒をちびちびと飲み、月はピザをこれまで見たこともないぐら
い上品に口へと運んでいる。いくら酒を飲んでも口の中は乾き、鼓動は早さを増すばかりだ。
どうしよう、なにか面白い会話をしないと。だが俺が思い浮かぶのは下らない話題ばかりで、は
たして月が喜んでくれるかどうかわからない代物ばかりだ。
 俺が出来るのは、ちらりと横目で月を見ることぐらいである。彼の横顔は、まるで高級な美術
品のように完成度が高く、美しかった。その目線は常にメロを見つめ、友人達と駄弁る奴を本
当に嬉しそうな気持ちで眺めるのだ。
 ……俺といるよりも、やっぱりメロと一緒にいたほうがいいのだろうかと考えを巡らした時、月
の視線が俺に向けられた。それだけで、俺は目を逸らしてしまう。俺と視線を合わすという行為
が、この人に対してとても失礼に感じたからだ。
 「ごめんね……びっくりしただろ?メロが……僕みたいなのをつれてくるなんて。」
 月が、申し訳なさそうに謝ってくる。俺は首が?げるぐらい激しく振り、否定を表すが、月は悲し
そうに目を下に向けるばかりだ。
 「でも……胡散臭いだろ?僕……」
 「そ…そんなことない……ですよ?」
 裏返った敬語になってしまった。月が、俺に笑いかける。
 「でも……なんだか、嫌われてたみたいだから……」
 よくよく考えてみれば、俺は名乗ってから一度も月と話をしていない。目も逸らすし、黙り込む
し……ああ、嫌われてると思われても仕方ないのか……?
 「いや、その…違う…だって、メロの…恋人だから、話しちゃ、なんか、拙いかなって……」
 しどろもどろに俺が答えると、月は「ありがとう」と言ってくれた。途端に、俺の頬が熱くなる。
月が不思議そうに、俺を覗き込んだ。
 「……飲みすぎたの?」
 月の指先が、俺の頬にそっと触れた。体が硬直する。頭の中が真っ白になった。
 「あー!テメェ、マット!俺の月にさわんな!」
 気がつくと、メロが俺と月の間に入る。色々な意味で、助かった、とメロの罵声を聞き流しな
がら溜息をついた。
 大丈夫か月なにも変なことされてないよな、なんて月の髪をかきあげながら、メロは月といち
ゃつく。くそ、俺が変な事するように見えるのかよと心の中で毒づいていると、メロがふと月の
顔をじっと見ていた。

 何故か、違和感があった。

 その表情が、どこか……月を観察するような目つきだったからだ。そうまるで、学者が動物の
容態を見るため調べているような、そんな感情のない色。
 月の顔色、表情、体温、目の充血、肌質……それらをくまなく探り、首を傾げる。
 「月……疲れてるだろ?」
 そりゃそうだろう。始めての土地、始めての人に囲まれて、精神的にも疲れるに決まってる。

 何故、そんな当たり前のことを?

 「……月、お前……熱が『でる』。」
 え?と、俺も月も目を丸くした。月は自分の額に手を当てて、
 「……いや?熱は……ないけど?」
 「いいや、『でる』。」
 メロはやけにはっきりと言う。今度は俺のほうを見て、
 「月のこと、休ませてあげて。あと、薬。」
 「あ……ああ。」
 なんだか、薄気味が悪い雰囲気に俺は気圧され、ベッドの用意をしようと席を立つ。メロは、
月の髪をなで続け、
 「……大丈夫か?」
 「メロ……疲れているのは確かだけど、熱はないよ。心配することは何もない。」
 「今はなくても、たぶんもうすぐ『でる』。俺も一緒にいてあげるから、もう寝な?」
 「大丈夫だって。」
 「でも……」
 「うん、わかった、寝るから。メロは、友達と話をしてなよ。久しぶりに、会ったんだろ?」
 なんだか、母親と子供のやり取りだ。羨ましく思いながら、俺は寝床の用意をする。
 まさかソファに寝かせるわけにはいかない。申し訳ないと思いながらも、俺が普段使っている
ベッドを貸した。月の顔色を見てみる。……別に、気分が悪いようには見えない。
 「……メロって……いつもああなのか?心配性?」
 「うん。まあ……」
 月は言葉を濁した。でも、とつけたし、
 「メロがああいってるんだから……たぶん……熱が出ると思う。」
 ふうんと、俺は相槌を打つ。
 「でもメロの奴……あんな…観察するみたいに見なくても良いのにな。」
 真正面から、じろじろと。気分を害するだろうに。
 俺がそういうと、月はどこか悲しげな目をした。


 「しかた……ないの」



 そして実際、月は次の日熱を出した。
 早めに寝たので大したことはなかったが、微熱ではある。
 メロは月の頭をなでながら、熱が下がるまでずっと傍にいた。時々話をして、笑って、抱きつ
いて。
 二人の間には、なんの問題もなく、なんの障害もないかのように、楽しそうに語り合っていた。


 俺はその時、羨ましそうに見つめることしか出来なかった。
 でも……妬ましいとは、思わない。
 だって、俺が例え月と恋人同士になったって……傷つけるだけに決まってる。
 メロみたいには、なれない。
 なんの問題もなく、恋をすることなんて出来ない。




 でも



 それは、間違いだった。

 そう気づいたときには、すべては終わっていたのだけれども。



 俺とメロとが最後に過ごした時間が、こうして始まった。










たすけて]]−U〜]]−W








 止まらない


 「ニア」
 「怪我はもう大丈夫なんですか?」
 「顔色が悪いようですが」
 「ニア、今、大統領から連絡が」


 止まらない
 止まらない、止まらない


 「部隊を3つ貸すから、好きなように使えと」
 「資料はお渡ししたのが全てです」
 「申し訳ありません、未だ夜神月の行方については」


 止まらない止まらない止まらない
 まるで、坂道で転がした乳母車のように


 「NYに入ったことだけは、監視カメラから割り出していますが」
 「ニア」
 「ニア?」
 「どうかされました?」
 「顔色が」
 「誰か水を」
 「やはり、もう少し休まれては」


 運命は、誰の手にも止められることなく
 止まらない
 止まら、ない


 「大丈夫です。」


 誰か助けて


 「休暇は十分取りました。傷は塞がらなくても、捜査に影響はありませんので。」


 助けて 助けて
 誰でもいい
 死神でもいい
 この傷の痛みから
 胸の内を焼き尽くす憎悪から
 手に入らない妬みから


 「報告を、続けてください。」


 助けて
 誰か





*****






 俺と月は、ゆっくりと煉瓦道を歩く。
 いつもだったら、月と手を繋ぐと幸せな気持ちになった。暖かくて柔らかくて、握ると少しだけ
強く握り返してくれて。

 ……でも、今は嬉しくない。
 駅が近づくにつれて、その嬉しくない気持ちは嫌悪に変わり、それでも月の手は離したくない
のでその場にしゃがみ込んでしまった。
 「……メロ?」
 「やだ」
 俺は首を振る。
 「……やっぱ……行きたくない。」
 月は、困った顔をする。周囲の人間は、奇妙そうに月の事を見ていた。
 「でも……メロが行きたいって、言ったんじゃないか。」
 「じゃあ、もう行きたくない。」
 「メロ……」
 「だって!」
 俺は声を荒げる。
 「俺……行くの、怖い……マットが、俺のこと見て、おかしいって言ったら……本当に俺が人
間で無い事が証明されるから……だから、行きたくない。会いたくない!」
 「平気だ。メロは人間に見えるよ。なにも、おかしいところはない。」
 「嘘だ!月は……時々、嘘つくじゃないか!」
 ……月が黙り込んでしまった。しまった。俺は自己嫌悪に陥る。
 「……よかった。」
 なにが良かったのだろう。俺が顔を上げると、月が微笑んでいる。
 「メロは……まだ、人間だよ。
 恐怖とか、嫌悪とか……人間じゃないかもしれないって不安になることや……
 まだ、そういったことを、覚えてる。
 誰かに会おうっていうだけで
 だんだんと、メロは思い出している。
 思い出すってことは……その友達と会ったら、
 もっと、思い出すってことかもしれない。
 行こう。
 会いに、行こうよ。
 もっと、思い出すために。」


 思い出す


 思い出すってことは……ただ、忘れてるだけなのかな?
 思い出すってことは……なくしたわけじゃないのかな?
 「……ぅん……」
 「よし、偉いぞ。」
 月が俺の頭をくしゃくしゃと撫でる。やめろ、俺は子供じゃない。ぶーたれると、月はやっぱ
り、嬉しそうに笑っていた。
 月が笑うと、俺も嬉しい。

 俺達はまだ、前に、進んでいる。

 進むことが、出来る。






 少しずつなにかが変わっていくという恐怖に耐えかねた俺は、マットに会うことにした。
 なにか、思い出すかもしれない。そんな希望に縋りつき、しばらくの間マッドの住処で身を隠
すという名目で会いに行った。月にもちゃんとした休養が必要だ。窓から飛び降りた一件以
来、月の精神は身体にも影響を及ぼしていた。マットの所なら大丈夫だろう。短期間ならば、安
全は保障できる。
 だが、会うと決めた時から、少しずつ俺の中に不安が積もっていった。会うだろうと思われる
人間に紙を触らせ、事前に用意をしても、どんなに彼らと会った瞬間をシュミレーションしても、
不安が拭い去られることはない。もし、お前は人間じゃないと指差されたらどうしよう。もし、俺
をメロだと判断できなかったらどうしよう。
 足が竦む俺の背を押してくれたのは、月だった。
 そして俺は、マットに会った。出来るだけ、昔の自分を装って。
 マットは少し、変わっていた。大人になったというか、一年という期間は、人間にとってはやは
り長いのだと思い知った。マットは気づいていなかったようだが、俺よりも背が高くなっていた。
悔しさが込み上げてきたが、これも人間の感情だと思い出す。
 そうか。思い出しているのか。
 嬉しくなった。俺を変わらず迎えてくれる仲間、環境、言葉、そして月の嬉しそうな笑顔。
 すべてが、良い方向に向かっていた。
 人間の体調にも、気づけるようになった。顔色、体温、心拍……特に月に関しては、手に取
るように分かる。マッドと会ったその日、月の額を触ると体温の微妙な上昇があった。様々な点
から、大抵この状態だと次の日熱が出るなということは覚えていたのだ。
 大丈夫、戻れる。
 人間に、戻れる。
 ベッドで眠った月の髪を撫で、俺は安心感に包まれる。
 「おーい、メロ。まだ起きてんのかよ?」
 マットに呼ばれ、俺は顔を上げた。そういえば、もう夜だ。

 最近、時間の感覚がおかしい。

 でも、これで『直る』かな。マットは毛布を俺に投げ、
 「そろそろ寝ろよ。ベタベタしてないで。昨日も寝てないだろ?」
 「月はお前と違って繊細だから、俺がいないと寂しさで凍えちゃうんだよ。」
 「兎か!月は!」
 本当は、眠くなんかないのだが。俺は毛布をマッドに投げ返す。
 「俺、月の隣で寝る。」
 「馬鹿!俺のベッドにお前のダニがつく!床で寝ろ床で!」
 今度は毛布を叩き投げられた。床で寝たら月の顔が見えないじゃん。むすっとする俺に、マッ
トは溜息をついて、
 「まさかお前……俺のベッドでヤるわけじゃないだろうな……?」
 「やる……?なにを……?」
 間抜けな質問をしてしまったらしい。マッドは顔を真っ赤にして、
 「えっちぃことだよ馬鹿!」
 「馬鹿馬鹿言うな馬鹿!月が起きるだろ!」
 怒鳴り返す。ふと、俺はある事に不安になった。
 「なんだ……いきなり神妙な顔して……」
 「いや……」
 俺は、この不安をマットに言っていいかどうか判断しかねた。
 俺がよほど困った顔をしていたのだろう。マットも真面目な顔をして、
 「……聞いてやるよ。友達だろ。」
 「う……でも……」
 もし
 もしこれで、この不安が『おかしい』ことだったらどうしよう。
 マットが、これで俺を嫌ったりしたらどうしよう
 その思いが、俺にストップをかける。だめだ、いえない。
 「まあ……深刻な問題なら……俺が口、挟めることじゃねーけどよ……」
 そう引かれると、俺は尚更言いたくなる。目を逸らしながら、
 「いや……変な事……なんだけど、さ……」
 「ああ。」
 俺は、思い切って聞いてみた。
 「俺……月とちゃんとエッチしたこと、ねーや……」

 ………………。
 …………………。
 ……………………。
 …あぁ、やっぱ変なことを……
 「ば……バカヤロウ!」
 「え!?」
 「変だよ、それ!」
 「ええ!?」
 やっぱ変なんだ!俺は絶望する。
 「ど、どうしよう!?」
 「どうしようじゃねぇよ、それ、そんなの、男じゃねえ!」
 「ええ!?そこまで!?」
 「そうだよ!ま…まさかメロ、お前、受けなのか!?」
 「違ぇよ馬鹿!」
 「じゃ、やっぱ変だ!」
 「変なのか……どうすればいいんだ!?」
 「どうすればって……どうちゃんとしたことないんだよ!?」
 「い……挿れたこと……ない……」
 「枯れたのか!?」
 「違う!……と、思う……」
 「やば…やばいよ、それ!確かめないと!」
 「そ…そうだよな…」
 「今すぐだ!」
 「そうだよな!」
 ばっと月のほうを見ると……俺達の会話に起きた月が……なんだろう、今まで感じたことが
ないほど凶悪なオーラをだして……枕を俺に投げつけ、近くにあった本をマットに投げつけて
部屋を追いだした。
 




 もう一個あります
]]−V


次の日、月はマットと買い物に行き……なにを言われたのか不明だが、青ざめた表情で帰っ
てきた。
 近寄りがたいほど苛立ちを放出している月から逃れるため、俺達は外に出る。あまり遠くに
はいけないので、階段の踊り場から望める街並みを見て話をしていた。
 「月になに言われたんだ?」
 「いや……色々……」
 マットは青ざめながら、目を逸らす。まあ……月は怒ると怖いから……。
 「なあ……月って……何者?」
 やっぱり聞かれた。
 「俺の恋人。」
 「いや……そうじゃなくって……」
 「俺の恋人で、頭がよくて綺麗で…泣き虫。月っていう名前の日本人。それだけ。」
 「…………………。」
 聞きたいことは、きっと沢山あるんだと思う。
 なんで所属していたマフィアが壊滅したのだとか、なんで一般人っぽい月と逃亡しているのか
とか、逃亡犯なのになんで表立って公表されてないのだとか……。
 でも、マットは聞かない。
 俺が困りそうなことは、一切聞かない。
 「あ…あのさ……」
 マットは口篭る。聞きたそうに、口篭る。
 「………………。」
 でも言えないから、黙る。
 「あのさ……なんで……」

 「なんで……月とセックスしねぇの?」

 ……………………。
 「あ、悪い、枯れてるんだっけ?」
 「枯れてねぇよ!」
 「いやだって……」
 「違う、それは……!」
 俺達は
 俺達、友達というのは
 「だって……月って……すげー壊れそうだから……!」
 大体のことは、分かってるんだ。
 これを聞いたら辛いだろうとか、でももしかしたら聞いてほしいのかもとか、
 「無理やりやったら……傷つきそうで。そう考えたら、月とそういうこと、出来なくなってた。」
 自分のことでもないのに、すごく、考える。
 他人のことなのに、ふと友達のことを思い出して、こんなこと悩んでたなって考えて、
 「月も……したいって言わないから……しなくなった。」
 相槌だけうってりゃいいのに……いい奴って、そういうことが出来ない。
 自分の問題で首を突っ込むことじゃないって分かってるのに、それだと物凄く歯がゆくなる。
 マットって、そういう奴だ。
 そんなコイツが、俺の顔を見て……なにも聞かないでいてくれる。
 どうでもいい悩みとかを、聞いてくれる。
 やっぱ……いい奴だな、コイツは。
 「お前さ……」
 マットは、手すりに顎を乗せながら、ぼんやり空を見ていた。
 「やっぱ枯れてるんだ。」
 は!?
 「違う!」
 「だってそうだ!そんな言い訳するなんて、やっぱ枯れてるんだ!」
 「違うってば!」
 「月のこと、好きなんだろ!」
 「ああ、好きだ!」
 「じゃ、抱けよ!」
 「だから、それは」
 「それは嘘だ!」
 自分のことでもないのに、一生懸命怒る。
 「好きなら抱けるはずだ!いや抱けるはずって言うか、男だったら、抱いちゃうはずだ!」
 「でも」
 「あのなぁ!」
 がっと顔を上げ、俺を睨む。
 「月……待ってるんだぞ!?ずっとずっと、お前が…その…手を出すというか、野獣になって
くれるのというか…そーいうの、待ってたんだぞ!?」
 「なんでお前が知ってるんだよ!?」
 「聞いたからだよ!」
 「聞くなよ!」
 「聞かされたんだよ!」
 俺達は肩を怒らせながら怒鳴りあう。
 嫌いだから怒鳴りあうんじゃない。
 ただ、本当のことを言われたから。
 ただ、本当のことを言っているから。
 怒鳴りあってしまう。
 怒ってしまう。
 「よし、わかった!」
 マットが突然、手を打つ。
 「俺、今晩どっかで遊んでくる!」
 はあ!?
 「え、今晩、あれ?でも」
 「むしろ、今から遊びに行ってくる。家には帰ってこない!明日の12時には帰ってくる!」
 「ちょ……待てよ!」
 今晩、抱けってことかよ!?
 混乱する俺を置いて、マットはさっさと階段を下りる。そんな、突然言われても困る。俺は泣き
たくなった。
 立ちすくんでいる俺に、マットはぴたりと止まって振り返った。
 「……なんもなかったら、お前は枯れてるって友達に言いふらすからな。」
 「違うってば!」
 「じゃ、男として頑張れ!」
 そして、行ってしまった。
 ………と、思ったら、もう一回こちらに顔だけを出す。
 「あの……俺がお前をけしかけたって……月に言うなよ?絶対言うなよ?頼むぞ?」
 「……お前……弱いな……」
 別の意味で、なんとなく泣きなくなった。



 突然、抱けと言われても、なにをしたらいいのか分からない。
 ソファで雑誌を開いている月を眺め、所在なさげにうろつく。熊のような動きに気づいた月
が、俺が寂しそうに見えたのだろう、ぽんぽんっと膝を叩いて、
 「……おいで?」
 いつものように、俺を招く。いつもだったらなんとも思わないのに、今日はどうしても恥ずかし
い気分になった。
 隣に寝転がり、月の膝に頭を置く。彼の指が、俺の髪を梳く。
 「どうしたの?」
 月が、首を傾げる。そわそわしている俺が気になったらしい。
 「月……」
 ……やっぱ、なにかおかしい。
 だって、俺……もう19なのに(正確にはそれ以上だけど)……男なのに……月に膝枕しても
らって安心してる。いや、嬉しいのは確かだけど……俺、子供じゃない。
 エッチしてないっていうのも、おかしい。月のこと、好きだし。そもそも、男として……枯れて
る。うわ、どうしよう。認めてしまった。駄目だ俺、男として最低だ。若いのに。
 月が、欲しい。
 「月……」
 「ん?」


 「……シたい……」


 月が何か言う前に、俺は彼の服の中に手を入れる。
 「え……へ……?」
 上着を脱がせ、首筋に吸い付く。
 「ちょ……待って!」
 「やだ」
 「マットが帰って」
 「こない。遊びに行った。明日帰ってくる。」
 「ここ、人の家!」
 「了解はでてる。」
 「りょ…誰の!?」
 「マット……あっ」
 「……あんのクソガキャァ!」
 人格が変わったかのごとく、月が鋭く毒づく。さすがに俺も、びくぅっと情けなく震えてしまっ
た。
 「……あ……」
 「ごめん……ごめんなさい……」
 「いや、いいんだよ。お前に言ったわけじゃ……」
 「ごめんなさい……もう退きます……」
 「や…あの、退かなくても……」
 じゃ、シてもいいのか?目で訴えると、月は逸らした。
 しばらく、沈黙が続く。月の膝の上に乗り、すでにベルトにまで手が伸びているが……先程の
威嚇が俺をそれよりさきに行かせなかった。
 駄目か。諦めかけたその時、月が囁くように、 
 「   」
 了解を得て、俺は月の唇を奪った。



 愛撫をすると、色づいていく月の体。
 綺麗だ。そう思う。でも、前みたいに月をよく観察する余裕がない。
 ろくに準備も終わっていないのに、俺は月と繋がりたくなった。
 でも
 そうしたら、傷つけてしまう
 一歩手前で、俺は固まってしまう。
 「メロ」
 戸惑っている俺の背に手を回し、月は儚く笑った。
 「大丈夫。」


 どうしてだろう。


 「ん……あっ……」


 どうして、色々なことを思い出すのだろう。


 「はぁ……もっ……ゆっくり……」


 これが、俺の欲しかったものだったろうか?


 「痛っ……ん……あ……」


 今まで、月のことだけを考えていた。
 月が傷つかないようにすることだけを、考えていた。
 俺は自分のことを考えたことはなかった。
 これが、俺の欲しかったものだったろうか?
 自分のことを考えることが、人間なのだろうか?


 「め……ろ……動いて……だいじょう…だ……」


 たぶん、そう。
 ……これからもっと、俺は色々なことを思い出すのだろうか?
 こんな、月を傷つけることを、思い出すのだろうか。


 「……ッ…………ッッッ……!」


 今
 月を傷つけて、喜んでいる自分がいる。
 自分の、やりたい事をやっている自分がいる。
 でも
 それでも
 すごく
 満たされている


 「……あっ……ッ……」


 月が、激しく首を振った。


 「……Lッ…………!」




 …
 …
 …
 …
 …どうして?

 「……あ……ごめっ……」

 どうして?
 どうしてなんだ?

 「嫌だ……」
 「ごめ…ごめんね……」
 「嫌だ…嫌だ、嫌だ!」

 月が
 過去のことを思い出し
 Lの名を叫んだからじゃない

 「嫌だ!月……俺のこと、見ていて!」
 「あ……ああ……あああ……」

 月がLの名を呼んで
 死んでいるにもかかわらず、
 胸を焼き尽くす憎悪を思い出した自分

 「違うの……メロ……僕は……」
 「もう二度と……Lのことなんか思い出さないようにしてやる!」
 「メロ……!め………いや」

 ああ
 もしかしたら
 ニアは、同じ痛みを……抱いているのだろうか?

 「嫌だ…ああああああああああ」

 月は俺を振り払い、蹲った。
 無理やりその場に縛りつけようとした俺を……拒否した。

 「あああああああ!ごめ…ごめんなさい!ごめんなさい!やめて、もう、やめて!ニア!ごめ
んなさい!ごめんなさい!」

 泣きじゃくるその様は
 まるで、子供のよう

 「ごめんなさい!ごめんなさい!もう逃げない!もう逃げないから!ごめんなさい!」

 そうだ
 初めの頃
 月はとても傷ついていた

 「ごめんなさい!ごめんなさい!薬…いや…いやだ!」

 混乱して
 泣きじゃくり
 どうしようもないほど
 儚くて

 「うう…ごめんなさい…ごめんなさ……」


 「月……ごめん……」
 「う……あ……だって」
 「ごめんな……怖かったよな?ごめんな?もう大丈夫。怖くないよ?怖くない。」
 「だって  メロが   僕のことを 僕の、こと  」
 「うん。俺が悪かった。もうしない。もうしないよ?」

 大丈夫だよ

 そう、なんども囁きかけて
 俺は、月の髪を撫でた。
 しばらくそうしていると、落ち着いた月が、ごめんと言ってきた。

 「僕……お前に、酷いことを。」
 「大丈夫、俺、傷ついてなんか、ないよ?」
 嘘だ。
 ああ、俺もけっこう、嘘つくんだ。
 「ごめん…僕…やっぱり、駄目だ……駄目……お前を……傷つける。」
 「月……」
 そっと、月の瞼に唇を落とす。目尻の涙を吸い取り、頬をくっつけあう。
 月は、その感触に安心したように瞳を閉じていた。
 そして、こう呟いた。

 「やっぱり僕らは」



 「一緒には、いられない」
 
 

*****


 「夜神月を確認できた場所は、昔メロが人間の時に潜伏していた場所です。恐らく……仲間
もいると思われます。」
 ニアは赤い印を書き込んだ地図をレスターに渡す。
 「聞き込み、しかありませんね。ただし、メロの仲間はメロがまだ人間だと思っているでしょう
から……口を閉ざすでしょう。監視カメラのチェックに重点を置き、引き続き聞き込みをお願い
してください。」
 「はい。」
 レスターは、ちらりとニアの顔色を窺う。青白い、血管が浮き出るのではというほど病的な細
さ。よくこれで退院許可が下りた。
 「なんですか?」
 頭の後ろに目でもついているのか、ニアが振り返らずに聞いてくる。いえ、と口篭り、
 「その……まさか死神も、自分が死神だといって仲間に会いに行くとは思えませんし。
 ノートを触った人間を使って、死神を捕まえるというのはどうでしょうか……?」
 と、考えているものとは別のことを聞いてみる。
 「もしそうしたら、おそらくメロは即座にノートに名前を書くでしょうね。その、すべてに人間を。
 以前にも同じことをしようとしました。ノートを触らせたと思われるホテルの従業員を使おうとし
た瞬間……従業員は死にました。ノートを触って死んでいないのは、私とハルぐらいです。」 
 そうですか。相槌を打ち、それでもニアから目が離せない。
 「あの……」
 「はい?」
 「最近、一人でいることが多いようだが……」
 「以前もそうでしたが?」
 「しかし……その、まだ病み上がりだ。……傷だってまだ……」
 「平気です。……一人にしてもらえませんか?少し、考え事があるので。」
 まただ。そうやってニアは、いつも誰かを追い出す。
 「……出て行ってもらえませんかね?」
 直接的に言われ、仕方なく立ち去るレスター。部屋を出て廊下を曲がると、偶然にも資料を
届けに来たハルと出くわした。
 「ああ……もう、大丈夫なのか?」
 「ええ。私のほうは。」
 ハルもまた、例の件で精神的に打撃を受けたと聞く。なにしろ……『自殺』した大統領の側近
の死体を見たというのだから。
 自分で己の体を、ナイフで壊した……その遺体を見た瞬間、レスターすら吐き気がした。だ
が、ハルの場合は別の面で己を責めているところがあるのだろう。まだ、彼女の表情には陰り
がある。
 「ニアは?」
 「中にいるが……機嫌が悪いぞ。急ぎでないのなら、今でないほうが良い。」
 「残念だけど、急ぎなんです。」
 苦笑いをして、偏屈な上司の元に向かうハル。レスターは溜息を一つ漏らし、資料に視線を
落とした。
 そして、気がつく。
 「……なんだ?」
 ニアが直接渡した資料に、赤いシミがある。なにか、インクを指で触って、そのまま紙で引っ
掻いたような。
 まるで、血のようだ。その赤い色に嫌な想像をしていると、部屋のほうで悲鳴が聞こえた。
 「ハル!?」
 入口で、彼女が立ち尽くしている。体を震わせ、資料を落としていた。
 中を見る。イスに座っていたニアがいない。かわりに、その足元で、少年がぐったりと倒れて
いる。
 「ニア!」
 呼びかけても反応は無い。だから言ったのに。ハルが駆け寄って抱き起こすと、微かに唇が
動いている。
 「レスター!医者を……!」
 「……ない……」
 「ニア!聞こえますか!?」
 「必要……ない……」
 「倒れたんです。今、医者を」
 「必要ない!」
 これが少年の限界だというように、かすれた叫びがレスターの足を止める。
 声が、強かったわけではない。あまりにも、弱弱しかったからだ。
 「だめだ……立たないと……進まないと……止まれない……止まれないんだ……」
 魘されるように、一人で立ち上がろうとするニア。だがその力も、ハルの手で押さえられると
まったく動かなくなってしまう。
 「ニア。貴方は、倒れたんですよ。休まないと」
 「平気……出て行って……出て行って……」
 「ニア!」
 じわりと、傷口から血が滲み出ている。
 「何故ですか!?何故、そんな、もう、無理です!限界がきている!
 どうしてそこまで、夜神月を追い続けるんですか!?
 貴方……もうすぐ死ぬんです……もうすぐ死ぬんですよ!?」
 ハルが悲鳴のように叫んだ言葉に、レスターは振り返った。今、なんと?
 ニアは、ハルの言葉にじっと天井を見つめ、途切れ途切れにこう答えた。


 「私が
 私が生きている意味は
 月を キラを
 もう一度
 もうそれしか
 だから
 進まなければ
 生きていないのと 同じ
 立たなければ
 意味が なくなって
 でも
 もう
 もう……」


 「そう、もう限界が来ているんです。だから、休んで。それで……」
 もう、捜査をやめてください。そう言おうとしている彼女に、レスターは叱責した。
 「ハル!なにをやっている!傷を塞いでいろ!これ以上、喋らせるな!」
 やめるなんて、冗談じゃない。
 走り去るレスターの足音に、ニアは目を瞑る。
 苦しい、痛い、喋らせて、話させて、
 誰か、止めて、止めて、もう、それでも、
 自分には、止められない、止められない、
 今まで、助けを呼んだことなんかない
 だから、一度ぐらいは
 一度だけで良いから
 誰か


 「たすけて」 



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