![]() 国境線を幾つか越えた先。茶褐色の荒涼とした地面が続くそこに、建物が一つだけ立ってい る。 本当に、それ以外に人工物らしきものはない。建物自体も、なにかの観測所だったものを無 理矢理建て直し、存在を赦されたようなものだ。 それを見ていたのは、死神であった。しかし、メロではない。死神リュークは、天からその異 形な目をぎょろつかせ、見下ろしていた。 「あ〜…つまんない……」 さも退屈そうに溜息を吐き、つまらなければ死神界に帰ればいいものを、彼はそうしない。 「早く終わんね〜かな〜…」 朝顔の観察を任された子供のように、ぽつりと呟いた。 ****** 泣きつかれて眠ってしまった月。 初めて会ったあの時のように、隅で蹲り、俯いている。 まるで、そこでしか自分の存在が赦されないといわんばかりに、角に身を埋めるその姿は、 痛々しかった。 メロは、じっと月の前に立った。静かな部屋だった。誰もいない。誰も邪魔をしない。誰もなに もいわない。 自分達だけの、世界。 「月……」 翼が生えた背中から、痛みがじくじくと発生している。それも、段々と麻痺してきた。 死神に、なりつつあるのかもしれない。 「……らいと……」 指先を伸ばし、月に触れようとした。その時、 「 」 月の唇が、一つの名前を口にした。メロが手を引っ込める。 「りゅうざき……」 もう一度。今度は、メロの耳にも届いた。 助けを求める声に、死神は俯く。 ねえ なにから、助けてもらいたいの? ニアから? それとも 俺? 背中の痛みが、止まった。人間としての機能が、確実に失われるのにも、メロは反応できず にいた。 「たすけて……」 月が、再び呟く。耳を塞いでしまいたかった。いや、いっその事、毟り取ってしまえば、世界の 全ての音を聞かずにすむのに。こんな現実なんか見たくない。目も、潰してしまおうか。 「月……ごめんな……」 存在を、消滅させてしまえばいい。メロはついに、その結論に達する。痛みなんか感じたくな い。感じたくない。感じたくない……自分を求めてくれない月を見ていたら、このか細い首に指 を絡めて殺してしまいそうだった。あの時のように。そんな自分は、一時でも彼の傍にいてはい けない。いてはいけないのだ。 「……ばいばい……」 別れをいい、涙を拭う。顔を背けた。 行こう ニアを、殺しに行こう 今や胸の内に潜む醜悪な炎は、大切な兄弟へと向けられた。 メロが出て行ったその後に、月はぽつりと、こう付け加えたのに。 「たすけて…あげて……竜崎……」 「二人を……たすけて………」 ****** 奇妙な夢だったと思う。 自分はまだ小さい子供で、見上げると大人が一人、立っていた。顔はよく見えない。猫背で、 いつもせかせかしながら話す大人たちとは違う、落ち着いた声音のヒトだった。 なにもない世界だった。上も下も、右も左も、真っ白い世界に覆われていた。その中で、目の 前にいる大人の黒髪だけが、よく映えている。 自分達は、じっと見つめあった。じっと、じっと。ふと、誰かが後ろから自分の名前を呼んだ。 振り返ると、扉がある。そこから、沢山の大人たちが自分の名前を呼ぶ。 行かなきゃ。月が待ってる。不思議と、彼の名前だけが脳裏に浮かび、扉へと向かうと、男が 言った。 「ニア」 男を見る。彼は、ゆっくりと首を振る。 「行ってはいけない。」 「でも、行かなきゃ。月があっちにいる。」 扉を指差す。男は、背の低い自分に合わせてしゃがみ込むと、ニアの両肩を掴む。 「彼は貴方を望んでいない。」 「それでも、行かなきゃ。」 脅迫概念に囚われた自分は、男の手から逃れようとする。男はそれを抑えこみ、囁いた。 「ニア。よく聞いてください。」 黙りこんだ自分の両頬を、男は優しく角ばった指で包み込んだ。 「お前は死ぬ。早すぎる死だ。それを知って、少しでも幸せな死を望むのは、けして悪いこと ではないと思う。お前にはそれだけの権利がある。でも、お前をここで行かせてしまったら、お 前は沢山の人を傷つけて死ぬ。その権利は、お前にはない。死ぬことによって傷つける権利 はあっても、傷つけながら死ぬ権利はお前にはない。お前はこれから、私の大切な人を傷つけ ながら、死ぬ。だから、行かせるわけにはいかない。」 「でも……」 このままここに留まり、生き続けたくなんかない。男は頷いた。 「人には、沢山の選択がある。自分の考えに酔いしれ、死を選ぶ人間もいる。病に冒され、 激痛に耐えながら生を選ぶ人もいる。全てを諦め、目の前に希望があってもそこまで辿り着く 体力がないまま、己の手首に刃を当てる人もいる。私には、どれが正しいのか、わからない。 絶望はいつだって、目の前にある。人は足元すら見えない暗闇で、死に向かって歩いている。 その歩みの中で、お前の選択がそれだというなら、私には止める権利はない。 でもね、これだけは約束して。」 男は、悲しい目をしていたと思う。絶望を目の当たりにし、これから同じ絶望を目にする自分 を憐れむような瞳だ。 「私の大切な人を、傷つけないで欲しい。お前がやろうとしていることで、私の大切な人が泣 き叫んだとしたら、その行為をやめて欲しい。それだけは、約束してください。」 ニアには分からなかった。男の言う、大切な人というのも。男が誰なのかも。自分がこれから 行う行動が、どのようなことなのかも。 それを質問しかけた時、再び扉の向こうで大勢の大人たちが、自分を急かす声がした。男を 見た。自分の答を待っている。ニアは、渋々頷いた。 男はそれに満足し、立ち上がると、ニアを押した。扉へと押した。 「ありがとう。お前はいい子ですね。お前がここに来るのを、待っていますから。 さあ、行ってらっしゃい。そして、お別れを言ってきなさい。 お前の、大切な兄弟に。」 扉へと駆け出し、振り返ると男は寂しそうに微笑んでいた。 大丈夫、帰って来るよ。だから、そんな寂しい顔をしないで。そう胸の奥で呟き、扉の向こうへ 駈けていった。 現実へと意識が浮上した瞬間、感じたのは痛みだった。己の状態が酷いものだとすぐに理解 する。 「ニア……!ニア、大丈夫ですか!?」 ジェバンニが喧しく耳元で自分の応答を待っていた。レスターも、青ざめた表情で自分を見て いた。他の捜査員達が、遠巻きに自分から目を逸らしていた。 寝ているというのに、眩暈がひどい。痛みに、耳鳴りがする。口を開いても、上手く言葉が出 なかった。 「ニア……」 レスターが、乾いた唇を開き、尋ねる。 「大丈夫……か?」 大丈夫 大丈夫 大丈夫…… 声を出そうとするのに、気力が湧いてこない。 捜査本部のモニター室に、自分は寝かされていた。簡易ベッドのすぐ脇に、幾つものモニター が目の前に広がる。イスもあった。いつも、自分が座っていたイス。 ……そこまで、立てそうにない。 「レスター……」 やっと、声が出た。 大丈夫 まだ、やれる 「ここから、指示を出します。準備を……」 その言葉に、全員が配置につくため動き出す。 それまでの間、ニアは天井を見上げた。そこから、夜空が見えた。 奇妙な部屋である。天井が全てガラス張りになっていた。それも、非常に薄い。別に空を見 渡すためにこのようなことをしたわけではない。全ては、メロを捕まえるため……。後は、メロ が自分の所に来るまで、自分が死なないことだ。 「メロ……」 早く来い そして 全てを、終わらせて ****** メロと入れ替わりではいってきたリュークは、月を覗き込む。ずいぶん痩せた。どてんっとそ こで座り込み、 「おい」 呼びかけてみる。月の瞼が、かすかに動いた。 「おーい、月。起きろ。朝だぞー」 なんて言ってみる。月が身じろぎし、寝ぼけ眼を開いた。 「あ……」 リュークを見る。周囲を見渡し、自分の所在地を思い出す。 そして全ては夢ではなく、現実であったと知ると、月は頭を垂れた。 「おいおい、また寝るのかよ。」 「ねないよ……」 くぐもって聞こえるのは、泣いているせいなのか。何故今更起こしたのかという非難を込め て、リュークを睨む。ふと、なにかを思い出したらしい。月は尋ねた。 「リューク……お前、今、誰にノートを渡してるんだ?」 「?…ニアに決まってるだろう。お前の持っていたノートは、ニアに渉ってる。」 「ニアは、まだ僕のノートを所持してるのか?」 「そうだぞ。まー、あんな便利なもの、簡単には手放さないだろ。」 「じ…じゃあ!」 月は顔を上げた。 「お前……ニアの事情を知ってるんだな!?一体、なにがあったんだ?」 「なにがって?」 「ニア……病気なのか?突然、倒れたよ?」 「なんだ、メロから聞いてなかったのか。」 メロという単語に、月が一瞬震えるが、リュークは気にせず先を言った。 「メロからうけた怪我が、まだ治ってねーんだよ、あいつ。」 「メロは、治したっていってたよ?」 「さぁー?死神の能力は多種多様。どんなもんなのか本人でしかわかんねーけど、中には自 分で傷つけたものを治すっていう奴もいるらしいな。でもほら、アイツまだ、子供だし。完全じゃ なかったんじゃねーの?」 月の耳の奥に、求めるニアの声がこびり付いて離れない。遥か遠くから囁かれたように小さ かったのに、伸ばされた指先を掴まなければという衝動が胸の奥から湧いて出るのだ。何故、 あんなにも恐れていたのに。 涙も拭かず、ただ項垂れる月を見下ろし、リュークは呟いた。 「足掻くなと忠告したはずなのになぁ」 それは、いつもの軽薄な調子の口調ではなく、人としての記憶を失ったメロと共通する響きが 含まれていた。月はどきりとして、 「え……?」 「メロは死神だ。今更、人間に戻ろうと足掻いた所で傷つくだけだったんだよ。」 聞き返した月を諭すように、リュークが優しく言う。まるで、戸惑った小動物に囁きかけるかの ように。 「でも……メロは……戻りたいっていった……だから!」 「月」 リュークは哀れみを込めた目で、月を覗き込む。 「メロは、死神だ。」 その事実を、強調する。 「動物が、人間の欲望を欲することはしない。人間が、死神の記憶を持つはずがない。同じよ うに、死神が人間の感情を持ってはいけないんだ。考えても見ろ。これから先、人という種族が 地上から消えうせるまで、アイツは生き続ける。人間の感情は、壊れやすく、儚い。死という絶 対的な運命に触れただけで、脆くもその精神は崩れ去る。他者のものでも、己であっても。死 神という種族である以上、死と友人にならなければならない。人間が猟銃を向ける際、動物に 傷心を抱かない。 月……お前ならば、それが分かっていたはずだ。 なのに 何故、足掻く? 人間の移ろいやすい感情より、死神の変わらぬ愛情のほうが、お前にだっていいだろう?」 それは、悪魔の囁きにも似ていた。だが月は首を振る。 ****** 傷口が、どくんっと脈打つように痛みを発した。小さく呻くと、レスターが駆け寄ってくる。 「ニア……?ニア!」 「…………来る」 それは予感であった。ニアは、モニターを一瞥する。 確かに『来る』。そう、感じた。なぜかは分からない。膨大な画面に全て目を通し、ある画面で 目が止まる。 「メロ……」 呆然と呟いたニアの名前に、レスターがその場面を大画面に映すよう指示する。それは、月 を監禁している部屋からすぐの廊下であった。しかし、その足は月の元には向かわず、誰かを 探し回るような方向である。 画面越しに、メロと目が合った。相手には、監視カメラの無機質なレンズしか目に入ってはい まい。が、まるで此方が見ているのを知っているかのように冷たい視線を浴びせると、画面か ら消えた。 次の瞬間、割れる音と共に画面が砂嵐となった。レスターが叫ぶ。 「B−82隔離室前廊下に部隊を向かわせ……!」 「待ってください。」 今行った所で、逃げられるだけだ。だが、メロの視線で、何処に向かおうとしているのかは分 かる。 「……全部隊を此方の部屋に集合させてください。メロは……私のもとに来るはずです。」 自分がデスノートを所持している以上、メロは己のノートに名前を書けないはずだ。だとすれ ば、自分自身の手で、ニアを殺しにくるはず。 メロは、自分を殺すだろう。今の瞳の色を見て、はっきりと分かった。 「全員配置に。ISDFに連絡して狙撃砲の準備をさせてください。部隊の準備が整い次第報 告を。例え敵をロストしても混乱せぬよう注意してください。万が一……」 万が一……いや、確率としては非常に成功率の低い、それでも今までに比べれば唯一『成 功率が存在する』この方法。失敗すれば、自分の命は次までもたないだろう。ならば落とす命 は一つで十分。ニアは軽く頭を振った。 「万が一……失敗した場合は退却、10分後にこの施設を爆破させます。後は、砲撃砲のエ ネルギーが尽きないことを祈りま……」 言いかけた、その時だ。 天井は薄いガラスとなっているのは先程も言ったが、その薄さは温室程度である。割れたと きの音はさぞかし美しいだろうと想像していた。だが実際砕け散った硝子の音色は小さく、降り 注いだ破片でようやく天井部に異変が起きたと気づく始末であった。 粉雪のように降り注ぐガラス破片。そこから『落ちて』きたのは、死神であった。 割れた破片よりも速く重力に従い堕ちてきた少年。落ちる衝撃を緩和するため、死神の羽が 広がった。 たんっと、広い部屋の真ん中に下りた死神は、俯いている。ざわりと、準備が整っていない周 囲の人間が、絶望にざわめいた。 「な……なにが……」 メロが顔を上げる。表情の欠けた、人形の顔。自分が知っているメロは、こんな顔はしたこと ない。 やはり、もうメロはこの世には居ないのだ。空から見下ろし自分の居場所を探し当てた神に、 ニアは落胆を感じる。ぎりぎりで、砲撃の準備が整ったと、誰かが叫んだ。ニアは反射的に傍 においてあったパソコンに手を伸ばす。メロが一歩前に出た瞬間には、砲撃が目標の位置を 認識した。 刹那、天が輝く。神の怒りの如き瞬時に降り注いだレーザー砲が、死神の背中に直撃した。 ******* 「……これは、言いたくなかったんだがな……」 リュークは、何処か遠くを見るような顔つきをした。 「月……お前の傍にい続けたメロは、メロじゃない。正確に言えば、『アレ』はメロという人間 の記憶と姿を模した死神だ。本来ならば生まれなかった死神が、イレギュラーによって発生し てしまった。その姿と自我を構成する際、仕方なく人間であった少年の記憶をとりあえず詰め 込んだだけなんだ。通常の死神であれば、生まれてくる際必ず備わるはずの自我が、メロとい う死神を作る際、存在していなかったんだ。もちろん、それを行ったのは、誰なのか俺だって知 らない。もしかしたら、神、という存在かもしれない。」 「いれぎゅらー…?」 別にその単語だけが分からなかったわけではない。死神の言っている殆どが、月には理解 不能だった。 「そうだ。イレギュラーだ。ルールが、破れれてしまった。死神のルールが。」 「その死神のルールが破られる…それが、本来ならば生まれない死神を発生させてしまうイ レギュラーなのか?」 そこでリュークは黙ってしまう。月は苛立ちにも似た感覚で、次の言葉を待った。しかし、死神 の言葉はそこで終わりらしい。 「それを聞いて、どうする気だ?月。死神に、なるつもりか?」 「………なる、と言ったら?」 黙りこんでしまうリューク。月は一人で頷き、今まで考えていたことが肯定されたと納得した。 「リューク」 ぎろりと、月の目の色が変わる。 「お前……やけに、メロが死神であることに拘るな。」 リュークがとぼけるように首を傾げた。 「さあ?そうか?」 「前……僕らのところに来た時も、お前はそう言っていた。リューク。お前はそこまで、死神と 人間との間に生じる障害を気にするほうだったか?随分と、人間が死神になるシステムを理解 しているみたいじゃないか。何故だ?」 「別に。死神だったら、皆知ってることだ。」 「そうは思えない。もしもそこまで仰々しく、イレギュラーだというのならば、お前はそれを食い 止めようとしたはずだ。」 「俺の命に関わることじゃない。だから、止めなかった。」 「僕にはそうはみえない。お前……」 月の瞳に、剣呑な光が灯る。 「誰かに命令されて、ここにいるんだろう?」 ****** マイクロウェーブという言葉を、聞いたことはあるだろうか。 ISDF(国際自衛隊)が管理しているという衛星軌道上から放たれるソーラー砲である。といっ ても、これは通常、武器として使われるものではない。衛星上の太陽光発電によって作られた 電力を地上に送り込むものである。これを出力最大にして地上に打ち下ろせば、まさしく軌道 上からの砲撃、殺人兵器となりえるわけだ。まさか死神とて、軌道上からコンマ数秒で打ち落と される電撃砲を避けることは出来まい。 ちなみにこの威力だが、軍事衛星は最小から最大までの幅が広い。それに触れた瞬間、目 標固体に起こる変化は即ち、 蒸発。電子レンジと同じ状態である。 無論、この武器をISDFから借りるのにどれほどの労力があったことか。天井をガラス張りに したのは、そういう理由である。 あとは、死神の再生能力がこの砲撃にどれだけ発揮されるか。意識すら瞬時に回復されて は、もはや打つ手はない。打ち下ろされた砲撃によってクレーターが出来た床を見つめ、ニア は押し黙る。全員が、結果を見守った。 死神は、消えたのか。黒く爛れた床を見て、誰もがそう願った。 ニアが、ふらりと立ち上がった。あれだけ痛んだ傷が、疼きを止めている。焦げた床に足を 向けようとする少年を、レスターが止めた。 刹那、クレーターの表面から、のそっとなにかが動いた。黒い煙の中、怪我をした小動物の ように、震えながら起き上がろうとする。 「化け物め……」 誰かが、呟く。だが、死神は手負っていた。意識が薄れているのか、ただ立とうともがいてい る。 背中の翼が、折れていた。正確には、消えていたのだ。片方の翼が焼け焦げたように折れ、 飛び立てずにいる。 「撃てぇぃ!」 レスターの命令に、準備が整った特殊部隊がメロの周りを取り囲む。フルオートの5.56m m弾使用マシンガンが、一斉に火を噴いた。 ****** 「……そんなわけないだろう?」 「メロが死神になることは、誰の予想もつかないことだった。そして、今後は絶対に、おきては ならない事態であった。あたりまえだな。人間が死神になれるような方法があれば、お前達死 神にとっては大問題だろう。お前は命令されたんだ。メロが……人間が死神になる方法を、人 間に教えないよう、観察しろと。」 「いや、俺は」 「けれども、メロが人間界に身をおく理由である僕は殺せない。何故ならば、メロのノートを所 持している僕を、他の死神は殺してはいけないというルールになっている。そうだろう?『死神 界にいる死神は、ノートを所持している人間を殺すことは出来ない』又『その人間を殺す目的で 人間界に降りても、その人間を殺すことは出来ない』……たしか、そんなルールがあったな? だがもちろん、死神であるメロも殺すことは出来ない。せいぜい出来るのは、メロが本当の死 神になってくれればと願うだけ。そうすれば、人間に死神になる方法を教えることはない。」 リュークが、完全に沈黙してしまった。月は詰め寄るように、身を乗り出す。 「命令しているのは、死神大王……そんなところか?それほどまでに、一大事なんだな?そし て、お前はこうも命令されている……メロを殺せとも。」 「いやぁ…そこまでは……」 「メロを殺す方法は、愛している僕を助けるためにデスノートを使わせる……だが、もう一つ ある……。」 血が沸騰するほどの怒りが、全身を駆巡る。相手を射殺するような視線で、月はリュークを 射抜いた。 「……メロ自身の手で……人間を殺すこと……」 ****** 死神の体が、横に飛んだ。しかしそれでも、すべての銃弾を避けきれたわけではない。霰の 様な飛礫が、メロの体を貫いていく。 痛みの器官は、まだ機能し続けていた。襲い来る激痛を連打で浴び続け、メロは呻く。広いと いえども、所詮部屋の中。まさか、ここまで考えていたとは。一度逃げるという結論も頭を掠め るが、部屋の隅でこちらを見ているニアと目が合う。その色の薄い瞳を見て、憎悪が燃え上が った。友人の悲痛な叫びが蘇る。 殺してやる。その憎しみを原動力に、メロは痛みを無視して武装集団に飛び込んでいった。 目標は唯一人、その向こうに立ちすくむニア。 100を超える銃弾を受けてもなお、動いた生物に人間たちは恐れ戦いた。さらに、相手の姿 は完全に見失い、彼らは慌てる。僅かな動揺で道が開け、その隙間を少年が駆け抜ける。前 のめりのように駈ける少年の行き先は、ただ真っ直ぐに、兄弟とも言えるニアの元に向かって いった。 もはや、メロの姿を認識できるのはニアのみだ。まるで、獲物に飛びつく獣のように、ニアに 飛び掛る。 ニアにとって、スローモーションのようにメロの攻撃が見える。憎しみに歪んだ表情が見え た。命を揉消そうとする手が伸びた。細い指先が、自分の首に絡もうとする。ああ、とニアは思 い出した。そう、あの夢を。 メロが自分を殺す、あの夢を。 スローモーションに見えたとしても、世界が本当にその世になったわけではない。メロの手は ニアの首を掴み、そのまま押し倒す。強く頭を殴打し、ニアは呻く。死神の爪が、皮膚に食い込 む。さらに呻いた。 メロに首を絞められている。まさに、あの時の夢の続きのようだ。 だが、現実とは辛い。夢のように、心地好い眠りはそこにはなかった。目の前のメロは笑って はくれないし、空気が入らない肺は苦しさを求めた。言葉を出そうとしても、声帯を押しつぶさ れて出るわけもない。そして何より、 メロの指先は、夢のようには冷たくなかった。 ニアの生存本能が、メロの腕を引き剥がそうとしがみ付く。生理的な涙が溢れ、瞬きをして前 を見ると、メロが泣いていた。 「ニア……」 地を這うような声。そして問いかける。 「何故……マットを殺した?」 ニアが、瞬きをした。 「何故だ……何故殺した……殺す必要はなかった!何故そんなことをした!答えろ!」 隣で、レスターがニアの名前を呼ぶ。が、メロが残った手で相手を突き飛ばした。 メロが怒り狂っている。それは、見て取れた。だが、と。ニアはその意味が分からなかった。 てっきり、月を捕まえた報復に、自分を殺すのだと思っていた。 メロがなにを言っているのか、わからなかったのだ。 「メロ……」 僅かに緩められた指先のお陰で、ニアは言葉を発することができた。 「なにを……言ってるんですか?」 メロが、眉を顰める。ニアは激しく首を振った。 「マット……?私は……殺していませんよ……?」 ****** 「まさかとは思うが……マッドを殺したのは、お前か?リューク……」 「何で俺が?アイツは、撃たれて死んだんだろ……?」 「何で撃たれたって知ってる?」 「…………………。」 「訓練された捜査員達が、いきなり致命傷を撃ったのに、僕は不信感を抱いていたんだよ。 始めは、ニアかと思った。見せしめのつもりで、マッドを殺したのではと。でも……」 脳裏に、ニアのうつ伏せ姿が蘇る。苦しみに倒れた彼が、苦しみの死を与えるとは思えなか った。 「お前は……怒りに我を忘れたメロが、ニアを殺すことを望んだ。」 「……それなら、ノートに名前を書くだけでいいじゃないか。」 「さっきも言った通り、ノートを所持している人間を、他の死神が殺すことは出来ない。ニア は、お前から貰ったノートを所持している。」 「なら、いつもみたいに武器で人を殺せばいい。」 「メロは……メロの記憶は、死を望んでいた……」 ****** 死神が言葉に詰まる。ニアは更に続けた。 「私が……殺したのは……貴方の友人の一人だけで……マットは……殺してない。……なに を言ってるんですか?メロ……」 「う…嘘だ!」 ニアは気がついた。メロが、以前よりも人らしい表情をしていることに。 「嘘だ!お…お前以外に、誰がいる!?マットを……苦しめて……苦しめて…殺したのは… …お前だろ!?お前なんだろ!?」 「メロ……貴方……」 「お前だって言えよ!でなきゃ……なんのために俺……ここまで……お前を殺そうと……嘘 だ…嘘だ嘘だ!嘘だ!」 「人間の……記憶が……がッ!?」 メロが、両手をニアの首に巻きつけ、絞め始めた。頭の中が、真っ赤になる。酸欠が、ニア の思考を停止させた。 頬に、なにかが弾けた。水滴だ。 ***** 月は想う。メロの、メロの記憶の、悲痛な叫び声を思い出しながら。 「あとは、切欠さえあればよかった。僕の死でもいい。誰か、友人の死でもいい。それだけで、 恐らくメロは死へと足を突っ込む……」 ***** 「嘘だ……嘘だよ……だって……そうしなきゃ……お前を殺す理由が……なくなっちゃうじゃ ないか……なあ?じゃ、誰がマットを殺したんだよ?誰が月を苦しめてるんだよ?なあ?なあ ……俺より頭いーんだから……教えてくれよぉ……」 ああ ナイテル 死神が いや 「俺……もう、月のところに帰れない……月のところに帰れないなら……俺が存在する意味 は、なに? 痛い……痛いよ……体も……記憶も…… 痛みなんか感じたくなかった 人間になんか、もどりたく、なかった…… なあ?」 メロが 泣いてる 瞬きをして、ぼやけた視界を回復させる。見たくなかった世界。見たくなかった友人の顔。そ れをこの瞬間、ただ知りたいと、強く願った。 痛みを受けて途方に暮れた子供が、涙を流して、自分に縋っていた。 「俺達……家族だよな……? こんな 今更 言うのも……アレだけど…… 家族だよな? トモダチ、だよな? だから」 そうだ…そうだった これが メロだ 「一緒に……死んでよ?」 メロの指先が、本格的に首の骨を折ろうと力を込めた。ニアは、ただ見つめた。記憶の痛み に引き裂かれながら、縋りつくように自分の命を消そうとする家族を。 ニアが、手を離した。自分から、手を離した。 メロが、その行動に目を見開く。 ニアは、笑った。 イイヨ イッショニ、シノウ そう、口の形だけで告げると、メロの力が弱まった。 何かに許してもらったような瞳でニアを見下ろし、もう一度、絞め殺そうとする。 が、大人はそれを許さなかった。立ち上がった。レスターがニアの視線でメロの位置を確認 すると、ハンドガンを取り出し、眉間に撃った。
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