最終章 冬



最終章 冬



 L
 お前にこうして手紙を書くのは、生まれて初めてかも知れないね。
 この手紙は、実は粧裕に宛てた手紙の残った紙で書いています。
 だから、ページがなくなったら、それでおしまい。燃やして、灰を風でとばそうと思います。

 覚えてるかな?
 以前、手錠で繋がれていた頃
 死神とはなんなのか、二人で考えたことがあったね
 推理とか、キラとか、そんな難しいことではなく
 もしもこの世に死神がいたとして、彼らから見える世界というのは、どういったものなのかを
 まるで、子供が動物の感情を予想するかのように、想像を膨らませて、考えたよね
 あの時、死神というのは
 万物の、あらゆる戒めから解き放たれた
 死を恐れず、死を穏やかに与え、そして新たな生へと運ぶ神として
 僕らは話を締めくくったと思う
 カミサマというのはきっと
 なんの悩みももたず、なんの苦しみも感じない、素晴らしいものだと思っていたね
 でもね、L
 僕の傍にいる死神は、そうじゃなかった
 死神を創ったカミサマは、その幼い死神を神としては実に中途半端に、御創りになった
 その幼い死神は、本当の原因は全て僕にあるのに、カミサマから色々な罰を受けた
 恐らく、神ともあろう者が、人間になりたいと願ってしまったから、カミサマは意地悪をしたん
だと思う
 でも
 その子は、人であり続けた
 カミサマから、理不尽な罰や、人間からの暴力や
 人としての悲しみや、怒りや、痛みを背負っても
 人でありたいと、願った
 ……いつか
 いつか、僕にも分かるでしょうか?
 いつか、僕も死神になったとき、人でありたいと願う時がくるのでしょうか
 …ああ、話が突然すぎたね。
 実はね、L。死神になる方法が分かったんだよ。
 それは……ああ、説明するほどスペースがないごめんねまたいつか教えてあげるよそれじゃ





 『それ』が目覚めた時、自我というものが定まっていなかった。
 世界の誰もがその場所を、何も無い地だと呟くかもしれない。しかし『それ』が目覚めた時、
世界の情報量に恐れ慄いた。
 体の機能はある生物に模して作られいた。肺に入り込んだ空気は乾燥していた。乾いた地
面を指先でなぞると、砂がこそげて指についた。空を見上げると、視覚に刺激が入り込む。瞼
を細めることでその刺激を和らげ、手を伸ばして刺激を遮断しようとした。
 その刺激は、光だった。『それ』はまだ光というものがなんなのかわからず、何度も手を伸ば
してその刺激物を退けようとする。やがて眼球が光に慣れ、『それ』は手を降ろした。
 『それ』がいる世界は、死神界と呼ばれている。天から降り注ぐ光は、人の世界に比べれば
あまりにも弱弱しく、頼りない。だが『それ』はそんなことを知らない。その唯一の光に目を細
め、内側から沸き起こる奇妙な感覚に声を上げて笑った。
 しばらく笑った後、急激な睡魔に襲われ、『それ』は再び目を閉じる。
 『それ』には記憶が無いはずなのに、何故か声帯を震わせ、一つの単語を紡いだ。
 「light……」
 まるで、それだけは失いたくないと守り通した、大切な言葉のように。








 メロが帰って来て、随分経ちました。
 L。お元気でしたか、というのも変だと思うけど……
 また、粧裕に送った手紙の紙が余ったので、少し書こうと思います。
 メロは最近、日記にこだわってる。
 PCに、毎日の、あらゆることをつづり、それでも足らないと手帳に書き、写真を添え、それを
大切そうに仕舞うんだ。
 何故そんなものに嵌っているのだろうと首をかしげていたけど、メロの表情を見て、その理由
がわかったような気がするんだ。
 ……怖いんだと、思う。
 恐らく、今現在、彼の記憶からは少しずつ世界のなにかが消え去っているのだと、思う。砂の
ように零れ落ち、せめてほんの一握りだけでも持っておこうと毎日のことを記録し、毎日ページ
を捲っては、泣きそうな目で消え堕ちた記憶達を眺める。写真を見て、光沢のある表面を指先
でなぞり、まだかすかに残っている記憶と照らし合わせる。本当にこの記憶は確かなのか、実
はこんな事実はなかったのではないか……そう、僕に尋ねた事もある。そのたびに僕は、切な
さに息苦しくなり、でも泣くわけにはいかないから、そうだよそれでいいんだよと、頷くことしかで
きない。
 もしここで僕が、偽の事実を彼の日記帳に付け加えたとしたら、彼は恐らく、それを信じるだ
ろう。僕に尋ね、僕が頷けば、彼は戸惑いながらも納得し、記憶するのだろう。それほどまでに
彼は、もう……。
 L
 お前から見える僕たちというのは、本当に、愚かだろう?
 でも、これが僕たちの限界だった。この矮小な僕らを、どうか嘲らないでほしい。
 何度、僕は死神になろうと思ったか。いや、僕はもう、死神になる決心は着いている。
 でももしここで僕が人で無くなったら、誰がこの子の間違いを正してやればいいのだろう?
 ……ああ、そういえば前回、死神になる方法は教えただろうか?教えてなかった気がする。
だかが、書いておこうと思う。
 僕は、ずっと考えていた。メロと、他の…デスノートを使った人間との違いを。
 そこに恐らく、死神になる方法が隠されているのだと。
 そして僕は、原点に戻った。初めて……リュークと出会ったあの時のことを、思い出したん
だ。
 リュークはあの時、なんと言っただろうか。
 そう……僕の死が近づいたら、奴は自分のノートに名前を綴ると言ったんだ。
 考えてみた。ノートを使った人間は悉く、デスノートによって命を落とす。恐らくそれが『不幸に
なる』ということなのだと思う。ノートを使い、しかしデスノートに名前を書かれず物理的な死に
方をしたのは……メロだけだ。
 つまり
 デスノートを使ってデスノートで殺されない人間は、死神になる
 そうでなければ、リュークは何故、ノートを使った僕の寿命を、死に際にとるというのだろう?
 今まですべての死神たちはその掟を守り、人間を神の領域に入れさせなかったんだ。
 ……だから、考えたんだ。
 もしかしたら
 もしかしたら、ニアは
 ……………………
 もちろん、そのことについてメロに言ったことはない。これはあくまで予想であり、もしかしたら
そうではないかもしれないから。
 ……それに、もしニアが死神になってたとしたら……きっと真っ先に、僕は死んでいるかもし
れないからね。
 そうなると……僕が死神になれる方法も、なくなっちゃうね
 …………ねえ、L
 僕はなんだか、疲れてしまったよ
 僕は
 僕は
 本当に、生きてていいのかな?
 ニアを殺してまで
 僕は
 生きてて、いいのかな?
 L
 お前の所に、行きたいよ
 どうすればいいの?
 どうすれば……






 『それ』は少年の形をしていた。
 ようやく、世界と自分は切り離された存在なのだと気づきだした頃、少年は己と他の死神との
違いに首を傾げていた。
 何故、自分は人間の形をしているのか。何故、彼らは人間の形をしていないのか。
 その問いを答えてくれる死神は、誰もいなかった。
 やがて少年は、人間が住む、人間界を覗くようになる。
 他の死神たちは、何故かそれを咎めたが、人間界には自分と同じような姿の生き物が沢山
いたのだ。
 「……light……」
 人間界の言葉は、その単語しか知らなかった。それを時々、口の中で呟きつつ、死神界から
ずっと下界を見下ろす。
 どれほど眺めていただろうか。人の時で表すと、1年は続いていたと思う。
 沢山の人の中に、lightがいた。
 少年はその人を見た瞬間、奇妙な感覚に襲われる。ただ兎に角、内側から震わせるなにか
を、その人は持っていた。そうか。lightとは、名前であったか。一人納得する。
 人の世界に下りなければ。そう直感した。自分は、人の世界に下りなければいけない。そして
…そして?そしてどうしようか?
 生まれて初めて目的を持った幼い死神は、他の死神たちの目を盗み、穴へ向かった。人間
界に下りる穴だ。大丈夫。他の死神が、ここから下りるのを何度も見たことがある。大丈夫。大
丈夫……
 そして少年は、大事なノートを胸に抱き、
 穴へと、堕ちた。







 久々に、月が会いに来てくれた。が、やはり長居は出来ないのかすぐに帰ってしまい、ハル
は軽く溜息をつく。
 ニアが死んだとはいえ、国が死神の存在を知った以上、月たちを野放しにしておくわけがな
い。それでも以前よりは、突然襲撃されるということも無いのだろう。月の疲労は激減し、会っ
た時は笑顔を見せてくれた。
 だがその笑顔には陰りがある。メロのことだろう。彼は姿を見せてくれなかった。
 前の自分に見えなかったら、嫌だから。……メロは、そう言ったらしい。
 季節は冬に差し掛かり、街は雪で覆われはじめた。雪化粧が施された街並みを、ハルは一
人歩く。夜分、家路に着く人々は、帰りを待つ者のために早足だった。彼らから少し遅れる形
で、ハルは寂しく帰宅する。
 恋人でもそろそろ作るか。野暮ったいコートを羽織りなおし、未だ降り続ける雪の中を歩いて
行った。
 と、その時だ。
 なにかが、地面に落ちていた。誰かが読み捨てた新聞紙だろうと気にも止めなかったが、そ
れにしては黒い。雪に埋もれるような形で、それはある。
 あまりの黒さに、不審に思ったハルは足を止めた。その黒さに、見覚えがある。まさか。そん
なはずは。苦笑している自分と、指先が震えている己の体がある。かがんで、それを摘み上げ
た。そう、きっとこれはゴミ。きっとこれは。きっとこれは……
 それは、ノートであった。だが、以前見たことのある表紙のようにデスノートとはなく、開いても
説明書は無い。だがもしかしたらこれは。ハルは天を見上げた。
 雪よりも白く、存在感のある何かが、教会の方角に……堕ちた。






 堕ちた瞬間に、少年は羽根を出さなければと必死に念じた。だが、願うだけでは叶いはせ
ず、死神界か一気に人間界の空へと身を躍らせる。
 羽を……!
 背中に意識を集中させた。今まで、こんなものをだしたことがなかった。だが出さなければ…
…出さないと、どうなるんだろう?近づいてくる地面に、胸の奥から洪水のように競り上がる感
情があった。
 初めて少年は、恐怖というものを覚える。身の毛がよだつその感覚に、背中への集中力が
高まった。
 羽が背から生える。だが間に合わない。
 生えたばかりの羽に、建物の一部が突き刺さる。教会の、屋根につけられた十字架であっ
た。死を貪る卑しい存在を裁くように、十字架が柔らかな羽に突き刺さり、重力に従い引き裂
く。少年は悲鳴を上げた。
 だが羽が十字架に突き刺さったお陰で、重力が緩和された。屋根に体を打ちつけ、地面へと
転がり落ちる。
 降り積もった硬い雪に、少年は堕ちた。意識が一瞬薄れるが、背中の痛みに再び戻ってく
る。
 再生は非常に遅かった。少年は背中を見る。己の翼は、どこかのだれかさんのように硬くて
強い素材で出来ているわけではない。どこかの誰かさんって誰だっけ?一人首をかしげ、周囲
を見渡す。
 教会の目の前で、まさしく捨てられた子供のように、少年は座り込んでいた。周りは高い木で
覆われ、人の気配はない。空を見上げると、雪を降らせる曇天の空が微かな光すら少年には
与えず、細かな氷の粒を降らせるだけだった。
 寒さは感じなかったが、誰もいない心細さに、恐怖が再び蘇る。背中は相変わらず、治らな
い。地面はどんどん雪で覆われていく。
 そして思い出した。ノートを取り落としたのだ。
 「ふっ……」
 失った絶望感に、少年は涙を溜めた。それを押さえる術も知らず、声を上げて泣く。大声で
泣く。
 誰か
 誰か、いないの?
 どうして誰もいないの?
 こんな
 こんな寂しい思いをするなら
 人間界なんか、来るんじゃなかった
 背中が痛い
 声を上げても誰も来ない
 あの人は?
 あの人のせいで、自分はこんな世界に下りてきてしまったのに
 「ふぁ……あああああぁん!あああああ!」
 癇癪を起こした子供の声で、少年は泣き続ける。声を上げてれば、きっと誰か来てくれる。大
声で泣いていれば、きっと誰か……誰かが来てくれる。
 彼にはそれしか出来ないのだ。声を上げて、泣くこと以外、なにもない。助けてと声を張り上
げることも、自分の足で立ってノートを探しに行くことも、何も出来ない。
 堕ちてきてしまった幼い死神は、まるで産まれ出てきた赤子のように、ひたすらに、泣き続け
た。




 泣き声がする。
 林を抜けた先、教会へと続く道の向こうで、子供の泣き声がする。
 ハルは走った。何故こんなにも、予感めいた感覚が付きまとって離れないのだろう。
 ああこの声は。しかし、あの子は泣くことが無かった。泣くことが出来なかった。だからこんな
風に泣かれても、本当にこの声があの子のものなのか分からない。しかし、しかし、しかし……
考えて走っているせいで、コートの裾を踏んづけて転ぶ。服が汚れて足が痛んでも、疾走をと
めることができなかった。長いこと使われなかった強靭な筋力は衰え、それでも平均女性より
も早いその走りは、泣き声がするほうへと真っ直ぐ進む。ああ、もしもこの世に神様がいるとし
たら、どうか教えてください。貴方は誰にでも、絶望の中に僅かながらも光を与えてくださるとい
うならば、私にもどうかその光を射してくださいませんか?『あの』時の罪から未だ逃れられず
にもがいている自分に、もう一度だけ、もう一度だけチャンスをください。今度は絶対に放しま
せん。どんな災厄が降りかかろうとも、守って見せます。今まで出来なかった分、本当ならば出
来なかった分、必ずや、ずっと!
 もう2回ほど転んだ後に開けた空間に、教会の入口があった。一面に雪が降り積もり、雪で
押しつぶされそうな木の傍で、その子はいた。
 泣き声は小さくなり、力尽きた声はそれでも誰かを呼んでいた。『誰か』というのは特定の人
物ではなく、とにかく自分を見つけて欲しいと泣いているのだ。その小さな体は半分雪で埋も
れ、このまま雪に閉じ込められるのではという恐怖に、その子はさらに泣いていたのだ。
 彼女の走りはもはや歩いているのにも等しく、よろよろとその子に近づく。その気配に気づか
ぬその子は、蹲って寂しさに凍えていた。
 傍に膝をおると、その子が顔を上げた。ハルは雪を、素手で掻き分ける。切り傷だらけの指
先で、泣き止んだその子の体を抱きしめた。その子は、誰かを呼べたという達成感から笑顔に
なって声を上げる。ハルは、雪のように輝く銀髪をなで、泣いた。
 ああ、神様……そう、呟いて。






 レスターの元に、死神の捕獲命令が下されたのは当然といえば当然であった。
 メロの姿を確認できるのは、もはや自分しかいない。他のものは、皆死んだ。
 そう、皆。
 レスターはその命を受けた。もしかしたら、自分もその『皆』の中に入れるのではないかと。
 ニアの、あの無垢な瞳が離れない。なにも罪に問わないあの透き通った色が、逆に己の醜さ
を浮き彫りにしているようで。
 ジェバンニはやめろと止めてくれた。だが、自分が止まるわけにはいかない。止まるわけに
はいかないのだ。ニアの瞳を脳裏に焼きつけ、彼は夜神月の行方を追った。
 夜神月がロス郊外のホテルに滞在しているという情報が入った。3日前情報に、収集能力の
遅さを呪うが、幸運にも彼はまだそこに滞在していた。いや、不幸というべきか。
 死ぬかもしれない。そう感じた。再び、あの死神に近づけば、命は無いだろう。だが、迷うほ
どの時間は、誰も与えてはくれなかった。己さえも。
 それはまさしく、突入前夜。雪の降る夜のことであった。ホテルで一人、考えた。本当にこれ
でよかったのかと。
 よかったことなど、一度も無い。ニアが、死神から傷を受けて負傷したあの時から……いや、
ニアが夜神月に心を囚われたあの時から、よかったことなど何も無かった。望んでも無いの
に、現実は悪い方向へと向かう。ニアは、その暗がりへと歩を進めすぎた。そして戻ってこなか
った。今度は自分も。もし、自分もまたその暗がりへと足をすすめれば、ニアに会えるだろう
か。
 会って、言わなくてはならないことがある。レスターは決心をつけると、明日の朝、夜神月の
部屋に襲撃をかけると指示を出すため立ち上がった。
 ジェバンニが来たのは、そんな時だった。決心が揺るがぬために、誰とも話はしたくなかっ
た。無視して本部に向かおうとした時、今度はハルが現れた。廊下の真ん中で、絶対にここは
通さないというオーラを出し、レスターを見ている。
 「見て欲しい子がいるんだ。」
 ジェバンニが、なにやら興奮気味に腕を引っ張った。そして、ホテルの脇に止めてある車まで
連れて行く。
 「これを……」
 触らせられたのは、白い紙切れ。そして、車の窓ガラスを指差すハル。
 レスターは目を見開いた。無意識に、一歩、二歩と足を前に滑らせ、車に近づく。
 車の中にいたのはその子は、レスターと目が合うと首を傾げた。ハルにドアを開けてもらい、
恐る恐るレスターの前に立つ。熊のような体格のレスターとその子では、身長差がかなりあっ
た。
 なんと、表現すべきか。その子の無垢な瞳に見据えられ、レスターは消え入りたくなる。感
動、驚愕、絶望……そして光。あの時、もはや輝きを失ったはずの瞳が、今まさに目の前で、
子供らしい光を携え、彼を射抜いていたのだ。レスターは何時の間にか、膝を折っていた。冷
たい雪が、ズボンを濡らした。突然跪いた男に、その子は驚いてハルの後ろに隠れる。ハル
は、そっとその子の背を押した。
 「すまなかった……」
 掠れた声は、神に懺悔する罪人と同じ音色である。
 「すまなかった……許してくれ……ゆるしてくれ……私が……わるかったんだ……」
 雪に額を擦りつけ、なんと自分は惨めなのだろう。わかってる。自分だって、死にたくなんか
ない。
 「ゆるしてくれ……ゆるしてくれ……ゆるしてくれ………」
 ただ
 許されたい、だけだった。







 L
 また、お手紙を書きます。
 もう……僕たちは、だめなのかもしれない。
 駄目っていうのはつまり……メロと、喧嘩したんだ。
 メロが
 メロが、また
 僕の首を……
 …………………
 傷ついている彼に、僕はなにができるというのだろう。
 わからないよ。
 ねえ、L。
 僕はやはり、許されてはいけないのかな。
 ニアを殺したのに……メロと幸せになろうとして
 神様が、罰を下したのかな
 L
 L
 どうしよ
 もう、一週間も帰って来ないよ
 いつの時か
 待っていると約束した、昔
 あの時は、いくらでも待てると思ったのに
 今は
 こんなにも、怖い


 ………一回、ハルのところに戻ってみるね。
 たぶんメロも、彼女のところに向かってるはずだから。
 ずいぶん、連絡をとってないから……忘れられてたら……どうしようか?
 ……………
 L
 でも僕、メロを
 愛して





 もうすぐ冬が終り、春が近づこうとしている。
 メロはビルの屋上で月のことを見ていた。縁に腰掛、足を投げ出し、ぶらぶらと月の様子を
窺う。
 月は手紙を書き終わるとそれを燃やし、窓を開けた。その灰を風にとばし、空を眺める。
 メロは手帳を取り出した。PCデータ以外に書き綴った手帳はこれで5冊目となり、何度も捲っ
てぼろぼろになった紙を、優しく扱う。
 その手帳に挟んだ何枚かの写真。以前、友人からもらった、たった一枚のマットとの写真。
 それをじっと見つめ、考える。本当に、彼はこんな顔をしていただろうか。この子が、本当にマ
ットだったろうか。色あせ始めたその写真の表面をなで、首を傾げた。もう、わからないや。
 刹那、強風がビルに吹き付ける。指先でつまんでいた写真がとばされ、あっというまに見えな
くなった。メロはしばらくその方向を見つめ、立ち上がる。ま、いいや。写真ぐらい。
 もともと、ハルの元に向かうつもりだったため、メロもそちらに行くことにした。空を見上げる。
 晴れ渡る空を見て、メロはとくになにも感じず、目を細めた。






 ハルの元に向かうと、見たことのある顔が2つあり、メロは訝しがる。窓の外から確認したそ
れ。一人はジェバンニだ。こちらは問題ない。もう一人は……。
 自分達を捕まえにきたのか。メロの瞳の奥に、残虐性な色が宿る。ハルが裏切ったのか?
そう勘繰る。
 しかしそれは杞憂に終わった。彼女はメロの顔を見るとぱっと顔を綻ばせ、玄関を開けてくれ
た。
 彼女はなにやら慌てていた。「こちらから連絡できなかったからいえなかったんだけど……」と
何度も呟いて、なにかを伝えようとしていた。何故、レスターがいるのかと質問するよりも早く部
屋の奥に引っ込み、誰かを連れてこようとする。
 彼女の手に引かれて連れて来られたその子に、メロは2年以上も前に受けたあの衝撃を…
…思い出した。
 感情があふれ出してくる衝動。だが今回は、悲しみではない。唇を震わせ、メロは膝を折る。
 そうしなければ、その子と目線が合わなかったのだ。
 「……………  ?」
 その子の名を、呼んだ。思わず、疑問系で。
 目の前にいるのは、まだ6歳ほどの幼い子供である。大きな瞳を瞬かせ、何度もハルを見上
げて、目の前のメロへの対応に困っている。
 メロが発した死神の言語に、少年はぱっと顔を明るした。警戒を解いて、そうだよ、なんで名
前知ってるの?と問い返す。メロは両手で口を押さえて、嗚咽を漏らした。
 触れてはならないもの。手を伸ばして、汚してはいけないものが、そこに存在していた。
 目の前にいる子供には威厳などない。世界を変える力もなければ、相手を威嚇する牙もな
い。ただ純粋に、無垢なのだ。それも、普通の子供が持つものではない。弱弱しい『無垢』。な
にも恐れることがない世界から、足を滑らせ堕ちてきてしまったかのように。なんの警戒心も抱
かぬ、小動物のように。
 「    」
 メロは何時の間にか、謝っていた。両手を伸ばし、少年を強くだきしめる。ごめんね、ごめん
ね、と泣きながら謝る死神に、少年は不思議そうに首をかしげているだけだった。
 背中に手をまわしたとき、なにか冷たいものに触れた。
 翼だった。メロはそれを見て息を詰める。死神だったのか。
 少年の羽は、まるで薄い氷で出来ているようだった。羽を模った一枚の氷。グレイシアブルー
の羽に触れ、メロは歓喜とも絶望ともつかぬ瞳で、少年を見た。生きていることが、彼にとって
の希望なのか……。
 すこし指先に力を入れた瞬間、ぱきりと……………なにかが折れた。は?と指先を見る。触
れていた羽の一部が、その、なんというか、
 「あ」
 ハルが顔を引きつらせ、呟く。メロは欠けた一部をまじまじと見る。脆い……。嫌な予感がし
て、少年の顔を観察する。
 少年は、一度背中を見て、自分の翼に傷がついたことを確かめる。道端で転んで傷口を確
認する子供のように、おそるおそる翼に触れた後……
 「ふっ……」
 ひくっと、喉を震わせた。やばい、泣く。
 「ふあああぁぁぁぁん!あああ!」
 痛かったのか、大声で泣き始めた少年は、メロの横をすり抜けて外へと逃げ出してしまった。
「あ、こら!待ちなさい!」こういったことは日常茶飯事らしい。ハルが慌てて後を追いかけてい
った。メロもその後ろにくっついて、追いかける。
 追いかけて、もう一度抱きしめたら、今度こそちゃんと謝ろう。謝ったら、飛んでしまった写真
を探そう。そして……もう一度、月に謝らなければ。メロはそう心に決め、ニアの後を追う。






 少年は泣きながら柵の下をくぐり、追っ手を撒いた。酷い。羽を壊すなんて……あの変な金
色のは、きっと自分をいじめに来たのだ。
 「ふっ……ぅー……ぅっ……」
 あふれ出てくる涙を何度拭っても、拭いきれない。歩道に植えられた木の傍でしゃがみこむ。
ふと、自分のノートがないことに気がついた。大変だ。また、落としてしまったのだ。周りを見渡
す。めちゃくちゃに走ってきたので、今、自分が何処にいるのか分からない。すぐ傍の道路で
車が走り去る。そのスピードに少年は身を震わせた。
 嫌だ。誰かきて。膝を抱えて蹲り、泣く。きっと大声で泣いていれば、またハルが見つけてくれ
る。大きく息を吸い込み、声を振るわせようとしたその時、誰かが自分の前に立った。
 見上げると、太陽の眩しさに目を細めてしまう。その人は光を背に、自分を見ていた。手に
は、探していたノート。よかった。拾ってくれたのだ。
 「ニア……?」
 名前を呼ばれ、驚いた。この人誰だっけ。首をかしげる。男性だと思うが、女の人みたいに
細い人だ。肌も白いし、茶色い髪をしている。なんだか、自分が知らないのに相手が知ってい
るということが多いな、と思った。
 「ニア……ニアなのか?」
 その人がしゃがみ込んでくれたお陰で、顔がよく見れた。その瞬間、この人は探していた『ラ
イト』だと気がつく。少年は微笑んだ。ようやく、見つけた。
 「light!」
 名前を呼び返すと、ライトは震えた。寒いのだろうか。よく分からないでいると、突然、がばっ
と抱きしめられる。唐突さと苦しさにもがいていると、ライトは大声を上げて、泣き始めてしまっ
た。
 「ニア……!ニア!に……あああああ!ああああぁ!」
 大人がこんなに泣くのは、初めて見た。その大声にびっくりして、ニアもまた泣き出してしま
う。




 L
 ねえ、ずっと前に、聞いたことがあるんだけれども
 『あの』ときメロを……起こしてくれたんだってね?
 ありがとう
 L
 ……L
 見守っていてくれる?
 愚かな僕らを、見守っていて欲しいんだ
 きっと僕らは
 お前の所にはいけないだろうけれど

 それから、ごめんなさい
 ニアを……かえして、もらいます

 また、お手紙を書きます。
 それでは




 「ニア……ごめんね……うっ…あああああぁ!」




 愛していました。僕の、大切な人










 Fin









どんな時だって
たった一人で
運命忘れて 生きてきたのに
突然の 光の中
目が覚める
真夜中に


 宇多田ヒカルより  『光』




トップへ
トップへ
戻る
戻る