![]() ![]() 「え……?」 目の前で、人が死んで 「え……え?え……?」 その時の僕は なんと、浅ましい人間だったか 「月?」 「う 」 僕を助けた幼い死神は、柔らかい笑みを僕に向ける 「うわあああああああぁぁあ!」 逃亡中の、ある夜。 襲撃は当然、突然で。僕が眠っている隙を突いて、捜査官達は身柄を拘束しようとした。 一晩の寝床を、人気のない廃墟の病院にしてしまったのが悪かったのだろう。人がいる場所 ならば、彼らも慎重に行動しようとしただろうに。遅い行動であれば、メロが事前に気がつくは ずなのだ。 だが、廃墟に人の断りなど必要ない。彼らの迅速な行動は、僕の腕を掴みあげるところで終 わった。 死神が、己の武器に彼らの名を刻んだのだ。 彼の足元には、人がいた 動かない 「月?どうした?」 動かない、動かない 僕の腕を捕らえていた捜査官が、突然僕から手を離し、銃を取り出すと、己のこめかみに銃 口を向けた。本来ならば僕に向かうはずだった死の切っ先は、ノートで操られた男の指先によ って彼自身に向けられる。耳元で、激しい破裂音と硝煙が僕の感覚を麻痺させた。次いで、捜 査官の命が地面に滴り落ち、体は崩れる。 「ああああ ああああああ!」 他の場所でも また他の場所でも 胸を押さえて地面を舐めるように伏せる人間 ナイフを取り出して、己の致命傷に突き立てる人間 周りの異変に気がついて、逃亡するため乗り込んだ車で事故を起こす人間 死を与えられてた人間の順番は、僕の傍からであった まるで、僕自身から邪悪な毒が滲み出て、彼らの命を消すかのようだった 「あ ああ いやだ こんな 」 人の死には、慣れていたはずなのに 僕自身、人間を幾人も殺してきたはずなのに 目の前で人が死ぬのと、ノートに書き連ねた名前の向こうで死が確定されるのでは、受ける 衝撃がまったく違っていた 咽返る、絶望的な死 今まで僕がしてきたことを、現実に映し出すかのように、僕の周りには死が溢れていた 人数で表せば、10数人足らずだというのに 僕には、何百人もの人が、足元で縋り、死を恐怖し、僕に対して憎悪を抱いているように思え た 「う……ううっ…う……」 だが、彼らが死に呻いている時、僕はなにをやっていたかというと、ただ泣いているだけだっ た 死神に……メロに、やめろと叫べばいいものを 情けなく震え、彼らの死に怯え、その全てから逃れようと、ただ泣いていた ただ、泣いていた 「月。泣かないで。」 それに見かねた死神が、死体を蹴飛ばし、僕に歩み寄る。死に対してぞんざいな扱いをした 少年。人の感情を打ち砕いた。その命を踏み消した。その死神は、僕を優しく抱擁する。 僕は、なんと浅ましい人間だったか 彼を非難することすら思い出せず、ただ己の恐怖から逃れるために、僕は死神に縋りつい た。彼が作り上げた地獄絵図だというのに、僕はさらにそこから逃れるために、メロに助けを 求めたのだ。 「メロ……メロ……死……死んでる……みんな……」 「うん、そうだよ。だって……月を追いかけてくるから……助けてあげたんだよ?」 僕は息を呑む。それは即ち、僕の存在が彼らを殺したということになる。 醜い僕は、その罪から逃れるために、メロに言い返した。 「でも…でも、殺すこと、なかった……全員、殺すことなんて」 「なに言ってるの?」 メロは無垢だ だが、無垢は時として罪となる 「月だって、沢山殺したじゃないか。」 メロが僕の顔を覗き込む。一点の濁りもない、澄み切った笑顔。 「だから、その人数が増えた所で、なぁんにもかわらないよ?」 さらに、彼は僕の目の奥を覗き込む。なにが言いたいのかわかった、という得意げな顔をし て、 「そっか。月……誰かを殺すの、嫌なんだ?大丈夫だよ。じゃ、俺のせいでいいよ?実際、殺 したのは俺だし。だから……」 メロがそっと、手の甲で僕の涙を拭った 「泣かないで?」 僕はなんと穢れているのだろう。 最低だ。僕は、叫べなかった。そんなことは思っていないと、断言しなかった。できなかったの だ。何故ならば、僕は確かにそう思っていた。 誰かが指を指し、僕の逃亡劇を非難したら、恐らく僕はこう喚くだろう。違うんだ。僕は悪くな い。メロが殺したから、仕方なく従ったんだ。怖かったんだ。だから、だから……。そう、愚かに 反論する己が容易に想像できた。 誰か、僕を殺してはくれないだろうか。断罪してはくれないだろうか。僕は想ってしまった。こ の先、どんな辛いことも、メロが全て引き受けてくれるのではないかと。すべての障害を取り払 い、泣きつかれて眠るまで、彼が僕を守ってくれるのではないかと。殺人の罪すら彼に背負わ せ、僕はのうのうと生きていくのだ。 メロが覗き込む視線の先には、僕の汚れたすべてが映し出されているに違いない。やめてく れ、見ないでくれ。僕は目を逸らそうとするが、僕の頬に添えられたメロの指先が、それを赦さ ない。僕は震えながら、視線だけを逸らした。 その時、僕が逸らした目線の先に、生き残った捜査員の一人が建物の影からこちらを見て いた。僕に見つかったことがわかると、男は動くなという意味合いの言葉を発し、僕に銃を向け る。メロが、そちらに注目した。男に死神の姿は見えない。 「止めろ……!」 ようやく声が出て、メロに縋りついた。止めてくれ。もう、殺さないでくれ。 これ以上、僕の罪を増やさないで メロが、僕のほうをチラリと見る。僕の制止に視線を向けたのだろうが、僕には、この醜い想 いに気がついたように感じられた。僕の声に驚いた捜査官が、咄嗟に引き金を引いた。周囲 の死が、男に冷静な判断を下さなかったのだろう。実際、その判断は正しかった。ただ、銃口 の先が、僕の腕だったというのが問題だった。僕の額にその鉛を打ち込んでくれれば、全ては 終わっていたのに。男は、僕が捜査官達を殺したと勘違いしたのだ。 僕の腕に咲いた赤い華に、メロが目を見開く。その時、男を睨んだメロの表情が忘れられな い。その視線は、相手に罰を下す神の目だった。唇が、かすかに動く。 コロス 彼が、翼を広げる。身を翻し、翼の刃が男の腕を切った。痛みに銃を取り落とす男。翼の刃 は動きを止めない。その羽の先が、男の脇にあった太い柱の土台を削る。柱は崩れ、男の体 に圧し掛かった。悲鳴を上げる男。僕の記憶は、そこまでだった。 腕の痛みに、ぐらりと視界が姿を変える。罪の重さと痛みによろけると、メロの細い腕が僕の 体を支えた。その背中からのびる翼の、なんと残酷なことか。男を傷つけた刃の先には血がこ びり付き、さらに僕の精神を圧迫させる。 精神の重さに意識が途切れる直前、メロが優しい笑みを浮かべた。 「おやすみ」 まるで僕の罪を赦すかのように、メロはそう、囁いた。 一体なにが起きたのか。柱に押しつぶされた男は、なんとかそこから這い出ようともがく。大 丈夫、それほど重くない。キラをみると、腕の痛みに気絶していた。 あとは足が抜ければ柱から逃れられるという時になって、傍に誰かが立っていることに気が ついた。見上げる。少年である。何故、このようなところに子供が。 「死ね」 少年の目は、笑っていたのだと思う。 そして少年が、男に腕を伸ばし……… 月を持ち上げると、本当に軽いのだ。彼の体はまるで、羽で作られているかのように。 可哀相に。眠っている所を、突然連中に襲撃されて。怖かったろうに。可哀相に……。 月を寝台に寝かせ、傷口を見る。軽いものだった。恐らく、撃たれた衝撃に気絶してしまった のだろう。 傷口を消毒し、包帯を巻いて、寝袋をかけた。ぴくりとも動かない。まるで、周りの死体のよう だ。 ガラスが砕けた窓から、ツキ明かりが月の肌を照らす。真っ白い、美しい肌。動かないと、そ れこそ人形のように、メロの目には映った。傍に腰かけ、頭を撫でる。 「月……」 前髪をかきあげ、メロは笑った。 「アイシテル……」 死が充満するその部屋に、愛すべき人を寝かせ、無垢な子供はそう囁くのだ。
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