dzのイチシマ ハチ様からいただきました!






つばさ




 幼い子供の、肌理細やか背中の皮膚。そこから、異形の羽が突き破る。
 人間の外見を繕っていても、中身はこのような化け物なのだと表すかのように。背中から白
刃が突き破り、彼が死神である証をそこに見せる。
 翼。彼は、そう言った。月は目を背ける。これが翼なものか。
 背中から突き破ったのは、剣の刃である。それが幾重にも重なり、翼の形状をしていた。そ
の翼は、彼の武器でもあり、生き物の天敵でもある。生を受けた代償として痛みを背負った生
き物が触れれば、死を招く。たった一つしかない生命の危険に悲鳴を上げることだろう。目の
前にそれを見せられただけで、神と名乗った月といえど、恐れ戦いた。更にその翼が羽を広げ
ると、本能が悲鳴を上げる。『逃げろ』と。
 月が逃げ惑わなかったのは、彼に敵意がないとはっきり分かっていたからだった。もっといえ
ば、羽を出して欲しいと頼んだのは、月であった。
 真夜中の教会は静まり返り、人が来る気配はない。何かあったときのためにと、平穏な町の
礼拝堂には鍵は掛けられていなかった。一晩の宿として、そこを無断で借りていた。だが例え
誰かが来ても、死神の姿を見ることは出来まい。
 月は、ゆっくりと指先をメロの羽へと伸ばす。その気配を感じたのか、メロが振り返って慌て
た。
 「だ…駄目だ!月!」
 まるで、凶器に触れようとする子供を制止するかのように、首を振る。
 「触ったら……危ない……」
 「?……大丈夫だよ。強くは触らない……」
 「そうじゃない。触ったら、怪我をする。触れただけで、月の指に傷がつく。触ったら、駄目
だ。」
 彼は、今にも泣き崩れそうに顔をゆがめた。だが、彼の瞳から涙は出ない。
 分かっている。彼は『フリ』をしているのだ。
 触って、自分に傷がつくことを恐れる人間の感情の、『フリ』。
 それがわかっていてなお、月は優しく微笑みかける。
 「わかった……触らないよ。……傷を見せて。」
 疑わしそうに月に視線を送った後、再び背中を向け、翼を広げた。
 重なり合う、金属音。
 けしてそれは涼やかな音楽とはならず、古の戦場で鳴り響くような痛みのある音であった。耳
を覆いたくなる衝動を抑えこみ、月は目を凝らす。
 完成度の高い美術品のような色合いの羽。その一部が、激しく破損させられていた。痛いの
かどうか、よく分からない。血も、痛々しさもない。寒々しい傷跡。
 「メロ……痛い?」
 尋ねる。メロが、首を傾げた。



 今日の午後、月を襲ってきた捜査官達は、明らかにメロを意識した部隊であった。手に握ら
れていたのは重々しい銃器で、月には名称がいまいちよく分からない。長い筒状で、男が両手
で持てるほどの大きさのものを、殺戮を繰り返しているだろうメロの辺りに向けた。ばすんっと
いう気の抜けた音と共に、子供の拳ほどある弾が発射される。後に聞くと、それはグレネードと
呼ばれる爆薬を発射させる武器であるらしい。それも更に特殊で、爆薬は通常の破砕型では
なく濃硫酸が詰め込まれているという聞いているだけで訳がわからなくなるものであった。
 ただ結果だけは、月の目に焼き付けられる。偶然背を向けていたメロの羽に爆薬は減り込
み、破壊をもたらせた。いつもならば巻き戻しのように傷口が治るはずのそこから、異臭と共
に羽が溶ける。メロが珍しく、苦しそうに呻いた。痛みはなくとも圧迫感や喪失感はあるのか、
その感覚に膝をつくメロ。月は悲鳴を上げた。武装した一人が月を拘束する。車の中へと連れ
込まれそうになる直前、メロが動いた。
 地を蹴り、一気に男へと距離を縮めると、少年の手が月を拘束する男の手を掴む。男が悲
鳴を上げた。死神の手に捕まった恐怖か、はたまた腕の痛みからか。
 メロはその悲鳴を、心地好い音楽のように目を細め、男の腕を折った。




 逃げ切った後も、メロの羽は正常には戻らず、見かねた月がどのようになっているか見せて
欲しいといったのが、その晩のこと。
 それでも、銃弾を受けたときよりは遥かに治っていた。生物兵器として使用される硫酸弾をま
ともに食らってなお、メロの表情に変わりはない。ただ、背中の妙な痒みに眉を顰めているだ
けだ。
 月は、己の胸の内が締め付けられる痛みを感じた。まるでメロの代わりに、月がそのすべて
の痛みを背負っているかのように。傷の痛みにではない。メロの、心の深淵。けして血が止ま
ることのない深い傷を見てしまったかのように、月は思わず指を伸ばした。傷口に、触れる。
 本当に、触れただけなのだ。皮膚の表面を、白刃に触れただけ。色彩の白さから、冷たさを
連想していたその羽は熱かった。火傷をするかのようだ。月はそう思った。慌てて指を離すと、
触れた場所から月の白い手首に向かって一筋の血が流れ落ちる。え?と月は自分の指先を
見た。傷が出来た。今の感触を思い出す。
 まるで、鋭いナイフの刃を皮膚に当て、素早くずらした時の、あの摩擦熱。それに似ていたの
だ。
 「!?月……!」
 白い床に滴り落ちた体液。その色に、メロが悲鳴の如く名を呼んだ。月の指を引っつかみ、
傷口を確かめ、今度こそ本当に泣きそうになる。それは、先程のあからさまな泣き顔ではなく、
無表情な悲しみであった。Lと同じだ。月はその顔を見て、かつて愛した彼の表情を思い出す。
 彼も同じ、深い悲しみに浸ると、表情をなくした。
 世界の何処にも居場所はなく、ただ途方に暮れた悲しい男の末路のように、表情をなくすの
だ。ゴメンナサイと泣いて謝っても、赦してもらえない子供のように、行く当てのない悲しみを表
現できずにいる、幼い心境。
 「ごめ……っ。メロ……ごめん、僕が悪いんだ……勝手に触ったから……」
 だから、そんな顔をしないで。月はメロの頬に空いている手を添えた。それでも、メロの空虚
な悲しみは消えない。月がただおろおろと様子を見守る中、メロがその傷口を自分の口元に
持っていった。止まることのない血をそっと舐め、キスをし、息を吹きかける。メロの気が済む
まで、月は待った。ようやく離したころ、月は驚愕する。
 血が止まった。あれだけ滴り落ちていた血は完全に止まり、指先に白い傷口を残すのみとな
っている。
 メロは無表情にその傷を見つめ、
 「ごめん……俺……月をまた……傷つけて……」
 「なにを言ってるんだ、メロ。治してくれたじゃないか……すごいよ……」
 死神には、このような力も備わっているのか。そう聞くと、メロは否定した。
 「俺がつけた傷は、治すこともできる。でも、不安定なんだ。すごく……不安定で……時々傷
がひらいちゃって……痛くて……」
 なにかを思い出しているのか、単語を繋ぎ合わせるように呟くメロ。月はメロの両頬を手で包
み込む。
 彼の悲しみは、自分のみならず、別の人物に向けられていると知っていたから。
 「メロ……大丈夫だよ。大丈夫……もう、痛くないよ?痛く…ないよ?」
 顔を上げたメロの頬に、一筋の涙が伝った。それは、月を傷つけた悲しみなのか、友人を苦
しめている罪に足掻いているのか、分からない。
 消えてしまった人間の感情が、それでもコレだけは残させてくれと縋りついたような一筋の
涙。表情を失った死神の頬に伝うそれを、月は何よりも儚く思う。
 メロが広げた翼の向こうで、礼拝堂に飾られている十字架が光の加減で浮かび上がり、なに
よりも、誰よりも切なく、美しいと、月は泣いた。













dzのイチシマ ハチ様からいただきました!
すごく、切ない気持ちになります。メロの涙が特に……
 素晴らしい絵を、ありがとうございました!
絵の素晴らしさを表現しようと……がんばってみたのですが……
その……全然表現しきれなくって、すみませんでした……





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