ILE様の作品








 ゆめ(最終章 春・その後〜)


 メロは眠ることはしない。夜の闇に意識を溶け込ませることを、彼は酷く怖がっていた。
 その理由について、睡眠をとると人としての記憶が極端になくなってしまうのだという。なの
で、僕が眠ると、大抵メロは手帳を広げ、それになにかを書き込んだり、読み直したりしてい
た。
 前と同じように僕の傍に腰をかけ、僕が眠るのをじっと待つ。その目は、嫉みとはまた違う、
懐かしい感覚を羨むような瞳であった。
 彼の感覚が人に戻ったから、すべてが幸せになるのかと言ったら、それは全然違った。メロ
は以前よりも疲弊していた。毎日毎日、砂のように零れ落ちる記憶たちを慌てて掴み、掌に残
った砂粒を大事そうに握り締めるように、彼は手帳を開いて日記を読む。
 彼の記憶障害は、日々、酷くなる一方だった。あるとき、手帳に書かれた文字を指先でなぞ
り、眠りかけていた僕に聞いた。
 「なあ……マットって……」
 メロの目が、不安そうに虚空を見る。記憶の砂粒を必死に掻き集め、思い出そうとしている
顔だ。
 「どんな……子だっけ?」
 僕は困ってしまった。マットに関して、僕よりもメロのほうがよく知っていた。だから、間違った
知識を入れては拙いと思ってしまう。
 「……良い子だったよ。」
 それだけは確かだった。メロの表情が、更に詳しい情報を求めている。
 「友達想いで……メロのことをいつも心配してた。」
 「煙草、吸ってたっけ?」
 「うん、吸ってたよ。」
 「思い出せないんだ……大切な……記憶だったのに……詳しいこと、書いてないんだ。」
 僕はできるだけ平静を装ってメロの頬を撫でたが、心の中は震えていた。どうしてこんなに
も、彼が辛い思いをしなければならないのだろう。彼はまだ、人の心が残っている。その状態で
記憶が薄れていくのは、どれほど恐ろしいものか。
 「月……」
 メロは震えていた。以前よりもずっと脆くなった彼は、僕の服をぎゅっと掴み、放さない。
 「俺が……眠ってしまったら、起こして……絶対、起こして?」
 僕は頷いた。眠れない彼の表情は、疲れ切り、陰りが見える。
 「俺……まだ、人に見える?人間に見える?月……頼むから……繋ぎとめていて……繋ぎと
めて…いて……」





 僕になにができるというのだろう。
 早く死神となり、彼の傍にそっとついていてあげたいのに。
 僕が、ごめんね、と呟くと、彼は決まって首を振る。
 「違う……違うんだ……俺…俺が、死神になりたくないから。月のせいじゃない。
 死神に、なりたくないんだ。」
 ある時、こんなことを話した。もし、僕がメロの前で死んでしまったら、という話だ。
 メロは怯えながら、否定した。
 「絶対に、死なないでくれ。もし月が死んだら……きっとまた、マットの時の様な……あの……
『怖い事』が起こるから……」
 彼は苦笑し、
 「おかしいよな……俺……人間に戻りたいって思ってるのに……怖いことは……いやなんだ
……なあ、月もそうか?怖いこと、嫌い?人間は皆、怖いことは、嫌がるものか?」
 矛盾した現実に、彼は震える。僕はただ、頷くことしかできない。
 なんでこんな、辛いことを感じる人間なんかに戻りたがるのだろう。今の彼は、以前よりも不
幸に見えた。
 もう僕には、わからなかった。




 辺りはまだ暗いのに、何故かその日は早く起きてしまった。はっと飛び起き、全身に汗を掻い
ていることに気がつく。最近、いつもそうだ。溜息をついて、僕はメロを見た。
 そして、息を呑む。メロが眠っていた。寝息を立て、穏やかな表情で僕の傍に顔を近づけて
いた。ベッドの下に座り、頭を僕の傍においているうちに眠ってしまったのだろう。
 起こそうとして、それが躊躇われた。蓄積された疲労を、ようやく回復させている彼の起こし
方が分からなかった。こうしているうちにも、メロは人としての何かを忘れているのに、それでも
眠らせてあげたい気になる。
 もう無理だ。死神になってしまったらどうか。僕なら大丈夫だから…………そう、訴えたくな
る。だが彼はそうしない。彼は人でいたいと願う。僕はそっと彼の肩に、手を置いた。
 優しく揺さぶってあげながら、人であり続けることでもう彼には幸せは訪れないような気がし
た。こんなに疲れ切り、やつれるぐらいならば、そんなもの手に入れなければいい。人でいるこ
となんて、そんなにいいことじゃない。
 「メロ……」
 強く呼びかけられない。それでも、メロは反応した。ぴくっと眉が動き、寝ぼけ眼で顔を上げ
る。
 「らいと……」
 メロが手を伸ばし、ゆっくりと僕に抱きつく。甘える子犬のように、僕の髪に顔を埋め、再び寝
息を立てようとする。本人はそれを必死で堪えながら、
 「らいと……月……俺……どれくらい寝てた……?」
 「全然、寝てないよ。ほんのちょこっと。本当だよ?」
 僕は嘘をつく。寝癖がついてしまった彼の髪を撫で、僕は震えそうな声帯を必死に堪えた。
「そう」とメロは短く答え、突然、嬉しそうに、
 「俺ね……ちょっと……思い出したんだ……」
 なにを?と聞く前に、彼は話しだす。
 「マットのこと。俺と、マットと、月………3人で、遠くに遊びに行って……一面芝生だった。空
が凄く澄んでて……楽しかったなぁ。」
 違う。そんな事実はない。
 僕らがそこまで仲良くなる前に、マットは亡くなった。
 たぶん、それは夢。
 今しがた見ていた、メロの……夢。
 「……あの時……マットの奴は、そんなときでもタバコ吸ってて……俺達、皆笑ってて……あ
あ、あの時……なんの話してたっけ?だめだ、思い出せない……なあ、月。俺達、あの時……
あの時、幸せだったよな?楽しかったよな?思い出せた……思い出せたんだよ?」
 僕は頷いた。
 「ああ、そうだよ。」
 嘘をつく。
 「楽しかったね……大したことは、話してなかったさ。でも、一緒にいるだけで……楽しかった
ね。幸せだった。」
 嘘をつく。人であるからこそ。人だからこそ。
 「月……」
 僕にしがみつくメロの手が、強くなる。
 「本当に……あったよな?そんなこと……幸せな時……あったよな?」
 僕は想像する。
 季節は春で、日差しは暖かい。今のように冷たい風は吹かず、春風に乗ってマットが吸って
いるタバコの臭いがする。柔らかい芝生の上で僕は寝転がり、メロは笑い、マットも笑い……
青空にそれは吸い込まれる。大した話でもないのに、笑い声は絶えない。
 「ああ……」
 そんなときがあったら、どれだけよかったろう。
 「あったよ……僕らは…………………幸せだった。」
 これから先、僕らにそのようなときが訪れるのだろうか。
 夢ではなく、笑い声が絶えない暖かい場所で、僕らは語り合うことがあるのだろうか。



 そして
 僕らが光を感じるのは、後もう少しのことだった。











ILEj様からいただきました!
死神メロシリーズの月&メロ&マットです!
ああ……3人とも幸せそうに……!
 清清しい絵、ありがとうございました!



トップへ
トップへ
戻る
戻る