![]() ![]() ![]() 逃げたニア(?)を連れ戻そうと探したそこに、泣いている月がいた。 泣き崩れている月の姿は、苦しそうなのに、本当に嬉しそうで。月への対処に困ったニアは、 泣きながら月の抱擁を受け止めていた。 月は何度も呟く。よかった。本当に、よかった。何度も何度も。何度も何度も、何度も。 俺はその姿を見て、ああ本当に、これでよかったのだと全身から力が抜けた。 これである意味、月の心の傷は、癒える方向へと向かうだろう。 なにかが変わってくれるかもしれない。ニアがいることで、再び立ち止まってしまった俺達の なにかが、動き出してくれるのかもしれない。 …そう、強く願ってしまった。 ある意味、それは確かに叶った。だたし…… 良い意味でも……悪い意味でも……? 数週間後。 俺はこっそり部屋を覗く。ハルに貸し与えられたその部屋に誰もいないことを確認して、足音 を忍ばせ月のリュックに駆け寄った。 きょろきょろと周りを注意して、リュックから取り出したのはチョコレート。これであと、3枚しか ない。俺がもどかしげに銀紙を剥ぐと、ふわりと甘い香りが広がる。ああ、生きてて良かった。 俺は感慨気に一人呟き丸齧りしようとした。 「めろ」 丸齧りしようとして、横から投げかけられた言葉に、俺は情けなく肩を震わせる。チョコの魅 力に惑わされ、注意を怠ったらしい。恐る恐る目線を配らせれば、触れるか触れないかという ギリギリの位置に顔を寄せ付けているニアの姿……といっても、子供だが。 子供バージョン(?)ニアは、(俺の)チョコを見た途端顔を輝かせ、俺の服にしがみ付く。 「めろ!ちょこ!」 「う、うるさい!これは俺のチョコだ!どっか行け!触るな!あっち行け!」 ぺしぺしと頭を叩いているのに、ニアが怯む様子は無い。めろ、ちょこ。ちょこ、たべたい。た べるの。俺にしがみ付くニアの手は、死神だけあって力強い。みしみしと音を立てる腕に、半ば ぶちぎれて俺はニアの体を小脇に抱えた。(その拍子にチョコを盗られた)がらっと二階の窓を 開け、人のチョコをぱきぱき食っているニアを放り投げようと…… 「メロ。」 悲しそうに、そしてどこか冷ややかな声で、俺の動きは止まる。その隙に、高々と抱えたニア (まだ食ってる)を奪われ、 「………どうして、こんなことするの?」 振り向いてみれば、うる目で訴えてくる月の姿。俺はうっと言葉に詰まるが、それでも訴えた。 「み、み、見てただろ!?なあ!今!見てただろ!!コイツが俺のチョコ、盗ったんだぞ!奪 ったんだぞ!平気だよどうせ窓から落としたって死にはしないんだから……」 「メロ!」 月の眉が、怒りのためつりあがる。手についたチョコをぺろぺろ舐めているニアをぎゅっと抱 きしめ、今までなら絶対に怒鳴らなかった月が、最近使うようになった台詞を俺に叫ぶ。 「ニアはまだ子供なんだ!そんなことやったら怖がるだろう!?ほら、ニアに謝りなさい!」 ずいっとニアを差し出す。まんまる顔にくっついてるまんまるお目目が、俺をきょとんっと見つ める。 俺、悪くない……だってチョコを盗られたんだ……そう目で訴えるのに、月は分かってくれな い。俺は深呼吸した。そうだ。よく考えろ。こいつはまだガキじゃないか。そう何十回と唱えた呪 文を繰り返し、引き攣った笑みでニアに言う。 「に……にあ……ゴメンナサイ?」 「えい」 食べ終わったチョコの銀紙を、ぽこんっと俺の頭に投げつけるニア。俺は月からニアをひっ たくると、開けっ放しの窓の前で掲げた。 「このクソガキイィィィィ!」 「メロ!やめなさい……こらああぁぁ!」 月のグーパンチが、俺の後頭部に直撃した。 ニアが戻ってきてからというもの、月はコイツに付きっ切りだ……。 笑顔で世話をする月は輝いていて、心の底から幸せを感じているようだった。かつてあった、 癒えることのない傷が、ニアを抱きしめるごとにゆっくりと塞がっていき、治っていくのが目に見 えるようだった。 俺自身も、ニアと触れているうちに、空っぽの体に、なにか暖かいものが灯る様な感覚をもら った。それは久しく思い出せなかったもので、俺も彼の存在を求めていたことに、今更ながら気 がついた。 が。 ………なんかちょっと、色々な意味でおかしいと気がついたのは、一週間ほど過ぎた頃であ る。 月の、ニアに対しての溺愛振りが……なんかこう……ムカつくのは、気のせいだろうか? 「ニアー。お風呂入ろうか?」 笑顔でニアの頭をなでなでしている月の言葉に、俺はお茶を噴出した。ハルもそれを聞いて いたはずなのに、さっさと台所に行ってしまう。この異常事態に、あの女は気づいていないらし い。俺は断固として反対した。 「駄目だ!」 「……?なんでメロが答えるんだよ?」 「駄目だ!月!その男は色情魔だ!そんな奴の前で肌を曝すなんて、俺は許さないぞ!」 正当な判断だったはずなのに、月は何故か俺を空気の如く無視して、ニアの服を脱がしはじ めた。 「ニア?今日はアヒルちゃんのおもちゃをもっていこうか?動くよ?楽しいよー?」 「や!」 嫌、の意味で言ってるらしい。ニアは月の笑顔を拒否した。 「おふろ、や!」 「え?え?で、でも、ほら、おもちゃ、沢山持っていくよ?」 「や!や!おふろ、いや!こわい!」 ………後の話、どうやらニアは頭を洗ったときに目に沁みたシャンプーに怖がっているらしか った。月はおろおろしながら、片手に水に浮かべるアヒルちゃんを持って、ニアの説得に当た る。 「こ、こわくないよ?大丈夫だから……ほら、アヒルちゃん。パンダさんもいるよ?」 「いやー!おふろいやー!」 ぺちんぺちんっと月を叩くニア。月に対してなんてことを……!その襟首を持ち上げ、俺は怒 った。 「テメェ、いい加減にしろ!月のハダカが見れるだけでもありがたく思え!」 「いやー!おふろいやー!おふろ行ったらライトきらいになるー!」 昔の丁寧語もムカついたが、ガキ口調はもっとむかつく(しかもニアの顔で)。その頬を抓って いると、今度は俺の頬が抓られた。 「……………メロ。」 「だってそうだろ!俺だって月と風呂、はいったことないんだぞ!?それなのにコイツは…… ハダとハダが触れある絶好の場所を、拒否するなんて、痛ててててて………」 本当のことを言っただけなのに、抓る強さを増す月。 「そんな……如何わしい言葉を使って、ニアが覚えたらどうするんだ?」 「べつにおぼえなくてもそのうち知る事になるなるからいいじゃん……」 「邪な考えを、吹き込むな……」 ぶわっと殺気を膨れ上がらせ、月はニアを奪う。よしよしとその頭をなでて、猫撫で声でニア に言った。 「そっかぁ…ニア、お風呂いれたら、僕のこと嫌いになっちゃうのかぁ?」 こくこくっと頷く馬鹿に、月も頷きを返し、偶然遊びに来ていたジェバンニに、ずいっとニアを 差し出す。 「ジェバンニさん。お風呂、入れてあげてください。」 「………へ?」 のんびりお茶を飲んでいた奴に、さらにずずいっとニアを突き出す。不貞腐れたニアを、嫌そ うな顔で受け取ると、何をされるか分かったのだろう、奴は叫んだ。 「いやあああぁぁぁ!ジェバンニきらいいいぃぃ!きらああぁぁい!」 嫌われたジェバンニが、少し涙ぐみながら一緒に遊びに来ていたレスターに助けを求める。 当然、さっと目を逸らされた。 「早く行ってきなさいよ。」 殆ど責めるように、顔を出したハルが命令する。泣く泣く風呂場へと向かうジェバンニを、いっ しょうきらいになってやる、と泣きながらニアが叫んでいた。 他にもある。月がソファに座っていたときのことだ。抱きつこうと思ってそろそろと近づいてみ ると、俺の指定席にニアがいた。 「ん?メロ、どうした?」 月は、この緊急事態に気がつかず、ニアの頭をなでている。本来ならば、俺が寝そべるはず の月の膝に、丸まってニアが寝ていた。俺はずかずかとニアに寄ると、そいつの襟首を掴んで その辺に放る。かわりに俺が、月の膝を占領してやった。放った拍子に起きたニアが、ぱちくり と目を瞬かせ、自分のいる位置が月の元で無い事を確認する。あわてて俺にしがみ付くと、そ の場から退くよう喚いた。 「お前な、月の膝で寝るなんて100年早いんだよ悔しかったら俺を退かしてみせ……ろ… …?」 ……俺をどかしたのはニアではなく、月であった。ひょいっと俺の襟首を掴みあげると、にっ こり笑ってソファの外へ落とした。ニアを招きいれながら、月は困った顔で俺を見つめ、 「メロ。お前はおにいちゃんなんだから我慢しなさい。ニアはまだ、子供なんだよ?」 ……………。 ………………。 …………………!? ちょっと待て!? 俺はそいつの兄になった覚えも、月の子供になった覚えもないぞ!?っていうか月の子供だ ったら俺と月は結ばれないわけで、それは色々困る!おかしい!そんなの絶対おかしい… …! ぶるぶると体を震わせる俺に月は気づいてくれず、ニアの背中をぽんぽんっとたたいていた ……。 まだまだある。ニアがある日、絵本を持ってきた。 「めろ、よむ。」 ニアにはまだ、人が使う文面は読めず、また死神の言語は誰よりも俺が上手いので、よくこう して朗読を要求してきた。胡坐をかいた上にニアを乗せ、絵本を広げて読んでやる。ニアは真 剣に、絵本の中にいるクマのストーリーを信じているようだった。 「ニアー、僕が読んであげようか?」 楽しそうにしている俺達(別に俺は楽しくない!ああ、楽しくないさ!)が羨ましく思えたのだろ う。月が他の絵本を読んで、ニアに話しかけてきた。 読んでいるのを中断されたニアが、顔を顰めて月にはっきり告げる。 「や。」 明らかに、月がショックを受けた表情をしていた。それでも食い下がり、「こ、こっちは新しく買 ってきたお話だよ?」と笑う。ニアは唇を尖らせ、 「ライト、へた。」 「………………………ッ!!」 本人にしてみれば悪意があるはずなのに、月の心はかなり傷ついたらしい。ふらっとよろめ き、ちらりと俺を見る。そして…… 「…………………チッ」 ………と、なんか凄く黒い舌打ちをした……。 ………月は、俺に舌打ちなんかしたことなかった……。 なのに、月が舌打ちした………。 ……………………。 「めろー、つづき。はやく。」 放心状態の俺をゆさゆさと揺らす、無邪気なニア。それでも現実逃避していた俺に、奴はぽ かぽかと何度も頭を叩いてきた。 そんなこんなで、数週間続いた。 俺は部屋の死角で、こっそり板チョコを齧りながら、もしかしたら俺は一生『お兄ちゃん』として 扱われるのかと涙した。なんでこんな、ベッドと本棚の間で座り込みながら好物を食わねばなら ないのだろう。でもニアに見つかって拒否すれば、月が俺を怒る。こんな理不尽なこと、あって はならない……気がする。 「めろ!ちょこ!」 再び見つかり、俺は急いで最後の一欠けらを口に含んだ。もうありませーんっと手を振って見 せると、ニアが呆然と俺を見上げて、そして泣いた。 おお、泣け泣け。泣き喚け。ぐりぐりとニアの頭をなで、俺は思う。 今まで泣けなかった分、ずっと泣いてもいいんだから。 しばらく泣いていたニアだったが、ふと窓の外を見て、なにか面白いものを見つけたのだろう 駆け寄ると、外を指差した。 「ねこ!」 ニアの機嫌をよくさせたのは、屋根で寝ている近所の猫だった。窓ガラスに張り付き、猫を観 察するニア。以前とはまったく異なったニアの感情表現に、時々俺達は戸惑う。 もしかしたら、この子は、ニアではないのかもしれない。そんな恐ろしい不安が、時々、心の 中に浮上する。 俺はニアの頭にぽんっと手を置いた。たとえそうであっても、俺達は、お前のことを……。 「めろ!とって!」 ……………。 ………………。 …………………いや、無理だから。 猫を指差し、強請るニア。だって屋根の上だよ?っていうか、生き物だぞ?とれるわけないじ ゃんといおうと口を開いたその時、 「メロ……とってあげな?」 いつの間に居たのだろう。月が、にーっこり笑いながら、俺に命令する。 様々な不安の前に、今の現状にまず泣きたいなと思いつつ、俺は窓枠に足をかけた。
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